第437話 新しい西国秩序

 元亀元年 十一月二十三日 伊予 湯築城


 戦をなくす為に話し合いの場を設けたのに、これでは話がまとまらない。


 元春の気持ちも理解できるが、大言壮語すぎたのだ。このまま、無条件では元春も引っ込みがつかないであろう。


「では能義郡、四万五千六百四十八石、銭にすれば二万二千八百二十四貫、年に支払おう。それとは別に、毛利本領や小早川領より先んじて商いの助けをし、また、職人の手配もいたす。これでいかがか?」


 全員が、あ然とした。銭を出して、知行地を借りる、だと? そしてそれを尼子に与える?


 現代でいえば賃貸になるのであろうが、ここまで規模の大きい賃貸は聞いた事がない。一番近いイメージで言えば近世における租借地である。


 実際にまともに支払われた租借料はないようだが、租借地という表現が、いちばんしっくりくるであろう。


 そしてこの租借という概念は、この時代では出現が2度目である。そう、浦戸の租借である。純正は直接関わってはいないが、宗麟に事の次第を聞いていた。


 しかしそれよりもはるかに規模が大きい。純正もまさか使うとは思わなかったが、これで元春が折れなければ、いよいよ戦だ。


「馬鹿を申すな! 無礼にもほどが……」


 立ち上がって拒絶と非難の声をあげようとする元春を、隆景と輝元が押さえる。


「もがあ、ふがあ」


「しばし、しばしお待ちを! おのおの方、しばし失礼いたす!」


 そう言って2人は元春の口を塞ぎ、家老の力も借りて、羽交い締めにして力ずくで部屋の外へ連れ出す。


 がちゃり、ばったん! 会議室のドアが開き、閉まる音が響く。






「何をする隆景!」


 元春が開放された口から怒鳴った。


「何をではありませぬ! 黙って聞いていれば言いたい放題! 中将様に暴言を吐いたも同じではありませぬか! 家を、毛利を潰すおつもりか! ?」


 隆景も負けず劣らず、怒鳴り返す。兄弟げんかはまだ続いているのだろうか?


「叔父上、もちろん、限度もございます。我慢の限界はございますが、今はまだその時ではありませぬ!」


 羽交い締めにしたまま、なおも暴れる元春を、なんとか押さえる輝元。


「輝元、おぬしまで何を言うか。いや待て、隆景、今中将様と言うたか? 様とはなんだ様とは。わが毛利は小佐々に屈した訳ではないぞ! なにゆえ中将様なのだ!」


 ばしいいいいいん!


 隆景が元春に放った平手打ちの音が壮絶に響く。


「目を覚まされよ兄上! まだわからぬのですか! 毛利は、小佐々に負けたのです! 戦う前に敗れているのです! それとも兄上は、中将様が言うたように、人が死なぬとわからぬのですか!」


「何をいうか!」


「叔父上!」


「なんだ輝元! 何が言いたいのだ!」


 興奮している元春に、輝元は深く息を吸い、吐き出し、そして心を落ち着かせて言った。


「吉川駿河守よ、その方は、毛利本家から断絶されたいのか? それが願いなら、甘んじてそういたそう。いかがか」。


 叔父を叔父と呼ばず、しかもその方とは、まるで臣下に対する物言いだ。険しい顔をしている。


 二十歳に満たない、頼りない優柔不断の当主はそこにはいなかった。毅然として家を守るため、言うべきを言い、行うべきを行う姿があったのだ。


 元春は叔父に対する礼を失した物言いに、怒るよりも驚きを覚えた。


 叔父二人に対して敬意を表する必要はある。助言を仰ぎ、家の進む道しるべとする必要もあるだろう。


 しかし、毛利宗家の当主は輝元なのだ。吉川と小早川をあわせた、毛利一門の家中を束ねる当主なのである。


「尼子も、出来うることなら戦にて雌雄を決したかったでしょう。その備えもしておりました。しかし、それを恥をしのんで、なんと言われようとも、家の再興のためにここに足を運んでいるのですぞ」


 隆景がそっと口を開いた。


「兄上の考えが全て間違っているとは申しませぬ。ここは考え方次第にござる。小佐々家が銭を出すと言うのです。使えるものは使いましょう。今は、臥薪嘗胆の時期にござる」


 吉川元春も、ひとかどの武将である。


 毛利の両川として輝元を支え、全盛期を築いた。感情的で直情的なところはあるが、愚鈍ではない。有能な武将に変わりはないのだ。






 しばらくして部屋に戻った3人と家臣は席に着き、そして会議が再開された。


「近衛中将様、たびたびのご無礼、失礼つかまつりました。平に、平にご容赦願います。また、尼子殿。戦場にては幾度となく煮え湯を飲まされたが、それとこれは別にござる。ここでの暴言は、それがしの短慮のせいにて、謝罪いたす」


「よい、面を上げよ」


「構いませぬ。どうかお気になさらず」。


 元春は深々と上座の純正に向かって頭を下げた。


 その後許され、さらに尼子に向かって頭を下げた。一時はどうなるかと思われた西国会談であったが、なんとか事なきをえたのだった。


 その後も引き続き議事は進行していったが、三村と宇喜多、毛利と尼子の件以外は、特に問題は起きなかった。


 もともとこの会談のメインの議題だった2つが解決したので、他は服属の意思確認を行うだけで事足りたのだ。


 3日目はその詳細を決めるだけで終わり、閉幕となった。


 両山名家、別所、赤松、浦上、宇喜多の服属、そして三村も毛利の傘下から離れた事で、小佐々に服属する事となったのだ。


 毛利は完全服属とはならないものの、西日本は事実上純正が支配する様になった。


 しかし、西国の火種は、これで完全に消えたのだろうか? そう願いながらも、一抹の不安を拭いされない純正であった。


 追伸:内々の話ではあるが、宇喜多直家と黒田官兵衛は諫早に出仕する事となった。直家は領国経営を弟の春家に任せ、重大な決議事項のみ書状でしらせ決裁するようになったのだ。

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