第421話 毛利の両川、吉川元春と小早川隆景

 元亀元年 十月七日 吉田郡山城

 

「なんだ、どうするのだ?」


「それは、右衛門督様のお心次第にございます」


 意味深な発言で言葉を濁す秀安であったが、輝元の歓心を買うのには十分であった。


「右衛門督様がこのまま小佐々の軍門に降り、独立独歩たる戦国の世の大名として生きないのであれば、それがしの話は無意味にござる」


 輝元は小馬鹿にされているようで気分が悪かったが、顔には出さない。


「毛利は伯耆、出雲あたりを割譲し、生きながらえる事ができるでしょう」


「割譲など、ばかな。そうでないなら?」


「今小佐々は浦上に服属を持ちかけ、播磨の赤松や別所にも同様の使者を送っております。つまるところ、毛利の領国を囲むように支配下におかんとしているのです」


「ふむ」


「まだ浦上も赤松も、別所も返事をしておりません。服属でなくとも、なんらかの盟約が結ばれてからでは動きがとれませぬ。ここは先手を打ち、仕掛ける時にございます」


 むろん、御家中を大きくなさろうという気があればの話ですが、と秀安は加えた。


「また、公方様におかれては、織田、小佐々の増長にあまり良い気分ではないとか。こちらから播磨、美作、備前の件について働きかけております」


「どういう事じゃ?」


「公方様が頼るは、もはや毛利の御家中しかない、という事にござる。『播磨、美作、備前の輩は毛利の家人たるべし』との御教書を発給していただけるよう、願い出ております」


 あまりの話の大きさに、しばらく輝元と恵瓊は唖然としていた。


「しかしそのような事、本当になるのか? 確かにわれらは幕府とも織田とも昵懇にしておるが、話が突飛すぎるように思えるが」


 確かに、因幡や備中ならまだ話がわかる。しかし播磨にしても、美作や備前ですら毛利の影響下にはない。そんな三国の領有を認める文書が、本当に出るのだろうか。


 輝元は半信半疑というより、ほぼ疑っている。


「ですから……ありていに申せば、こたびのこの申し出は、毛利御家中にとっても節目となるものなのです」


 腹の内をさらすというのは、こういうことを言うのだろうか。秀安は内情を吐露する。


「我らが頼みとしていた浦上は、小佐々に屈してわれらを切るでしょう。そうなればわれらは単独で三村、あわせて小佐々と戦わねばならぬのです」


「うむ、そうなるであろうな」


「いずれにしても、われらには後がないゆえ、こうして敵地に乗り込んできたのです。一笑に付すも、熟慮して毛利の今後を考え兵を起こすのも、右衛門督様次第にございます」


 秀安は言うべき事を言い、どこかすっきりした様子でもあった。仮にここに両川がいたとしても、即断即決はなかったであろう。


 ■翌日 


「なんですと? 宇喜多の使者が参ったですと?」


「そうなのです」


 登城してきた隆景に輝元は答えた。内容は次の通り。


 ・尼子の残党が小佐々と結ぶということ。


 ・小佐々が浦上をはじめ、播磨、美作、備前の大名国人を懐柔している事。


 ・伊予の件が小佐々に露見していること。


 ・毛利を包囲する形になり、東進の大計が頓挫すること。


 ・公方に御教書を書いて貰うように働きかける事。


「それで、なんと答えたのですか?」


 吉川元春が確認する。


「重大な事ゆえ、叔父上たちに相談する、と」


 隆景と元春はほっと胸をなで下ろした。若い輝元が独断で返事をしないか心配していたのだ。


「しかし実際のところ、これが真なら、われら毛利は袋の鼠になりつつあると言えます。どのようにすべきでしょうか」。


 明らかに迷っている輝元に、隆景は答えた。


「どうするも何も、わが毛利の方針は亡き父上が残してくれた、天下を競望せずじゃ。しかし、狙わずとも力は蓄えねばならぬ。そして、小佐々とは絶対に争ってはならぬ」


 天下を競望せずとは言っても、まだ中央の大勢力が侵攻してきたわけではない。その時のために、抗えるだけの力は蓄えておく必要がある、と言っているのだろう。


「しかし、伊予の件が露見しているとなると、話は別だ。小佐々の心象は良くはなかろう。それどころか、われらに疑心ありとして、攻め入る口実にもなる」


 隆景の発言に、それです、と答えた後で輝元は続ける。


「使者の戸川秀安もそう申しておりました。小佐々はそれを大義名分にして、攻め入る隙を狙っている、と。しかも備前、美作、播磨の調略を行っているならば、われらはますます不利になりまする」


