第451話 吉田郡山城にて、一体何を拠所とするのか?

 元亀二年 四月八日 


 三河方面の山県・秋山の別働隊と、遠江の信玄本隊からなる武田の西上軍は、服属を願い出てきた将兵や降伏した城の兵をあわせると、七千人あまり増加していた。


 三河では奥三河の山家三方衆、遠江では北遠江の天野景貫らをはじめとした国人衆が、続々と武田の軍門に降っていたのだ。


 その数をあわせると四万に達する勢いである。


 信玄は服属してきた国衆を軍勢に加え、兵站はそれぞれに担わせるとして、本隊に全く負担なく兵力を増加させたのだ。


 忠誠心を示させるため、服属した国衆は先がけを命じられる。強きものはより強きへ。


 経済でよく言われる『富むものはますます富み』が、軍事にも適用されている。


 二俣城へ後詰めを送るべきか、否か。しかし、ここで後詰めを送らなければ、遠江における家康の信用は地に落ちるのだ。


 ■吉田郡山城


 城下は、小佐々軍の将兵で埋め尽くされた。右を見ても左を見ても、七つ割平四つ目の小佐々家の家紋が入った旗印ばかりである。


 領民はもとより、毛利軍と小早川軍の将兵はざわめき立ち、思った。


 大国毛利が負けたのか? と。


 もちろん、純粋な意味での負けではない。戦ったわけでもないし、なんらかの降伏条約に調印したわけでもない。


 しかし、このようなおびただしい数の軍勢と、他国の旗印。それに見たこともない大砲やその数。さらに侍なのかなんなのか、よくわからない異形の兵である。


 小佐々の陸軍兵は、海軍もそうだが、一般的な足軽兵の装いではない。イメージで言うと幕末の西洋式軍隊から明治時代の歩兵、将兵の格好をしているのだ。


 士官は刀は差しているが、兵は差していない。士官も帯ではなく、特製のベルトだ。


 今まで見たことがない出で立ちの兵隊が、見たこともない旗印に武器を携え、そこらじゅうにいるのだ。服従していないとは言え四分六の同盟であり、条件も呑まされた。


 厳島の戦いの前後、大内と袂を分かつようになって以降、毛利は十数年以上経験していないのだ。


 純正が城下に到着すると二人が待っていたが、やはり予想通り三人そろっての出迎えではなかった。


 城下に二万四千の兵を広範囲に布陣させ、二人に案内されるままに、純正は幕僚と共に吉田郡山城へ入城した。


 毛利元就が山全域を要塞化した吉田郡山城は、可愛川(江の川)と多治比川の合流地点の北にある、標高402mの郡山山頂に築かれている。


 その堅牢さは岩屋城や岡城にもひけをとらない。


 もっとも山城の堅固さなど、どこの軍勢がどの程度で、どのような武装で攻めたのか、条件がバラバラで一概にはいえない。


 しかし、堅城なのは言うまでもない。尼子の月山富田城も同じだ。


 その吉田郡山城の謁見の間までの間、純正は毛利、小早川家臣が左右に居並ぶ列の間を通り、礼をもって迎えられた。

 

 輝元は純正を上座に案内し、自身は改めて下座に正対して座った。小早川隆景はそのさらに後ろである。


 しばらくの沈黙の後、輝元が口を開いた。


「近衛中将様におかれましては、陽春の候、益々ご清祥の事と心よりお慶び申し上げます。こたびは肥前諫早より遠路くれぐれとお越しいただき、この右衛門督、中将様のご尊顔を拝し奉る栄誉を賜り、恐悦至極に存じ奉りまする」


 輝元は平伏し、隆景もまた、当然だが平伏している。


「うん、苦しゅうない。面をあげよ。さて……。城外にて出迎えの際も思ったが、一人足らぬようだ。いかがしたことかな」


 純正は二人に対して面を上げよと許したが、二人とも上げようとしない。場がヒリヒリと凍りつく。


「それは……吉川駿河守は……」


 輝元は言葉を濁す。濁すと言うよりも、適切な言葉が見つからない、と言った方が正しいだろう。


「しばらくお待ちくだされ。それがしが思いまするに……」


「左衛門佐殿(隆景)、無礼であるぞ」


 下座の純正から向かって左手に座る鍋島直茂が、主君を差し置いて許しもなく発言する隆景をたしなめた。


「良い、直茂。では右衛門督殿(輝元)、これから左衛門佐殿(隆景)が述べられる事、お主の考えと同じ、すなわち毛利の総意と考えてよろしいか」


 純正は直茂の方を向き、そして輝元と隆景を見ながら言った。


「は、相違ございませぬ」


「では、左衛門佐殿、話を聞こうか」


 輝元の了承を得て、純正は隆景を促す。


「は、されば申し上げまする。それがしの兄吉川駿河守は、先般伊予湯築城にて開かれた西国の言問ことといの場にて、確かに中将様に対し、失礼千万の振る舞いを致しました。平にご容赦いただきたく、お願い申し上げまする」


「左衛門佐どの」


 純正は静かに言う。


「その件はもう終わった事である。それに俺は怒っていないし、何でもない。それからいい加減、面を上げてくだされ。これでは話もできぬ」


 ようやく二人は面を上げ、純正と正対した。


「それではまず、兄駿河守がこの場におらぬ事、平に畏まりて、ご容赦願いまする」


 うん、と純正は相づちをうった。


「その上で申し上げたき儀がござりて、わが兄に誓って、誓って謀反などあり得ぬ事と、申し上げまする」


「何を馬鹿なことを。この期に及んで、何を拠所よりどころにしてそのような事を申すのか」


 隆景の真剣な言動に対し、直茂は否定的だ。しかも完全に上から目線である。


「拠所となるものは、ございませぬ!」


「呆れてものが言えぬ。御屋形様、毛利は吉川だけでなく、家をあげて御屋形様を謀ろうとしておりますぞ」


 直茂が二人を見た後、純正に正対して答える。


 元主家である龍造寺家が、純正によって減封されたのを思い起こしているのだろうか? それとも一般的な戦国武将の感覚がそうなのか?


 同盟国とも服属国とも言える毛利の処遇については、直茂は否定的であった。


「直茂、そちの言はよう分かった。少し控えよ」


 はは、と直茂は純正に返事をして二人の方を向く。


「しかし左衛門佐殿、そうは言っても謀反の報せは次々に入ってくる。こうしている内にも、播磨や備前、因幡で戦が起きているのだ。このまま黙って看過はできぬぞ」


 純正が当たり前の事を言う。


「それは十分に、十分に承知しております!」


 確かに、ここで時間を費やしている暇はない。


 未だ実際の戦闘が起こり、なにがしかの被害が発生した報告はない。しかし時間の問題であった。

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