第420話 毛利輝元と安国寺恵瓊、相対するは戸川平右衛門尉秀安なり

 元亀元年 十月七日 吉田郡山城


「殿、宇喜多家臣、戸川秀安と申す者がお目通りを願っております」


 毛利家当主である毛利輝元は、外交僧で顧問の安国寺恵瓊と談笑していた。


 このとき両川である小早川隆景は領国である新高山城(にいたかやまじょう)にあり、吉川元春は日野山城にいた。


「なに、宇喜多の? 恵瓊、どう思う? 会うべきか」


「浦上ではなく、宇喜多が来たという事は、通り一遍の話ではないと存じまする。内容と返事は、聞いてからでも遅くはございますまい」


 恵瓊は笑みをたたえ、落ち着き払って答えた。


「よし、通せ」


 輝元の命のもと、使者である戸川秀安が謁見の間に通される。


「初めてお目にかかります、宇喜多和泉守(直家)様が家臣、戸川平右衛門尉秀安にございまする」


「右衛門督である。面を上げよ」。


 輝元は齢十八とはいえ大国毛利の当主である。毅然とした態度で相対する。


「して、こたびはいかがした。われらと宇喜多、浦上は敵同士。話すことなどないはずじゃが。まさか浦上を見限って、われらにつくとでもいうのか」


 わはははは、と笑いながら冗談を言う輝元であったが、似合わない。


 言動と雰囲気がミスマッチなのだ。それが余計に違和感を感じさせる。しかし、見かけだけでも堂々としていなければならなかった。


「はい、さようにございます」


 輝元も傍らで笑っていた恵瓊も、ぴたりと動きが止まった。


「笑えぬ冗談でござるな。どういう事か、しかと聞かせていただけますかな」


 輝元に目をやり、確認して発言をする恵瓊である。


「冗談ではありませぬ。われらは今より、浦上より毛利に鞍替えせんと思うております。こたびは、その詳しい趣旨を伝えるためまかり越しました」


 秀安は輝元に正対し、堂々と言う。


「ふむ、しかしそれは……ちと難しいな」


 輝元はそういって恵瓊に同意を求めるようなそぶりをした。


「さよう。何の事由もなくば、敵方の有力な国人が我がもとへ降るのだ、拒む理由もない。されど、問題がある」


 恵瓊が主君の言葉に続いて発言する。


「修理進様(三村元親)のことにございますか?」


 一瞬間が空いたが、輝元はすぐに答えた。


「そうだ。わかっていて、なぜここに使者として参ったのだ?」


「それは、右衛門督様は、そうするより他にとるべき道がないからにございます」


 秀安は断言した。


「わはははは、言いよるわ。なぜじゃ? なぜわれらがそなたら宇喜多を受け入れるしか、道がないのじゃ?」


 今度の笑いは虚勢をはったものではない。輝元が本心で笑い、ある種見下したような笑いであった。


「されば申し上げます。もしここで、われらを受け入れなければ、毛利の東進の大計は叶いませぬ」


 輝元の顔から笑顔が消えた。恵瓊も眉間にしわを寄せている。


「御家中には世鬼衆と呼ばれる忍びの一団がおられますでしょう? おおよそは掴んでいるかもしれませんが、まず伊予の件、こちらはすでに小佐々に露見しております」


 輝元は表情を変えない。恵瓊にいたっては、興味深い、もっと聞かせよ、と言わんばかりの顔をし始めた。


「ほう、何のことを言っておるのかわからぬが、それがどうしたというのだ?」


「はい、露見しているとすれば、小佐々はいつでも毛利の不義不忠を声高に叫んで、手切之一札を出せるという事です」


「なるほど。ではなぜ、今やらぬ? 言いたくはないが、小佐々はすでに十分に強い。できるならなぜやらんのだ?」


 毛利元就が死に、父を亡くして家督を継いだ輝元である。


 代替わりをしてわずか3年で国力が逆転したのだ。しかしそれは相対的にであって、決して毛利が弱体化したわけではない。


「それは純正が考える事ゆえわかりかねます。しかし重要なのは、いつでもできる、と言うこと。対して毛利の御家中は、今しか時はござりませぬ」


「それはなぜじゃ?」


 秀安が言う事はある意味正しい。


 すでに大義名分を得、毛利を凌駕する力のある小佐々は、別に急ぐ必要はないのだ。しかし毛利は、東進戦略を立てている以上、そうではない。


 時が経てば経つほど、不利になるのだ。


「まず一つは尼子の件にござる。因幡にて山中幸盛が動き、山名の助けのもと村上武吉や美作の三浦に声をかけ、近々兵を起こすという情報がございます」


「なるほど、それは知っておる」


 世鬼衆も山中幸盛や立原久綱の動きは察知していた。そのため主戦場になるであろう因幡や伯耆の国人衆には注意喚起をしていたのだ。


「しかし、その尼子の遣いが小佐々へ向かっているというのはご存じでしょうか」


「なに、それは真か?」


 輝元は恵瓊と顔を見合わせる。


「十分に考えられる事だが、もしそれを受けて加勢したなら、それこそ小佐々は不義不忠の者となるではないか」


「はい、だからこそ今なのです。遠からず尼子が兵を挙げまする。小佐々の助けは明白ゆえ、声をあげ、相対すればよいのです」


 秀安は、嘘を言うためにわざわざ命がけでここまでこない、とでも言いたげである。輝元はくっくっと笑いながら、ため息まじりに返す。


「さりとて、言うは易く行うは難しである。小佐々と戦って勝てる見込みがない。負ける戦はせぬのが兵法の常道じゃ。それとも、なにか小佐々に勝てるような秘策があるのか」


 輝元は自嘲気味である。大国毛利が、小佐々の顔色をうかがいながら動かねばならぬとは。


「然に非ず。必ず勝てるという保証など、古今東西ありませぬ。厳島も桶狭間も、元就公や信長が勝つと考えていた人などいなかったでしょう」


「何が言いたいのだ?」


「必ずではありませぬが、勝ち味を増やす策はございます」


 秀安の顔にわずかながら微笑みが見える。


「なんだ、どうするのだ?」


「それは、右衛門督様のお心次第にございます」


 意味深な発言で言葉を濁す秀安であったが、輝元の歓心を買うのには十分であった。

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