 恵瓊も含めた4人は考え込んでいるが、隆景が口を開いた。


「いずれにしても、軽々に行動を起こすわけにはいかぬ。小佐々とは敵対しない、この策に異論はないであろう?」


 輝元は3人の顔を交互に見るが、元春が反論した。


「しかし、敵対せずとは言え、ならばどうする? 出雲と伯耆を割譲せよなどと言うてきたら、どうするのだ?」


 十分に考えられることだ。


 純正にとって、もはや毛利と同盟する意義はない。伊予の件で不義理を働かれているし、こちらから不可侵を破棄したところで、痛くもかゆくもないのだ。


 三好は分裂し、阿波三好は支配下にある。仮に毛利領の東側が味方にならなくても、単独でも継戦能力は十分にある。


「その時は……割譲する他あるまい」


 隆景は苦虫を噛み潰したような顔で言う。苦渋の決断ではあるが、生き延びるためには必要だという。


「馬鹿なことを申すな! 父上をはじめ、どれだけの犠牲を払って彼の地を手に入れたと思うておるのだ? それを、はいそうですかと割譲するだと?」


 元春は怒鳴った。


「ならばどうするのです? 戦うのですか! ? 戦って勝てるのですか?」


 隆景も負けじと反論する。


「戦はやってみなければ分からぬ。確かに苦しい戦いになろう。必ず勝てるとも言い切れぬ。しかし、しかしじゃ。戦わずして降るなど、耐えられぬ。勝てずとも、せめて一矢報いる事はできよう」


「何をおっしゃいますか! その一矢のために、あたら兵を犠牲になど出来ませぬぞ。十分に勝てる目算のない戦など、するべきではありませぬ」


 極論を言えば隆景は講和派で、元春は抗戦派である。


「なにも勝てるまで戦を続ける、と言うておるわけではない。初戦で勝つ、もしくは形勢が有利な状態で和議を結べれば、割譲するにしても、より少ない領地ですむやもしれぬ」


「それが出来ますか? どのようにして有利な状況に持っていくのですか? 小佐々の水軍の強さは、島津や長宗我部との戦いで誰もが知っております」


 隆景よ、と元春は言う。


「確かに小佐々は強い、強いと認めた上で、あえて言おう。軍船は風がなくば進まぬし、大砲とやらは鉄砲と同じで雨に弱い。その上、玉も地の果てまで飛ぶわけではない」


「何が言いたいのですか?」


「よいか。われらは一つの城を守るのではない。この広い毛利の領国でいくつもの、何十もの城を守るのじゃ。確かにまともに戦えば十中八九負けるであろう」。


 3人は静かに、黙って元春の次の言葉を待つ。


「しかし、やつらはこの毛利領すべてを包囲するのか? できまい。いかようにも抜け道はあるし、補給を断つことなど出来ぬわ。山陽は無理でも、山陰の湊がある」


 輝元の顔には少し安堵の色が見えるが、隆景は否定的だ。


「それに一里半飛ぶ大砲とて、二里三里先の敵には届かぬ。それゆえ遠浅の海の近くに城を築けば拠点となるし、山中奥深くに潜み敵を引き寄せ、昼夜を問わず奇襲をかけて混乱させればよい」


 ふう、と息を吐き、元春は隆景に言う。要するにゲリラ戦術をもってすれば、十分小佐々を苦しめられるというのだ。


「三好は服属したとてまだ日も浅く、播州摂津は日和見じゃ。備前の浦上も、因幡但馬の山名もどう転ぶかわからぬ。およそ人のやる事、人の作る物に完璧なものなどない。ようはやり様によって変わる、という事じゃ」


「……」

「……」

「……」


 小佐々と戦うならば、おそらくは元春の言った事が、毛利にとって唯一の光明であろう。


 それすなわち勝利とはなり得ないが、被害を恐れず果敢に戦えば、長期戦となって有利に和議ができるかもしれない。


 全員が黙ってしまった。しばらくして、最初に口を開いたのは隆景である。


「ともかく、小佐々との友好がなれば、友好を深める、という事でよろしいかな? 粘り強く交渉を重ね、それでもなお、無理難題を突きつけてくるなら、いたしかたあるまい」


 隆景の発言に、元春が答える。


「それで構わぬが、同時に戦の準備もしておかねばならぬ。むろん気取られぬようにな。因幡の武田や伯耆の南条には釘を刺し、三村は、これは宇喜多を倒せれば良いので問題はないか」


 それから……と続ける元春に対して隆景が言う。


「まだあるのですか?」


「何を言うか、少ない方じゃ。どう転んでも良いようにしておかねばならぬ。隆景、おぬし、肥前へ行け。それから恵瓊、そちは但馬、因幡、播磨、備前、美作を廻り、大名国人に探りを入れよ」


 恵瓊は一言、承知しました、と言いうなずいた。元春の言わんとしている事を瞬時に理解したのであろう、さずがである。


「肥前、でございますか?」


 隆景も答える。


「そうだ。われらはいまだ、純正の治める国がどのようなものかを知らぬし、純正の本心も知らぬ。会わねば、わかるまい」


 元春が隆景に求めた、敵情視察と交渉の役割は重大だ。


「わかりました。肥前に行ってつぶさに見て参りましょう。そして、純正の本心も探り出し、親交を深める策を練るのですね」


「左様。それから……宇喜多は、返事を先延ばしにしておけば良かろう。最後の策じゃ。公方様から御教書が来ても、情勢次第で丁重に断ればよい」


 吉川元春と小早川隆景、そして安国寺恵瓊が顔を見合わせ、うなずく。


「では殿、これでよろしいか? 何か御存念あれば、おっしゃってくだされ」


 輝元は元春と隆景の2人の話をじっと聞いているだけであったが、考え、ゆっくりと答えた。


「何もござらぬ。叔父上達と恵瓊が考えて出した結論である。何も、異論はありませぬ」


 こうして元春は開戦準備を行い、隆景は肥前へ向かう。恵瓊は諸国を訪問して情報収集と調略へと出発し、それぞれの目的にあわせて動き出したのだった。

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