第440話 純正から延暦寺への手紙
元亀元年 十二月七日 諫早城
天台座主にして金蓮院准后様(比叡山延暦寺大僧正)
拝啓 寒さを感じる霜月の候、准三后様におかれましては、ご自愛いただきたく存じたてまつり候。
初めての文ならびに突如としての送文と相成りますが、何卒お許し願い候うべく、拙文をもってお伺い申し上げ候。
この度は金蓮院准后様に加えて、延暦寺のお役にも立ちたく筆を執りて候。
どうぞ、下記のことについてお目を通し願えればと存じ候。
一つ、宗門の間にて教義の違いにより争いが起こりし時、寺を守るために僧兵が必要となれば、純正がお守りいたす所存に候。
一つ、僧兵を雇うための金銀の財が不要と相成れば、その財を貧しき民に与え、施すよう願い奉り候。
一つ、古より伝えらるる紙、油、諸般の産物を、なにゆえ仏に仕えんとす僧侶が抱え込み、銭となすか。理解を得難く存じ奉り候。
一つ、本来は貧しい民を守るべくする銭貸しも、時として高利の貸しとなり、民を苦しめ候。これを止め賜りたく存じ奉り候。
一つ、銭の集まる所に、奪おうと志す悪しき者も現れ、其を守るため僧兵を要し、さらに銭を要すれば、これ悪しき巡りとなり候。
一つ、かような無限の悪しき巡りを断ち切り、寺の本来の姿、正しき道にお戻りいただくことを、謹んで願い奉り候。
一つ、巷には堕落した僧兵ならびに僧侶たちが多数おり、修行をせず、現世に心を奪われ、傍若無人なりとの説も広まりて候。
一つ、巷説にて、信じるに足らずと考え候へども、もし少しでも前に述べし事に相違なければ、改めていただきたく存じ奉り候。
ここに記し奉った事柄は一つの薄き提言に過ぎず、准三后様の深遠なる見識並びに寺の大方針には遠く及ばぬと存じ候。
しかしてなにとぞ御一読を賜り、御高所の御心中を拝し奉ることができますなら、これに勝る喜びはなきと存じ候。
敬具
臣正四位下近衛中将小佐々純正
「直茂、延暦寺からまだ返事は来ないのか?」
「は、いまだ」
純正は十一月の中頃、大使館の純久を通じて延暦寺に使者を送り、武装解除と民間への技術提供、そして溜め込んだ財宝の領民への還元を求めていた。
また、宗教の教義的に本願寺と敵対していた延暦寺であったが、共通の仏敵として信長が現れたため、前回は挙兵したのだ。
それに信長は宗教勢力が力を持つことを認めていない。
堺の自治を認めなかったし、本願寺には五千貫の矢銭を求めた事も影響している。
いずれ信長は延暦寺にも矢銭を請求するかもしれない。そして既得権益を放棄しない場合は、攻めるかもしれない。
今回の使者の派遣は純久の父、関白二条晴良からの願いからであった。
覚恕法親王は正親町天皇の弟であり、前回の挙兵に心をいためていたのだ。そこで晴久から純久へ、なんとか延暦寺に害が及ばないように要請がきたのだ。
しかし、無理だろうな、と同時に純正は思った。
既得権益の排除ほど、パワーがいるものはないのだ。いつの世も抵抗勢力というものはあって、改革に反対する。小泉元首相の言葉が頭に浮かんだ。
確かに、自分が同じ立場にいれば、いくら世のため人のためになるといっても、難しい。自分の利権を捨ててまで、家族や親類の幸せを犠牲にしてまで協力するのは難しいだろう。
そのため、ハードな衝突にならないように、純久を通じて朝廷と信長に、同じ様な意味合いの手紙を送ったのだ。
発 近衛中将 宛 治部少丞
秘メ 延暦寺 准三后様ニ 件ノ申シ入レ 書状ニテ 送リシ旨 朝廷ナラビニ 弾正忠殿ニモ 知ラセヨ 延暦寺ニトリテ ヲヨソ 難シキ 申シ出ナレド 弾正忠殿ニハ ヨシナニト 伝ヱルベシ 秘メ
宗教勢力の腐敗は純正も知っていた。そしてそれが政治にからんでくると、ろくなことがない。そのため小佐々領は政教分離を徹底しているのだ。
信長はおそらく長島の一向一揆衆を、根切りにするだろう。
その恨みつらみは計り知れない。ならばせめて、帝の弟宮である覚恕法親王が座主として統治している延暦寺は、そうさせたくなかった。
「殿、南方より通信が入っております」
「見せよ!」
純正は嫌な予感がした。
今スペインに攻められては、さすがにまずい。信長包囲網がなり、信玄が動けば、吉川をはじめとした西国諸大名が離反する可能性があるのだ。
スペインの兵力によっては、劣勢になるかもしれない。
