第455話 悪人?吉川駿河守元春

 元亀二年 四月二十一日 伯耆国 岩倉城


 吉川元春の軍勢が岩倉城を包囲した翌日、美作の小田草城へ向かっていた南条元続は急報を受けた。急ぎ陣払いをして岩倉城の救援に向かったのだが、すでに城は落とされた後であった。


 吉川軍の裏切りという事態と明らかな劣勢という事もあいまって、兵が逃散し、防戦するも衆寡敵せず落とされたのだ。


 城主の小鴨元清は捕虜となっていた。


 岩倉城から北へ半里(約2km)の長坂村に陣を構えた南条元続の元に訪れたのは、使者の小笠原元枝(もとしげ)である。


「右衛門尉殿、それがしは小笠原弾正少忠と申します。こたびはわが主、吉川駿河守様の命により参上いたしました。もはやこの戦の趨勢天命の如し。されどわが主は、さらなる血の流るる事を望みませぬ。されば右衛門尉殿におかれては、民のため、兵のために降り給えとの仰せにござる」


「なんだと? 言うに事欠いて、降れだと? 笑止千万!」


 元続は元枝のあまりに礼を欠いた、信じられないような口上を鼻で笑う。謀反を煽っておいて、さらに裏切り、その上どの口がそう言っているのか、とでも言いたいのだろう。


「千万? 千万とは、なにがそのように可笑しいのですか? 左衛門尉殿は、無駄だと知ってもなお戦い、あたら多くの兵を死なせてしまった。なにが可笑しいのですか?」


 確かに、若干城攻めにて減ったとは言え、吉川軍は1万近く、対して南条元続軍は4,000である。数的不利であり、さらに吉川の後ろには小佐々軍がいる。


 元枝の軍は、小田草城攻めから成果も得られず伯耆へ逆戻りした。しかも岩倉城は落とされ、城主は囚われの身である。


 疲れと士気の低下は否めない。


 その上、数の上でも劣っていれば、勝ち目は少ないだろう。


 小鴨元清(岩倉城主・南条元続の弟)は、勝ち負けや損得ではなく意地で戦をし、そして敗れたのだ。残って戦い、散っていった城兵は、逃げる暇はあったにもかかわらず、元清に従った。


 味方(毛利方)であった自分たちを騙し、そして自らは強きに従って保身を図る。吉川元春は極悪非道の悪人に映ったであろう。


 しかし、戦は騙し騙されである。


 騙された方が悪いのだ。情報を鵜呑みにせず、しっかりと確かめた上で判断する。希望的観測を排除し、確実だと思えるまで動かない。


 しかし、その確実さがどのラインなのかは誰にもわからない。


 結果的に成功したらそれが正しいラインであり、失敗したらまだ足りなかったという、後付けでしか判断できないのだ。


「弟に、元清に会えまするか」


「両軍の中ほど、大宮村に双方の警固の兵をつけてならよろしいでしょう」


「忝し」


 捕虜となっている小鴨元清と南条元続は、中間地点である大宮村で会うことを許された。



 


「兄上、いえ殿、傍若無人な極悪人、吉川元春に一矢報いてやりましたぞ。わはははは。しかし城兵を逃したとは言え、無駄に死なせてしまったのは事実。死に値します」


「何を言うか、生きてこそである」


「との」


「何じゃ」


「降りなされ」


「何い?」


「どう見ても勝てませぬ。元春は憎き敵にござれば、われらは元春に降るのではござらぬ。こたびは真に、真に近衛中将に降るのです」


「降ったとして、そなたの命は助かろうか?」


「殿、多くを死なせてしまった、それがしの命はどうでも良いのです。小鴨として、いえ南条としての意地は見せ申した。この上はあたら命を無駄にすることなく、降ることがもっとも良き幕引きかと存じます」


「そなた……」






 

