第511話 能登の輪島湊から天堂城へ 能登畠山氏第十代畠山義慶と会う

 天正元年(元亀三年・1572年) 三月四日 能登国 鳳至ふげし郡 輪島湊


 二月の二十五日に敦賀を出たのだが、風が悪かった。


 途中の甲楽城かぶらき浦、新保浦、鮎川浦、三国浦……風待ちをしながら一週間かかってようやく輪島湊に到着した。


「ぶねん、ぼう、むいんごたる……。ぐええ。ごほっごほっ……」


(無念、もう、無理のようだ……。ぐええ。ごほっごほっ……)※ごたる……長崎弁(西海弁?)で「~みたいだ」の意。


 舷側に張られた三連の墜落防止用のマニラ麻のロープに掴まって、船酔いに苦しみながら嘔吐している男がいる。


 アルメイダ医学校(純アルメイダ大学医学部)第一期卒業生の戸塚雲海(1561年時13歳)である。


 雲海は東玄甫の弟子でもあり、非常勤講師として大学で教鞭きょうべんをとる傍ら、小佐々城下で小さいながらも医院を開業している。


 その雲海がなぜ遠く離れた能登の輪島湊にいるかというと、純正からの要望で玄甫の推薦によるところだった。


 純正は加賀と越中を上杉と織田の緩衝地帯にするために、能登畠山氏の越中守護としての権威を復活させ、越中守護代である神保氏と椎名氏の和睦を画策していた。


 先に派遣していた日高喜と太田和利三郎の外交報告の内容から、円満に和睦するには条件が厳しいと判断したのだ。


 権中納言の純正の顔を潰さないように、和議の席にはつくかもしれない。しかし、お互いが無理難題を言い合って不成立になる可能性が大きいという報告を受けたからだ。


 その畠山義慶よしのりであるが、先乗りしている日高喜によれば、若いが凜としていて聡明で、領民の人気も高いようだ。


 武門における文武両道のお手本のような人物との事。


 純正は前世の文献によって畠山義慶の事は知っていたが、その義慶は今から四年後の天正五年(史実四年)に暗殺、またはなんらかの理由で急死するのだ。


 どちらなのかは明確な一次資料がないので判断ができない。


 いずれにしても、有能で領民の信望もあつい領主が、二十代前半で死ぬなんてあり得ない、と純正は思ったのだ。


 もちろん、能登畠山家中が長(続連つぐつら)派=親織田、遊佐(続光つぐみつ)派=親上杉、温井・三宅派=親一向一揆の三大派閥に分かれて権力争いをしていると言う状況もあった。


 これが謙信の能登侵攻を決定させた理由のひとつでもあるのだが、その要素をなくして謙信の介入理由を潰し、親信長の台頭もゆるさない状態に持っていきたかったのだ。


 そこで、病死や毒殺などであれば、最新医学を学んでいる雲海がいれば心強い。


 玄甫にしても雲海にしても、西洋医学だけではなく、特に内科的な処方では、東洋医学も大いに参考にしていたからだ。


 その雲海が、船酔いでグダグダである。


「雲海よ大丈夫か? 人によって差はあるだろうが、医者が船酔いというのも……どうにかならないものだろうか」


 純正は苦笑いだ。


 純正は前世もそうだったが、乗り物酔いはしない。車や電車に酔わない人でも船は別、とよく言われるが、全く酔わなかったのだ。


 だから船酔いがどれほどきついのか? という想像ができない。


「お、御屋形様、申し訳ございませぬ。この雲海一生の不覚」


 遣欧使節じゃなくてよかったな。一年も船旅してたら途中で死んでいたかもしれない。笑えない冗談を思いつく純正であった。


「間違っても、死んでお詫びを、なんて言うなよ。さあ、湊が見えてきた。もう少しの辛抱だぞ」





 輪島湊は『三津七湊さんしんしちそう』と呼ばれる日本有数の湊の一つで、日本海航路の要港として繁栄した湊町であり、能登畠山七人衆の一人である温井景隆の領国である。


 湊につくと日高喜と領主である温井備中守景隆、長対馬守続連、遊佐美作守続光、そして畠山家当主の修理大夫義慶が大勢の家臣を連れて出迎えていた。


「はじめてご尊顔を拝しまする、畠山修理大夫義慶にございます。権中納言様におかれましては遠路くれぐれと(はるばる)お越しいただき、感激の極みにございます」


 若い。数えではあるが純正が二十三で義慶が十九である。


「これはこれは修理大夫どの。わざわざのお出迎え、かたじけのうございます」


 純正は義慶に挨拶をしたあとに、順次重臣に挨拶をする。主立った人物に挨拶が終わると、温井景隆が純正を居城の天堂城へ案内するという。


 ふう、と一息ついて純正は義慶ほか畠山家中に告げた。


「お心遣い、かたじけのうございます。それでは、失礼してよろしいか」


 そういうと純正は後ろの方から係の者を数人呼び、何やら組み立て始めた。そして半刻ほどたつと今度は船から馬を二頭ひいてきたのだ。


 できあがったのは、馬車である。


「修理大夫殿、いかがかな?」


「え? はい、それでは……」


 小佐々家中の人間以外、誰も見たことがない乗り物である。


 牛車ならある。しかし馬車など聞いた事がないのだ。義慶は喜から特別な乗り物を用意するので、と言われていたが、実際に見ると驚きである。


 純正は領内を移動するときは洋装であるが、畿内で御所に参内するときや、将軍に拝謁するときなどは、当然和装である。


 このときもまた和装だったので、少しでも楽をしたかったのだ。





「時に修理大夫殿、窮屈ではござらぬか?」


 馬車の中で純正が義慶に突っ込んだ質問をする。


 本来、初対面の人間にこういったぶしつけな話はしない。しかし喜の前情報で、実直な人柄で計略を好まず、誰からも好かれる人物という事を知っていたのだ。


「中納言様、それはいったいどういう……」


 義慶は純正の真意を測りかねている。


仮名けみょう(諱を避けるための通称)でかまいませぬ。平九郎にござる。どうにも堅苦しいのは嫌いにござってな」


「は、はあ……」


「修理大夫殿、俺も家督をつぐのが早かったゆえ、少なからず苦労はわかります。十二の時、元服をすませてすぐにいくさがあり、父は一命を取り留めましたが、その際に家督を譲ると命じられました」


「は、はあ、左様にござりましたか……」


「おかげで周りは父くらいの年の者ばかり。家督を継ぐと決まってからは年の近かった近習や小姓も態度が変わって、大変にござった! わはははは」


「ふ、ふふふふふ……。それは、それがしも同じにございます。では、それがしの事も次郎とお願いします」


「あいわかった! あはははは」


 後に続く義慶側近の大塚孫兵衛尉連家つらいえにも笑みがこぼれる。





 やがて一行は湊から二里九町(約8.9km)のところにある天堂城についた。

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