発 第一艦隊司令 宛 総司令部
秘メ 複数ノ 密偵ヨリ 報告アリ 来ル 初夏 マタハ 初秋ノミギリ ヰスパニア 大挙シテ マニラニ 来襲スル 見込ミ トノ事 昨年 師走ヨリ マニラ ヨリ 南ニテ 調略ヲ試ミルモ 難シ 兵ナラビニ軍船 マタ ソノ サウビ 不明 ナリ 秘メ
来年の初夏、4月から、初秋となると7月である。
「さて、このような通信が入った。みな、どのようにすべきか」
「は、まずは正確な情報を集めることが肝要かと存じます。その後南方、山陰山陽、そして畿内の兵の配置をきめなければなりませぬ。また、その上は、何を一番に考えるかが重要となります」
そう発言したのは、室長の鍋島直茂である。
「それがしもそのように考えまする。あたら兵を分けては、最上の結果は得られませぬ」
庄兵衛と弥三郎は同意する。
「しかし、どこを一番とし、なにをどのように置くかは、さらなる情報の精査が必要となりましょう」
土井清良が発言するが、基本的に直茂の考えの踏襲である。
弥三郎、庄兵衛、清良の3人は、直茂の弟子のような感じになっている。
自由に発言するが、なんとなくではあるが若干直茂の考えに控えめになり、忖度しているようにも見受けられるのだ。
「どこを一番にするのかは、すでに決まっておりまする」
官兵衛が発言した。
「ほう、どこが一番だというのだ?」
直茂が、詰問ではなく、お手並み拝見といった意味合いで聞き返す。
「それすなわち、南方にございます。小佐々家の強さの源は銭にございます。その財をもとに兵を養い武具兵船を整え、西国、いえ日ノ本一の強国となっておりまする」
ふむ、と純正はニヤリと笑いながら聞いている。直茂も少し驚いたが、予想の範囲内のようで、続きを促す。
「南方に拠点を置くことでさらなる産物を生み出し、南蛮との交易を有利に進めております。琉球をはじめルソンやアユタヤ、富春やバンテン王国との交易を失えば、今の小佐々は立ち行きませぬ」
加えて、と官兵衛は続けた。
「仮に、仮に山陰山陽を失ったとて、元に戻るだけにございます。イスパニアを撃退し、戦況を整えてから奪い返せば良いのです。さらに畿内に関しては、大使館の旅団があります。やすやすとは落とされぬでしょう」。
確かに大使館の防衛と、近衛中将や検非違使別当としての役割を果たすことはできる。そして義父である二条晴良とその家族、朝廷を守る事も可能だ。
兵糧や弾薬も数ヶ月分の備蓄がある。
「さらに、南方戦線には第一艦隊の他第二艦隊を投じても問題はないでしょう。必要ならば第三艦隊も投じてよろしいかと。日ノ本には、小佐々海軍に比する水軍はありませぬゆえ」
確かに小佐々海軍が艦隊戦と呼べるものを行ったのは、蛎浦の海戦、早岐瀬戸の海戦、それから錦江湾海戦だ。
しかも蛎浦の海戦は和船同士であり、早岐瀬戸も相手は和船であった。対島津も敵に洋式砲はあったものの、旧式の仏狼機砲で、しかも台場である。水上戦ではない。
大砲を使った距離というアドバンテージがあるのだ。大型船も必要なければ、極端に言えば和船に小型砲を積んでも問題ない。火力ですでに勝っているのだ。
「しかし、南海路の輸送ならびに通信に関しては小型でも洋式の船があった方が良いでしょう」
「そこまで。相分かった。俺も大枠ではそう考えていた。皆、反論はあるか?」
誰も反論はしなかった。
まだ小佐々家中となって間もないのに、どれほどの情報量なのだ? 庄兵衛以下3人はそう感じずにはいられなかった。まさか、その前から……?
「よろしいかと存じます。加えるならば、延暦寺の返事が可でも否でも、京の守りに半個ないし一個旅団を派遣してはいかがでしょう。そうですな、第三師団の第一、第二より移動させ、第四師団から第三へ異動させればよいかと存じます」
直茂は補足の意見を言う。
「ふむ、ではそうするとしよう。直家」。
「はは」
「お主は山陰山陽の諸大名、国人の内情を探って参れ。情報省には話を通しておく。人と銭は惜しまぬ、頼むぞ」
「承知いたしました」
……。
……。
……。
焦りともなんとも言えない、不思議な感情になった庄兵衛、弥三郎、清良の三人であった。
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