第601話 本願寺、割れる? 大激論の末に

 天正三年二月十三日(1574/3/6) 近江 比叡山延暦寺


 越前の朝倉義景を滅ぼす前、元亀二年十一月に、信長は勅書に基づいて畿内の反織田勢力に和睦の条件を通達していた。


 信長も各勢力が素直に応じるとは思ってはいなかったが、朝倉攻めのためには和睦するほうが得策であったのだ。


 その時の条件は以下のとおり。


 ・延暦寺は武装解除して賠償金二千貫。


 ・松永弾正は隠居。


 ・石山本願寺は武装解除の後、一万四千貫の賠償金。以後の各地への一向宗門徒の蜂起を禁じる起請文を作成。または大坂退去。


 ・堅田衆は運上金として権益の半分を織田家に譲渡。


 ・雑賀衆には賠償金三千貫の支払い。


 ・伊賀衆に関しては完全に自治権のはく奪。


 松永弾正は受け容れた。

 

 堅田については間近で織田軍の強さを目の当たりにし、条件を呑んだ。それ以前の七月に武田軍は撤退し、包囲網はその体をなさなくなっていたからだ。


 その状況を鑑みて、本願寺は純正に和睦の条件緩和を求めるも頓挫し、否応なしに条件を呑まざるを得なかった。

 

 朝倉は翌年の天正元年(元亀三年)の二月に滅んだ。


 信長に敵対する勢力は縮小する一方である。伊賀衆においても最低限の自治と権益を守ることで合意し、雑賀衆は太田党が調略された。


 残る信長の敵は延暦寺と雑賀党、そして加賀本願寺門徒と紀伊の神社仏閣勢力(国人衆)のみであったが、ここにきて本願寺本山と織田家もきなくさくなっていた。


「そうですか。やはりそのようになりましたか」


「驚かれぬのですね」


「元亀二年の十一月、われら延暦寺は織田殿の要請に応じませんでした。私としてはまず信者の事、そして寺の事を考えれば応じるほかなしと考えていたのですが、如何いかんともし難く」


「心中、お察しいたします」


「事ここにいたっては、権中納言殿の言に従うほかございませぬ。こちらは私が何とか考えをまとめますので、中納言殿にはよしなに、とお伝えくだされ」


「はは」


 天台座主である金蓮院准后と、小佐々家外務副大臣の伊集院掃部助忠棟との会話である。延暦寺は武装解除して賠償金二千貫という信長の要望を呑む形となった。





 ■加賀 吉崎御坊


「なんと! そのような事が……信じられぬ」


「玄任殿、勝てますか、小佐々に」


「無理でしょう。事の様(状況)はわれらにとりて、時を重ねるごとに悪しき方向へ向かっております。武田は降り上杉は破れ、長島は既にありません。信長を囲む事すら能わずに、味方がことと(どんどん)減っていき、兵はもとより兵糧矢弾の備えにも事欠きまする」


 加賀の本願寺の坊官と話をしていた杉浦玄任は、現実を見据えていた。


 本願寺が小佐々(織田)に屈するなど屈辱でしかないが、織田でさえ苦労するのに、小佐々となど戦えるはずがない。そう考えていたのだ。


 なぜこうなった? 小佐々とは織田との仲立ちをするためによしみを通じていたのではないのか?


 玄任は上杉に対抗するために本山から派遣された坊官である。本山から命じられれば、それを加賀の門徒に伝え戦わねばならない。 

 

 負けるとわかっている戦いをせよと、命じなければならないのだ。


 



 ■紀伊 雑賀


「馬鹿な! 根来寺はともかく、高野山に熊野三山、粉川寺すべてが小佐々に服するだと? そんな事はありえん!」


「あり得るあり得ぬと、ここで論じても詮無き事にございます。それがしは事実、誠の事の様をお知らせしているのみ。お疑いならば御使者をそれぞれに向かわせると良いではありませぬか」


 日高甲斐守このむのこの最後通牒ともとれる知らせに、雑賀孫市は信じられない思いである。

 