 陣幕には七つ割平四つ目の家紋が入っている。周囲には同じく丸に三つ引き両の家紋の旗印。小佐々家と吉川家の家紋である。


「南条家当主、南条右衛門尉元続にございます」


 平伏して挨拶をする元続に対して純正が答える。


「近衛中将である。面をあげよ」


「はは」


 元続は顔を上げて純正に正対する。御歳二十二の若者であり、元続とは一つ違いの年下である。


「よくぞ、決断された。武門の誉れや家門の恥だと言うて、無辜(むこ)の民を犠牲にする為政者のなんと多い事か。無論、誇りや名誉が意味のない事とは思わない。されど命ありてじゃと俺は思う」


「ありがたき幸せに存じまする」


「うむ、これからはわれらと共に、民のために働いてくれるか」


「はは、仰せの通りにいたします」


 南条元続にとって無念ではあったが、いかんせん多勢に無勢。吉川元春に騙されはしたものの、元続の為政者としての評判は決して悪くはなかった。


「そうか、ありがとう。では、左衛門尉をこれへ」


 しばらくして小鴨左衛門尉元清が呼ばれ、元続と同列にならんだ。


「兄上!」


「元清!」


 抱擁こそしなかったものの、お互いの無事を喜んでいる。


「近衛中将様、これはいったい……」


「見ての通りじゃ。いやはや殺すには惜しい人材である。少し、昔を思い出しての」


「昔、でござるか」


「そうじゃ。昔大友と戦をしておった時、元毛利方(当時・現小佐々方)の門司城が落とされたのじゃ。その時、敵であった戸次道雪が城将の才を見込んで生かし、今はその城将、仁保右衛門大夫と申したか」


 仁保隆慰の名前を出したときに、元春の表情が少しピクリとした。


「門司の城代として領民に慕われながら、善政を敷いておる」


「さようでございますか」


「そうじゃ。おれは無意味な死は好かぬ。これから、頼むぞ」


 そう言って純正は二人を下がらせ、次なる目的地である因幡へ軍を進めることとした。


 ■天神山城


 どうん、どおん、ぐわちゃん……。


 どおん、がしゃん、どすん、ががん……。


 初日の降伏勧告の後、西と南から一斉に砲弾の雨あられが、天神山城に降り注いだ。城壁、屋根瓦、建築物に対して容赦ない攻撃である。


 砲撃の間に歩兵は渡河を行い、対岸に橋頭堡をつくる。


 その後さらに砲撃が行われ、三の丸、二の丸の大手門や曲輪などが破壊される。城内の兵は防戦どころではない。


 小佐々軍の攻撃になす術のない浦上軍からは、脱走兵が続出している。人は理解が出来ないものに恐怖を抱くというが、まさにそれである。


「父上! 母上や妻と子供は逃しました。このまま何もせぬまま降るのですか? この上は残った兵をかき集め、最後の突撃を試みとうございます!」


「愚か者! そなたの気持ちはよう分かる。しかし、それは無駄死と言うものだ。そなたはまだ若い。死ぬことはない。わしの首一つで城兵の命が助かるのなら、致し方あるまい。口惜しいが、元春の甘言にのり、時勢を読み誤ったわしの咎よ」


「父上!」


 天神山城はその日の日暮れ前、全面降伏し、開城となった。


 ■京都 大使館


 純久は大使として幕府や朝廷、さらに諸大名への対応業務を行っていた。それだけでなく、畿内の軍事指揮官でもある。必然的に情報は純久のもとに集まり、そして純正に送られていた。


 とりわけ信長包囲網の動きは、最重要項目である。この日純久が純正に送った通信は、よい報せと言えるものではなかった。






 発 純久 宛 近衛中将


 秘メ 二俣城 アブナシ 天方城ヲハジメ 北遠江ノ 諸城 コトゴトク 落チリケリ サラニ 相模守(氏政)ノ 援軍アリテ 左京大夫殿(家康) 後詰メ ナラズ 一言坂ニテ 敗レリ 秘メ

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