第582話 房総の雄 里見佐馬頭義弘
天正元年(1572)九月二十八日 上総 久留里城
「殿! 安房勝山城より急使にございます!」
「なんじゃ、騒々しい。通せ」
上総久留里城主であり、安房と上総を治める里見
里見氏は先代
「申し上げます! 浮島沖にて巨大な船が北上し、北条領に向かっております。富浦の岬でも目撃されており、間違いございませぬ!」
「船? そはただの北条の船ではないのか?」
「は、尋常ならざる大きさゆえ、いままで見た北条の船ではございませぬ。また、数も一隻のみにございます」
「何? 一隻のみとな? これはまた異な事よ……あいわかった。引き続き備えよと伝えるのだ」
義弘は腕を組んで考える。
<義弘>
北条の船? いや、一隻など考えられぬ。兵船ならなおさらだ。我らは長年戦ってきた。和睦もしておらぬし、それは相手も同じ。
打ち合う事(合戦)になるやもしれぬのに、一隻のみなどありえぬ。
合点がいかぬ。それに北へ向かったと? 南に北条の領する島と言えば大島か。然れど、何かがおかしい。
胸騒ぎがする。
「いかがなさいましたかな? なにやら大声が聞こえましたが」
大声を聞いて部屋に入ってきた四十代半ばの男が、義弘に声をかける。
「いや、相済みませぬ。なにやら安房でいささか騒ぎがあったようで。なに、ご心配には及びませぬ。ささ、日も暮れてまいりましたゆえ、宴席の支度をしております。どうぞこちらへ」
そう言われて男は義弘に勧められるまま別室へと移動した。
■数時間前
「殿、小佐々権中納言様が郎党、太田和治部少輔様(従五位下・利三郎)と仰せの方がお見えです」
「何?」
小佐々と言えば、西国を治め、畿内においても織田を凌いでいるという。そのような大身が東のはての房総まで、何のようだろうか? そう義弘は思ったのだ。
「よし、丁重にお通しするのだ」
「はっ」
近習は言われるがままに利三郎を連れてきた。
「はじめて御意を得まする。小佐々権中納言様が郎党、太田和
「里見佐馬頭(従五位上・義弘)にございます。ささ、どうぞ楽になさってくだされ」
義弘は利三郎に対して礼をつくし、話を聞く。
「わが主、権中納言様におかれましては、佐馬頭様と盟約を結びたいとのお考えにございます」
「なんと! 中納言様がそれがしと盟約にございますか?」
義弘にとってはまさに青天の
房甲同盟(里見・武田)は続いているとは言え、甲相同盟も昨年成立している。
第二次越相同盟は謙信の働きかけで成立したものの、小佐々との敗戦で関東における上杉の影響力は消え去った。
北関東の諸将と里見氏や常陸の佐竹氏などの反北条勢力は、武田との結びつきを強めていたのであるが、北条も同様に武田と結んで後顧の憂いをなくし、虎視眈々と領土拡張を画策していたのだ。
この状況で、新たなる同盟相手、しかも織田・武田・浅井・徳川・畠山と結んで謙信を倒した小佐々である。
「これは誠、渡りに船のようなお申し出、こちらとしては断る理由はありませぬ。然れど果たして権中納言様に、われらと結ぶ利はございましょうや」
「……ございます」
「それは?」
「ご存じの通り、われらは武田と盟を結び、盛んに商を通じて共に栄えんとしております。しかしてその武田と北条は盟を結んではおりますが、それは北条が佐竹や結城、佐野や小田などの関東の大名や国人と相対するため」
義弘は黙って聞いている。
「北条の勢いに、上杉なき今、彼らは武田を頼みとしております。然れど武田は北条と盟を結んでおり、公に兵を起こして北条と対する事あたいませぬ。ゆえにわれらに話が回ってきたのです」
利三郎が言っている事は嘘ではない。
信玄の時代、西上のために武田は北条と盟を結び、上杉と和睦したのである。北条との盟約は生きており、敵がいなくなったからと言って一方的に同盟破棄はできない。
仮に北関東の大名からの要望を聞いたとしても、北条とは事を荒立てたくない、というのが武田の本音なのだ。
それに同盟相手を攻める要望など、はなから無理がある。
もし同盟を破棄して戦ったとしても、一方的な負けにはならない。勝つ可能性だってある。しかし今はその時期ではないし、内政に舵を切ったのだ。
無駄な戦いは避けたい。そこで純正に相談したのだ。
純正にしてみても、スペインと近づいている北条を野放しには出来ない。武田と小佐々の思わくが合致して、房総の里見との同盟を結ぶという結論にいたったのだ。
もちろん、利三郎はスペイン
同盟国である武田の要望に添いつつ、将来敵になるかもしれない北条を牽制するため、とだけ伝えている。
かくして、小佐々と里見の双方の合意の下、同盟が結ばれる事となった。今夜はその宴であり、明日、細かな打ち合わせという流れである。
■現在 別室
「それはおそらく、南蛮の船と思われます」
「なに? それとは……ああ、もしや聞かれてましたかな? して、それが南蛮の船ですと?」
酒を酌み交わし、二人とも少しだけ気分が良くなった頃である。利三郎がつぶやいた。
「はい、そのような尋常ならざる大きさの船、そして一隻のみで敵である里見の鼻先を往くなど、そうとしか考えられませぬ」
「
「南蛮の国は一つではありませぬ。この日ノ本と同じようにいくつもの国があり、争っております。そのうちの一つが北条と商いをしていたとしても、おかしくはありませぬ」
義弘の問いに利三郎が答えた。
「なんと。ではその国は大島や八丈島より南にある国にござろうか」
「南というより、さらに東のまだみぬ大陸にござろうか。それがしもつぶさには存じませぬが、そのような国があるとは聞いております」
利三郎は遣欧使節や大学の面々、そして外務省の異国担当者からの聞きかじりではあるが、影響のない範囲で伝えた。詳しく話しても理解ができないだろうからだ。
「なるほど、ではその国々は……」
「佐馬頭様、重し(重要なの)は南蛮がいかなるものか、ではございませぬ。南蛮との商いが
「承知つかまつりました」
これにて、小佐々・里見による小房同盟(仮称)が成ったのである。
次回 583話 シリコン含有率の高い鉄と垂直型ドリルによる大砲の規格化
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