第434話 中将殿と西国の群雄

 元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城 酉三つ刻(1800)


 50人ほど入る規模の会場には、大名家・国人家ごとに席が設けられていた。


 上座には横長に3つの机が並べられている。真ん中のひときわ大きい机には純正が座り、宗麟、通宣、存保が右手に座る。左手には戦略会議室のメンバーだ。


 純正の机だけ大きく、そして高い。


 向かって右手に毛利、浦上、赤松、因幡の山名の卓があり、左手に三村、宇喜多、別所、但馬の山名(山名祐豊)と尼子の卓がならべられている。


 ここでも、毛利は吉川と小早川を含めているので、他家よりも大きい。


 各テーブルでは、聞こえないくらいの小声で会話がなされているが、純正は別に気にしない。宗麟や通宣、若い三好存保とも気さくに話し、盛り上がっている。


 ■毛利家中


「叔父上たちはどう見ますか、こたびの会合を」


 輝元は元春と隆景に問う。


「どうもこうも、毛利の格を下げる様な事を喧伝しているようなものではないか」


 やはり、というか、納得していない元春は不満が漏れる。


「兄上、何を仰せか。われらは、中将殿に大幅に譲歩して貰った側なのですぞ。それに大友のように全面的に服属したわけではない。されば西国二番手をいかにして維持するか、これにつきましょう」


 小佐々と対決するのではなく、その恩恵を余すところなく受け、西国での影響力を維持、高めようというのだ。


 四分六、体のいい従属的同盟だが、残された道はそれしかない。


 純正は毛利家との経緯を全部公表して、大国毛利ですらこうなのだ、と示すのが一番早いと考えていた。しかし、直茂ほか戦略会議衆に止められたのだ。


 これ以上毛利の面子を潰しては、後のしこりとなる、と。わざわざ言わなくとも、いずれそれはわかる。純正もそれを理解して公表は避けたのだ。


 しかし三村と宇喜多の件で、毛利は関せずと発言し、それに対して毛利が何も反論しないことで、全員がそれを悟った。


 ■宇喜多家中


「殿、隠居などと、真ですか? それに、児島郷や都羅郷の割譲も」


 戸川秀安は心配そうに直家に聞く。


「ふふ、隠居は秀安、おぬしが言うてきた事ではないか。何を今さら」。


「しかし殿は、難色を示しておられた」


「まあ、そう言うな。気が変わったとでも言おうか。あの場でわしが、ああでも言わぬと、よけいしこりが残るであろう? それに、やりたい事が見つかったのだ」


「と、いいますと?」


「まあそれは、後で教えよう。家督は八郎丸につがせるとして、春家を後見にすればよかろう。それにわしも、死んだ訳ではない」


 直家の嫡子である宇喜多秀家は、すでに今年の3月に生まれている。


 史実では2年後だが、予定が早まっている。57万4,000石の大名にはなれないかもしれないが、八丈島に流刑はなさそうだ。


「割譲の件は浦上の宗家には、はからずともよかろう。われらは浦上の臣下ではないのだ」


 ■浦上家中


「行雄よ、いったいどうなっておるのだ? 宇喜多め、帰参を許した恩を忘れおって。児島を勝手に返すとは何事か。いかな我らと同じように小佐々に降るとは言え、礼にもとる行いである」


 浦上宗景は返事はまだであったが、服属の意思を固めていた。


「殿、それはいささか見当違いかと存じまする」


「なに?」


「そもそも我らと宇喜多家は、主従のつながりではありません。寄親に似た形でも、あくまで我が家中のやり方に従う、盟約の相手に近いものにございます」


「それは、確かにそうだが」


「それに、われらは宇喜多を切っております。浦上家を守るため、宇喜多を捨てたのです。その上で礼を語っても、筋が通りませぬ」


「ふむ、確かに、そうであるな」


 宗景は、まだ腹にいちもつを抱えている様である。明石行雄は、不安が当たらなければよいと、願っていた。


 ■赤松家中


「さてどうする? われらは反織田になってしもうた。そもそも宗家を無視して将軍や織田と結ぼうとした政秀が悪いのじゃ。それが時を同じくして、政秀と結ぶ宇喜多とも戦う事となってしまった」


 2年前の永禄十二年(1568)に始まった、赤松政秀vs.赤松義祐の構図である。


 宇喜多直家が浦上宗景から完全に独立するのとあわせて、直家・政秀vs.義祐・宗景と拡がり、結果的に播磨と備前、美作にまたがる戦乱になったのだ。


 赤松政秀は将軍と織田に助けを求め、直家も将軍と織田に近づいた。


 しかし、一時は優勢だった直家・政秀軍も、最終的に赤松政秀は黒田職隆・孝高親子に青山・土器山の戦いで惨敗したのだ。


 さらに宇喜多直家も浦上に降伏して、一連の動乱は終わった。その後政秀は浦上宗景の攻撃を受けて龍野城を奪われ幽閉され、義祐は窮地を脱したのであった。


 しかし結果的に赤松義祐は、いま上座に座る純正の同盟国、織田と敵対している事となる。


「過ぎてしまった事をあれこれ嘆いても、詮無きことにございます。中将様も過去の遺恨を捨て、とおっしゃっています。ご自身の言動と、相反する行いはされますまい」


 従兄弟で一門である、家老の赤松政範が答えた。


「われらが小寺や三木、宇野や利伸に中村をはじめとした在田、広瀬などの国人を統べているのは、他に抗うため」


 義祐はうなずきながら聞いている。

 

「抗う必要がなくなり、本領の赤穂郡に揖東郡、揖西郡の12万石が安堵されるのです」


 その先は、言わなくてもわかる事である。


「よし、先のことはどうなるかわからぬが、ひとまずは服属して様子を見るとするか」


「御意に」


 ■小寺家中

 

「いやあ、なるほど。話を聞くに、傑物じゃな。さすが九州四国の大大名。官兵衛、どうじゃ?」


 小寺政職はオブザーバーとして参加していたが、官兵衛を連れてきていたのだ。


「仰せの通りにございます。殿のご慧眼いかばかりか。それがしより若いとは聞いておりましたが、いやはや」


「そこでじゃ官兵衛。わが小寺は有力とは言え、赤松や別所に比べれば小身じゃ。この先、強い後ろ盾を持たねば生きてゆけまい」


「はは、細やかなる舵取りが必要かと存じまする」


「うむ。そこで、だ。その方、中将殿のそばに行く気はないか」


「それがしが、でございますか?」


 あまりの事に官兵衛は驚きを隠せない。


「そうだ、いろいろと考える事はあるかと思うが、学ぶべきは大いにあると思うぞ。むろん、わが家中を念頭において、だがな」


 そんな所だろうな、と官兵衛は瞬時に理解した。


 この御主君が、意味もなく連れてくるはずがないと思った。見目麗しい近習ではなく、なぜこの俺なのか、と。


 名目上は有能な官兵衛の見識を深めるためだが、政職の狙いはそこにあった。


 諸将の談義は、続く。

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