第633話 『開戦か交渉か』主戦論と非戦論(1577/8/17)

 天正六年うるう七月二十六日(1577/8/17) 諫早城 <純正>


「さて、織田がどう出てくるかわからぬが、出てくれば前線に、出てこなくても北条の備えは第四ないし第五の一個艦隊で当たれば問題なかろう。陸路で来ることは考えられぬ」


 陸路には武田があり、徳川と織田がある。北条もそんな馬鹿じゃないだろう。


「はは」


 スペインとの開戦を前提に、作戦行動の詳細を詰めようと考えている時、一人が反論を掲げた。


 三好長治である。俺より若い。


「この……イスパニアとの戦にございますが、今また、仕掛けねばならぬのですか?」


 主戦論でまとまりつつあった空気が、一瞬で止まった。


「阿波守殿(三好長治)……それはいったい、いかなる御存念か?」


 直茂がきょとんとした顔で聞く。いまさら何を、とでも言いたげだ。


「これは言い方がまずうございました。その前にやるべき事があるのではないか、という事にございます。例えばそう、今はなし崩しになっておりますが、われらは一坪の土地も一文も得ておりませぬ。戦をする前に、そこをはっきりとさせた方がよろしいのでは?」


 場が再びざわめきだった。


「それは、今より出向いて話をし、なんらかの銭なり利得の権なり、所領なりを差し出せと交渉するという事にござろうか?」


 大友宗麟が確認した。


「左様」


「交渉して話を聞く相手ですか? それならばすでに終わっております! マニラで戦が始まる前に、我らを襲うなら殲滅せんめつすると。あの戦は、方々……五年も前ゆえお忘れかも知れませぬが、まだ終わってはおりませぬぞ」


 勝行の言葉は重い。


 全体会議に各大名を参列させたのと同じように、前回の戦の経験者であり、再び連合艦隊の司令長官となるであろう勝行も参加させたのだ。


 勝行は根っからの武人だ。交渉事は得意ではないし好まない。だからこそ腹の探り合いのない会議になるだろう。


「いえ、肥前介殿(深澤勝行)。それがしは何も、戦をするなと言っておるのではございませぬ。されど明日打ち合う(戦う)訳でもなし。備えをしつつ、かようにいたせば、相手の事の様をつぶさに知る事ができましょう」


「いかなる事じゃ。申せ」


 俺は長治に真意を聞いた。


「は。まずは、少々危うい務めにはございますが、イスパニアに使者を遣わしまする。その上で先の戦の相手の不義を訴え、なにゆえに攻めたのか、また我らは大いに損害を被った、いかがなされるおつもりか? と問うのです」


 馬鹿馬鹿しい、と勝行は吐き捨てた。


「今さら何を仰せになる。いかがも何も、今こそやつらの息の根を止め、積年の恨みを晴らし、呂宋の島々より放逐する時ではござらぬか」


「なればこそにござる」


「なに?」


 全員が長治と勝行のやり取りを見守っている。


「良い。二人とも国を思うての事じゃ、忌憚きたんのない考えを述べるが良い」


「はは」


 そう言って長治は続けた。


「彼を知り己を知れば百戦危うからずと申します。そのやり取りで、イスパニアの国力と我らに対する考えをうかがい知ること能いまする」


「ふむ」


「恐らくは、先の戦の事を話しても、奴らは知らぬ顔、なぜ悪いのだという素振りを見せましょう。いま日ノ本にいる耶蘇やそ会のバテレンは、御屋形様のご威光と御意趣によってそのような考えはもっておりませんが、奴らは違います」


「ほう? いかに違うと言うのだ」


「蛮族(と奴らが呼ぶ)の地を、奴らの神である主なのかイエスかヤハウェかわかりませぬが、『その御心によって治めてやるから言う事を聞いて従え。ありがたく思え』なぞ、はなはだおかしき仕儀にござる」


「うむ」


 長治は何が言いたいのだ?


「それで、つまるところは何だ?」


「は。それゆえ奴らに問うのです。いかなる償いをいたすのか? と。さすれば奴らは鼻で笑い、こちらの言う事など聞きますまい。そこで言うのです。では、この呂宋の地から、うぬらは一兵たりとも祖国の地を踏むことなく死ぬことになるが、よいのか? と」


「それから?」


「そこで奴らが応じぬなら、控えさせている艦隊にて奴らの町を殲滅すればよいのです。文字通り一兵も残さず根切りにいたすのです。よもや文句はいいますまい。後ろに控えさせていた艦隊で襲うのです。奴らは備えをすることなく死に絶えるでしょう」

 

「確かに。そこまで言質をとっておれば大義名分は立ち申す。さらに虚をついたとて文句はありますまい。何を言われてもどこ吹く風にござろうからな。しかも勝ち筋が見える」


 会話に入ってきたのは伊東祐兵すけたけである。これまでは祐青すけきよを補佐につけていたが、こたびはもういない。誰もが認める伊東家の当主であり、日向守護となっていた。


 文句を言うたところで……と長治は独り言のようにつぶやく。淡々と根切りを談じる長治に、少しだけ恐怖を感じながら、俺はさらに聞いた。


「勝ち筋は、わかった。しかと相手の兵力を確かめてから使者を遣わすのであろう?」


「仰せの通りにございます」


「ふむ。して、奴らが……あり得ぬであろうが、共存の道を示してきたら?」


「それこそ謀にございましょう。そもそも共に生きる事を望むなら、なぜ今まで何も言うて来なかったのです? それに取り掛きけり(攻め寄せてきた)時すでに、それを望んではおりませぬ。時間稼ぎかと」


 そうだそうだ、とあちこちで賛同の声があがる。


「大国イスパニアといえど、兵の全てをこちらに回す事などできぬでしょう。我らと同じく、この五年は力を蓄えてきたかと存じます。この上にまだ策を弄するようであれば、奴らの備えは足りておらぬのでしょう」


「うむ。……あい分かった。使者を遣わすことで相手の本意を知り、いずれにしてもきびすを返して打ち入り、一気呵成かせいに掛りて討ち滅ぼさん」


「「「おおお!」」」


 満場一致にて、イスパニアとの開戦が決議された。





 次回 第634話 『織田水軍から織田海軍へ、イスパニア情報の収集』

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