第566話 中止できず。人道支援と織田の評定。

 天正元年(1572) 四月十四日 越後沖 霧島丸


「小佐々海軍、第四艦隊司令長官、佐々清左衛門にござる」


「上杉家家老、直江大和守にござる」


 テーブルに向かい合って相対する二人に、珈琲が運ばれてきた。戦場で敵方の使者が来たというのに、余裕の態度である。


 あるいはわざとそう振る舞っていたのか。


 手でどうぞ、と合図をして一口珈琲を飲み込む加雲に対し、光沢のあるソーサーとカップ、そして真っ黒な飲み物に驚きを隠せない景綱であった。


「おや、珈琲はお嫌いでしたかな? では紅茶をお持ちしましょうか?」


 居住まいを正して、景綱は加雲に言う。


「清左衛門殿、こたびはわが主の命を伝えるために罷り越しました」


「謙信殿が貴殿らに出された命を、わしに、でござるか?」


 加雲はまた、一口すする。


「左様、わが上杉と小佐々家は和議のさなかにて、打ち合い(戦闘)するべからず、にございます」


「……うべなうべな(なるほどなるほど)。……あいわかった」


「おお! お聞き届けいただけるのですな!」


「心得違いをなさっては困ります。それがしは、謙信殿がそう言ったという事を『わかった』と申し上げたまで。砲撃を止めるとは言っておりませぬ」


「なんと! では今一度申し上げる」


「いや、れば(ですから)分きたる(理解している)と申しておる! 然りながら、わが殿からさような知らせは受けておらぬ故、止められぬと申しておるのです」


「然れば(では)わが殿が、謀略計略の類いをもってこのような事をさせていると?」


「そうではない。然れどよくよく考えなされ。いくさを仕掛けてきたのはそちらですぞ? 越中には口入れ(介入)するべからず、との主上の勅書に則った修理大夫(畠山義慶)様の文は届いたでしょう?」


 景綱は小さくうなずく。


「然ればそれを聞かず、おのが大義にて攻め入った謙信どのにござる。そして今、わが殿より命のなき事をせよと仰せだ。得心できぬのが道理でありませぬか? そもそも敵の言葉を鵜呑みになどできませぬ」


「それは……信じてくだされ、と言うしか能いませぬが」


「で、ありましょう? 然れば戻られ、越中の謙信殿にその旨お伝えくだされ。こちらも御屋形様より同じ命あらば、すぐにでも止めます故」





 賢臣名臣と言われたさしもの直江景綱も、引き下がるしかなかった。





 ■能登 小丸山城


 大将不在の遊佐続光、温井景隆の軍勢は本拠地から七尾城へ向かう途中で各個撃破され、すでに七尾城下に詰めていた兵は義慶と武勝の兵に潰走させられていた。


 ちりじりとなって雲散霧消した理由としては、義慶の能登帰還と上杉水軍の壊滅に近い状態が、七尾城内と同じように各地の兵達に伝播したのが大きいだろう。


 意気揚々と七尾湾に攻め入り、一時は沿岸部一帯を支配した上杉の水軍であったが、今は見る影もなく餓死寸前の状態である。


「開門! かいもーん!」


 七尾南湾の南側海岸から1km弱の小高い丘に建てられた小丸山城の正門で、大きな声が聞こえる。見ると数台の荷車にいくつもの米俵、樽が載せられていた。


「申し上げます! 城門に畠山の兵がおり、開門を願っておりまする」


「開門、じゃと? 馬鹿を申すな」


 上杉水軍の大将、山吉丹波守豊守である。


「そ、それがなにやら『じんどうしえん』なるもので、よくわかりませぬが、われらと敵の和議のさなか故、兵糧を渡すと申しております」


「和議じゃと? そのような話、わしは知らぬ。謀略をもってわれらを謀り、毒を喰らわせようとでも思っているのだろう」


 謙信から放たれた忍びの報告は、畠山側には上手く伝わったが、上杉側には様々な障害があって伝わっていなかったのだ。


「されど、敵の使いも役目ゆえ、果たせずには帰れぬと申して、疑うなら毒味もすると申しております」


「さようか……」


 正直なところ、城兵の状態は最悪で、限界であった。史実でいう長島一向一揆や三木城、鳥取城の兵糧攻めのような状態になりつつあったのだ。


「あいわかった。門をあけよ」


 豊守はまず毒味をさせ、その後食事を勧められるが、兵達に食べさせて自分は最後に食べたのだ。


「御使者殿、かたじけない。然れど和議の話は誠であったのだな」


「いえ、それがしはよく存じませぬが、京の御屋形様と諮っているようにございます」


「ふむ」


 もとよりそのような気力もなければ兵糧も欠乏し、矢も弾薬も切れて久しかった。結果的にこの援助を受けるしか、城兵の助かる道はなかったのである。





 ■岐阜城


「猿よ、して謙信は和睦の申し出をしてきたとな?」


「は、中納言様はそれを受け容れ、和議を進めるとの事」


 信長の前には丹羽長秀、羽柴秀吉、明智光秀らの重臣が居ならぶ。


「殿、ほどよい頃合いではございませぬか?」


 米五郎左の丹羽長秀が信長に告げる。


「うむ、そうよの。これ以上長引けば謙信は持つまい。小佐々の威が越中にまで及ぶのは気になるが、致し方あるまい。こちらは越前を早急にまとめ、加賀への足がかりとせねばならぬ」


「わはははは! かように強き敵ならば、上杉ならずとも一度は手合わせ願いたいものにござるな」


「権六、控えよ」


 柴田勝家のこの言葉は、武門に生まれたならば強い者と戦いたいという、いわば本能のようなものだろう。


 しかし、あの信玄ですら勝てなかった謙信を、負けに近い和睦で幕引きさせようと言うのである。小佐々家の財力、軍事力、強さをまざまざと見せつけられた信長なのだ。


 純正ほどではないにしろ、情報は刻一刻と入ってきていた。飛騨や信濃を通って謙信の背後を襲い、水軍を擁して海沿いの城を砲撃している。


 謙信の渾身の策である水軍による能登急襲も、村上・毛利他小佐々水軍の働きで無駄となった。


 信長の『控えよ』という言葉は、そんなことは今は考えたくない、という現れなのだろう。





 小佐々と上杉、そして本願寺も含めた織田家の水面下の外交戦略会議はつづく。







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