第439話 第2.5次信長包囲網への序曲 山は動くか

 元亀元年 十一月


 純正が西日本大会議を開いているそのころ……。


 ■石山本願寺


「和議に応じぬとはどういうことだ! 信長は本当に長島を滅ぼす気か? あやつは仏罰が怖くないのか?」


「上人様、やはり公方はあてになりませぬ。信長になめられて、言う事を聞かせる事が出来ぬのです」


 本願寺法主である顕如は下間頼芸、頼龍、本徳寺証専の3人に対し、怒りを露わにしている。それに答えているのは下間頼龍である。


 信長は9月の初めに、伊勢長島の一向一揆を5万の軍勢で陸と海から攻め寄せ、壊滅的な打撃を与えていた。


 石山本願寺から将軍義昭を通じて和議の要請があったものの、信長は無視していたのだ。前回の和議は稲の収穫までという約束であったし、今回の開戦は道義に反するものではない。


 それに、信長にしてみれば一度完膚なきまでに叩いておかないと、いつ足をすくわれるかわかったものではなかった。


「援軍は送れぬし、海から兵糧矢弾を送る事もできぬ。これで和議もできぬとなると、長島の門徒は見殺しではないか」


「もはや御仏の御心に従うほかありませぬ。しかるに、信長に対しては諸大名と結束し、一丸となって当たらねば、われら仏門の徒は根絶やしにされてしまいましょう」


 頼龍は長島の救済はあきらめ、次の段階に進むべきだと進言している。万策尽きたとはいえ、扇動された長島の一向宗徒はたまったものではない。


 しかし、極楽浄土へ行けると考えているのならば、そのような恨み辛みはなかったのかもしれない。


 いや、本当にそうだろうか? いくら信心深く退く事もできぬとはいえ、そう簡単に人間が死をも恐れずに戦うだろうか?


 キリスト教の聖地回復、十字軍と似たようなものなのだろうか。人種や地域を問わず、宗教の力というのは、ある意味信じがたい力を発揮する。


「ううむ、しかし三好が小佐々に服属した今となっては、われら個々では弱い、信玄はまだ動かぬのか……」


 ■紀州雑賀


「さて、公方に顕如にいろいろと動いているようだが、われら雑賀の鈴木は本願寺に味方する」


 雑賀党鈴木家当主の鈴木重意は重々しくも、わかりきったように言う。


「知っての通りわれら雑賀は門徒も多い。山側の大田党は根来の影響もあって信長につくやもしれぬが、なるべくは直接の戦いは避けたいものよのう」


「そうですね。しかし父上、巷説では『雑賀味方なればすなわち勝ち、敵なればすなわち負け』とも言われております。われらの力は皆知るところ、織田軍など恐るるに足りませぬ」


「ははは、重秀よ、驕るでない。嬉しい話ではあるが油断は大敵、ゆめゆめ忘れるでないぞ」


「はい、父上」


 ■紀州根来


「兄上、われら根来はどうするのですか? また本願寺から書状が来ております。公方だ本願寺だと、考えるのは面倒ですが、どちらかにつかねばなりますまい」


 根来衆の長である津田監物(算正)にそう尋ねるのは、弟で根来寺の子院、杉坊の院主である杉坊照算(すぎのぼうしょうさん)である。


「照算よ、知れた事を。われらは信長が上洛してよりこのかた、織田とは友好的に接してきた。さきの信長と本願寺との戦いも、やれ仏敵だなんだと騒いでおったが、加担せずに良かったであろう」


「では?」


「変わらず信長に味方しよう。どこで戦になろうと、われらがやることはただひとつ、鉄砲を使いて敵を倒すのみ」


 ■越前 一乗谷城


「信長が長島を攻めて二月、もうそろそろ落ちるのではないか」


 朝倉義景は戦よりも文芸に凝っていたようで、和歌や茶道、絵画などの多くの芸事を好んで行っていた。京より一流の文化人を招き、一乗谷を中心に一大文化圏をつくっていたのだ。