 喜の発言はいささか勇み足ではあったが、遠からずそうなるであろう事は明らかであった。高野山・熊野三山・粉川寺にも外務省の交渉担当官が赴いて折衝していたのだ。

 

 もっとも折衝といっても交渉の余地はない。純正は条件を提示し、従わなければ潰すと暗に脅している。


 考えろ考えろ考えろ。


 孫市は思考をその一点に絞った。考え得る全ての可能性を模索したのだ。


 しかし、徒労に終わった。

 

 考えたところで小佐々と戦って得るものなどないのだ。今まで何のために戦った? 摂津の本願寺に味方し、各地のいくさに金で雇われて戦った。


 それはあくまで、糧を得るための戦いである。自らを守るためでも、どこかを攻め取るためでもない。


 糧を得るために戦う戦闘集団であるがために、雑賀では小さい子供の頃から鉄砲の扱いや軍について学ぶ。

 

 この乱世を生き抜くためとは言え、本心でそれを望む親などいようか。


 戦わずに子供達が幸せに暮らせるなら、それに越したことはない。小佐々がそれをやってくれるのか?


 孫市は、迷った。戦えば、負ける。そうすれば妻や子供が路頭に迷うことになるのだ。





 ■摂津 本願寺


「法主様、いかがなさるおつもりか?」


「徹底抗戦あるのみ!」


「戦ってどうする? 勝ち筋などないぞ!」


「勝てぬ訳がない! 我らには御仏がついている。死んでも極楽浄土ではないか」


「そういって長島はどうなった? 小佐々は信長ほどではないにしろ、抵抗すればみせしめに同じ目に遭わされぬと言い切れるのか?」


 侃々諤々かんかんがくがく、いっこうにまとまらない。





「父上」


 そう顕如に話しかけるのは息子の教如である。


「父上、いえ法主様。まさか信長……小佐々の言うとおり、明け渡すおつもりではないでしょうね」


「……そなたは如何すれば良いと思うのだ」


「考えるまでもありませぬ。最後の一人まで戦い抜くしかありませぬ」


「戦っても勝てぬというのがわからぬのか?」


 顕如は屈辱を噛みしめ、元亀二年の武装解除と賠償金支払いの事を考えながら、結論を出しつつあった。


「なんの、軍はやってみなければわかりませぬ」


「その通りだ。軍はやってみなければわからない。されど勝ち味のない戦いは、勝ち筋が見えねば戦ってはならぬ。それに、なんの為に戦うのだ?」


 静かな眼で顕如は息子である教如を見る。


「それは無論、門徒を守るためにございます」


「何から守るのだ?」


「信長は異教に染まり、日ノ本に古くから伝わる仏教を破壊しようと目論んでおります。信長、いやさ小佐々が天下をとれば、われら仏門の徒は虐げられることでしょう」


「教如よ、私はずっと考えていたのだ。確かに小佐々が言っている事は傍若無人な事かもしれぬ。われらが父祖より引き継いできた利得を手放せなどと、あり得ぬ話ではないか」


「そうでしょう! なればこそ、徹底的に戦わねばなりませぬ」


「話は最後まで聞きなさい」


 顕如は若い教如をたしなめた。


「そなた、さきほど門徒のために戦うと申したな」


「はい」


「戦わなければ門徒は虐げられる、と。では門徒が虐げられず、幸せに暮らせるならばいかがいたす?」


「仰せの意味がわかりませぬ」


「権中納言殿は寛大なお方と聞いておる。西国の門徒から一揆の報せや苦情など、聞いた事がないであろう? それに信長も、仏敵などではない。われらが政に関わり、本来の仏門の徒にあるべからざる富を得ているからなのだ」


「つまり?」


「御仏に仕える者は、それ相応の事を為せという事なのだ。民の暮らしを良くするのは領主である為政者の役目であり、われらはその心の中に拠所としてあるのみ、という事だ」


「……」


「よいか? 皆が幸せになる道を選ばねばならぬ。そのこと、ゆめゆめ忘れるでないぞ」


「……はい」


「……」





 次回 第602話 東西本願寺と加賀、紀伊の服属

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