第446話 信長の越前攻め
元亀二年 二月八日 岐阜城
「時は来た。いざ越前へ攻め入るぞ」。
満を持した信長の号令の下、一次侵攻の時と同じように、浅井長政の一万とあわせて、合計六万の軍勢が越前に攻め入ったのだ。
浅井長政軍を主力とした一万五千の兵が敦賀口から金ヶ崎城へ、遠藤氏の領地を通って大野口から戌山(いぬやま)城へ一万五千の別働隊が向かった。
そして南条口、杣山(そまやま)城へむけて信長率いる本隊三万である。
信長の本隊が杣山城を攻めるのは金ヶ崎城を孤立させるため、そして亥山城の別働隊は兵力を分散させるためだ。
朝倉義景はなんとか三万の兵をかき集めたが、急造の兵である。士気は低い。
越前は朝倉宗滴によって、長年攻め込まれることのなかった国である。昨年の金ヶ崎城攻めも、籠城戦とはなったものの、ほどなく信長は撤退。続いて長政も撤退したのだ。
一乗谷にはいっさい危害が及ばなかった。平和ボケといえば平和ボケだったのかもしれない。
兵法においては劣勢な時に戦闘を起こす事を戒めている。
退却が最善の手であるが、どうしても戦わなくてはならない時がある。織田軍は三方より攻めてきており、そのどれもが重要な拠点なのだ。
この場合六万の兵に対して自軍の兵力は三万であるから、三分割すればもともと少ない兵が、さらに各個撃破されるという愚策になる。
そこで義景は軍を三つに分けた。等分ではない。
亥山城に二万、金ヶ崎城に五千、杣山城に五千の兵をおき、迎撃したのだ。金ヶ崎は朝倉景紀、亥山城は朝倉景鏡、要となる杣山城には武勇の誉れ高い河合吉統を配した。
金ヶ崎の朝倉景紀も、養父である宗滴と同じように武勇に秀でている。
美濃から油阪峠を越えて亥山城へ抜ける経路は、急峻で大軍の利を活かしにくい。
ここに伏兵を置き、奇襲を加えながら敵を速やかに殲滅退却させ、杣山城を攻める織田軍を挟撃する作戦である。
「申し上げます! 敵、三手に分かれ、亥山城、杣山城、金ヶ崎城に布陣しております。おおよそ亥山城二万、他は五千ずつにございます」
伝令の報告を聞いた信長は、つぶやく。
「ふん、義景め。少しは考えるようになったか」。
「いかがいたしますか」
「構わぬ。このまま進めよ。金ヶ崎はすでに手をうってある。案ずるな」
■元亀二年 二月十一日 金ヶ崎城
朝倉九郎左衛門尉殿
拝啓 春寒の候、貴殿におかれましてはいよいよご健勝の事とお喜び申し上げ候。
さてこの度、かねてより話したる弾正忠様による越前入りが決まりし旨、お伝え申し上げ候。
協議の通り、式部大輔殿(朝倉景鏡)の内通の件、よろしくお取り計らい願い候。
すべて滞りなく策なりし暁には、式部大輔殿を失脚せしめ、九郎左衛門尉殿を越前の国主にお引き立ての事、弾正忠様もまた、快諾の御趣を賜り候。
敬具
浅井備前守
「父上、このような事、真に信じるのですか?」
息子である朝倉中務大輔景恒は反対する。
「案ずるな。備前守殿とは話がついておる」。
心配する嫡男(次男)をよそに、ついにこの時が来たとばかりに景紀は笑みを浮かべた。
■元亀二年 二月十八日 諫早城
発 純久 宛 近衛中将
秘メ ◯二一一 弾正忠様 越前 侵攻 セリ 三方ヨリ 攻メ入リテ 金ヶ崎 調略セリ 然レドモ 亥山城 ニテ 朝倉式部大輔(景鏡) 内通 明ルミニ ナリテ 家臣ニ 討タレリ コレニヨリ ヰササカ 難儀ノ 模様 秘メ
「ふむ。金ヶ崎が落ちたか。これは備前守殿の調略であろうな」。
純正は会議室でコーヒーを戦略会議室のメンバーと一緒に飲んでいる。
「弾正忠様の越前入りを見越して備前守様は調略されていたのでしょうか」
直茂が純正に聞く。
「まあそれもあるが、ふふふ、野心があるな。昨年の若狭攻めの時から考えていたのであろう。ここ二、三ヶ月では籠絡できぬであろうからな。それよりも、だ」
純正は通信文後半に言及した。
「朝倉式部大輔が討たれた、とある。皆は、どう思う?」
「尋常ならざる事にございますな。主を討つという事は、それ相応の覚悟と準備が必要なもの。不満が溜まっていたとしても、戦場で事をなすとは、よほどの事かと」
宇喜多直家が答えた。
「左様、もし討つならば、油断を誘い、警護の者が少なき時を狙うはずにございます。ましてや戦場など、警護の数も多うございます」
今度は官兵衛だ。
「お待ちください」
そう声をあげたのは土井清良である。
「この最後の、『コレニヨリ ヰササカ 難儀ノ 模様』ですが、討たれた事にて、攻めづらくなったという事にございましょう?」
「ああなるほど! そう考えれば、討たれなければ攻めやすかった。つまり……内応を約束していたのでは?」
庄兵衛が即座に答える。
「そうか! 内応を計画し親しいものに話していたが、反対しており、ついに考えが変わらぬとみて、事を起こしたと?」
弥三郎が反応して、話をまとめようとする。
「そう考えれば、辻褄があいまする。しかしそうなると、謀反を起こした者はよほどの人望があったのでしょう。もしくは式部大輔が日ごろより嫌われていた、という事になるまする」
「そこまで」
純正は議論を止めて持論を話した。
「皆の意見、もっともである。俺もそう考えていた。確たる証拠がない状態では、推し量るしかないわけだが、今のところは最も理にかなった答えだろう」
朝倉はもうダメだろう。大野郡司と敦賀郡司がそろって離反したのだ。
大野郡司の離反は織田家を招き入れる前に頓挫した訳だが、それでも家中に与える影響は計り知れないだろう。
それにしても純正は嬉しかった。戦略会議室のメンバーには切磋琢磨させるのが目的だったが、それはひとえに、純正が病気や怪我で指揮をとれない時に備えての事である。
年齢は全員が年上だが、前世も入れると直家でさえ、極端に言うと孫と同じでもおかしくない。
秘メ 純久 宛 近衛中将
秘メ ◯二一四 堺 会合衆 茜屋宗佐樣 入京セリ 京ノ 商人 数人ト 会スモ 付キ従ウ 東国ナマリノ 男アリ 南蛮寺ニテ 宣教師ト 会談セリ
ソノ目的ハ 不明ナレド 一度ナラズ 数度 ニ 及ブ 秘メ
純正は疑問に思ったが、引き続き詳細を調べて報せるように返信した。正月の今井宗久の言葉は本当だったのだ。
商人同士の会合はよくある話である。しかし、なぜ宣教師なのだ?
南蛮貿易なら俺や信長を通さないと無理だろう、と純正は考えたのだ。相模だろうとどこだろうと、関係ない。
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