 その義景が家老の山崎吉家に尋ねる。珍しく真剣な顔をしている。伊勢長島が降伏すれば、次は越前だとわかっているのだろうか。


「はい、早ければ一月、おそくとも三月で落ちましょう」


「ふむ、尾張の田舎者とあざけっておったが、なかなかにやるではないか。さて、どうすべきか」


「おそれながら申し上げます。今からでも遅くはありませぬ、恭順の意を示し、上洛はできぬとも、その意を伝えるべきです。上洛出来ぬのは加賀の一揆のせいであったと」。


「恭順、のう……」


「信長にではありませぬ。あくまで幕府に従うのです。万が一、万が一戦うとしても今ではありませぬ。後ろに一向一揆衆、それに長政が造反したままでは、勝ち味は少のうございます」


「ううむ、どうしたものか……信玄からの返事があれば、信長など歯牙にもかけぬものを」

 

 ■室町御所


「ええい! くそう! くそう! くそう! 信長め、どこまで余を愚弄すれば気が済むのだ! 伊勢の北畠といい、こたびの長島の和議にしても、少しも余の言葉に耳を傾けぬではないか!」


 義昭は怒鳴り散らし、やり場のない怒りをぶつけていた。


 自分に対してでなくても、怒鳴り声は聞いていて気分のいいものではない。近ごろはその頻度が増えてきているものだから、近習や幕臣はうんざりしていた。


「公方様、お怒りをお鎮めください。今はまだ、信長と表だって敵対してはなりませぬ」


 政所執事の摂津晴門は義昭をなだめる。


「これより発給する御教書で毛利の立場を明らかにし、御内書にて大小の大名をまとめれば、小佐々も織田もそう簡単に公方様に刃向かうことは出来ますまい」


 将軍義昭は表向きはまだ信長と友好関係を結んでいたが、袂を分かつのは時間の問題であった。

 

 ■甲斐 躑躅ヶ崎館


「御屋形様、書状が届いております」


「ふむ」


 信玄は高坂源五郎昌信(高坂弾正)から渡された書状をいくつか読み、ため息をつく。差出人は朝倉義景と足利義昭、そして本願寺顕如であった。


「どのような文でございましたか?」


「聞かずともわかっておろう。朝倉は美濃攻め、公方様は信長の長島攻めの和議の仲介、そして顕如からは長島を助けよ、だ」


 高坂源五郎昌信はそれを聞き、困った顔をする。


「義景め、若狭を獲ったときはさすがよの、と褒めたくもなったが、所詮は京かぶれの文人か。長政ごときに奪われるとは。しかもその長政は丹後まで獲っておる。これのほうがよほどましじゃ」。


「左様でございますか。しかし、弱りましたな。ようやく上杉と和を結び、北条とも盟約を結んだばかり。いかがするのですか? 今は駿河を完全に手中にして、足固めをする刻と存じますが」


「その通りじゃ、確かに織田は大きくなりすぎておるゆえ、今のうちに叩いておく必要はあるが、どうすべきかの」


「御屋形様におかれては、もうすでに進むべき道筋は見えているのではありませぬか?」


「うむ、実はの……」


 そう言って信玄は、武田の戦略として、3つの選択肢を提示したのだ。


 ■比叡山延暦寺


「座主様、われらはさきの戦にて信長と相対しましたが、特段どこを攻めるでもなく、そのうち信長と本願寺が和議をいたしたため、われらも矛を収めました。この先はいかがいたしましょうか」。


 大僧都の尊得が天台座主である覚恕法親王に聞く。


 覚恕法親王は後奈良天皇の息子である。長男であったが母が身分の高い位ではなかったため、藤原一族の女性を母に持つ弟が、正親町天皇として即位したのだ。


「うむ、それについては、これを見よ」


 覚恕が尊得に見せたのは、純正からの延暦寺に対する提案とも言える書状であった。

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