第406話 正確な時計とライフル銃と気球と石炭ガスにコークス①

 元亀元年 六月のある日 諫早城 時計製作研究会


 小佐々領内では、永禄五年(1562年)に南蛮船が横瀬に寄港してから、機械式時計の研究と開発が進められてきた。


 最初に宣教師よりもたらされた時計には分針がなく、一日に半刻(1時間)以上のズレが生じていたのだ。


 ガリレオによって振り子の等時性が証明されるのは、1583年である。


 しかしこの世界では天文学者である太田和九十郎秋政と、物理学者の源五郎秀政により証明されている。


 この二人は純正の従兄弟で、第一回遣欧留学生であり、純アルメイダ大学の教授、そして天文観測所と領立物理学研究所の所長でもあるのだ。


 また、時計製作研究会には、科学技術省の国友一貫斎(作中で兵器、ライフル研究)や忠右衛門(大気圧、真空研究、研究全般)も所属している。


 物理学、数学、工学、天文学の秀才達が集まって精巧な時計の研究を行っていた。


 その研究のかいあって、家庭用の壁掛け式の振り子時計は誤差が大幅に少なくなったのだ。


 しかし、この研究会が本当に研究と開発を続けていたのは、壁掛け式の振り子時計ではなかった。


 揺れる海上でも長期間誤差がなく作動する、小型の置き型または懐中時計が必要だったのだ。


 航海中に正確な経度を測り、現在地を知り、そして正確な地図を作成するのが最終目的である。


 懐中時計としては最低でも持ち運びできる大きさと重さが必要であったが、今回、小型化に関してはあまり重要ではなかった。


 船に備えつけられる大きさであればよかったのだ。


 必然的に振り子時計より、動力ゼンマイを使った時計へと研究の主題は移っていった。振り子時計も正確ではあったものの、海上での揺れには対応できなかったからだ。


 ゼンマイ式の時計は、1500年にドイツのニュルンベルグの錠前職人であったペーター・ヘンラインがすでに発明していた。


 重さ5kg未満の時計で人気を博していたが、目的とする経度測定では使い物にならなかったのだ。


「さて、なんとかゼンマイ式の時計を制作し、小型化はできたが……。一日に最大で半刻(1時間)も遅れておっては、とうてい実用には及ばぬ」


 座長である忠右衛門が発言する。忠右衛門や一貫斎は叩き上げだ。


「さよう。陸上で使うには毎日ゼンマイをまいて、振り子時計などと照らし合わせて調整すればよい。しかし、海上ではそうもいかぬ。ここ肥前と、例えば台湾やフィリピンなどで比べねばならぬ」


 弟子である一貫斎も発言したが、長い間八方塞がりであった。


「それについては、これを……」


 製作研究会発起人の、九十郎秋政が発言する。見ると、卓上に取り出した置き型の時計があった。


「九十郎、これは……新しい時計の試作品なのか?」


「はい、これは新しいぜんまいを装着したものにて、これにより、時針だけでなくさらに細かい針も装着可能となりました」


 ほほう、と忠右衛門と一貫斎は興味津々で時計を覗き込んだ。


「ヒゲのように細いので、ひとまず『ヒゲゼンマイ』と呼んでいます」


「ヒゲゼンマイ……それを使えば時計の精度がさらに上がるというのか?」


 忠右衛門が確認する。


「はい、それについてはこちらの慈恩張秦が説明します」


「正確にはこれにより、時計が持つ本来の精度を維持できるのです」


 六分儀の完成と同時に発足した研究会だが、それ以前より経度の測定のためには正確な時刻の測定が必要だとわかっていた。


 そのため秀政は、以前より時計の開発研究を独自に行っていたのだった。

 

「それはすごい! なるほど、針がもう一つあるではないか。と、いう事は誤差もそのくらいに収められたという事か?」


 忠右衛門も一貫斎も物理学者としての一面があるが、どちらかというと技術者だ。良いものは良い、と判断して評価する。


「時計の精度というのは、ゼンマイが供する力が最初と最後で等しくない事から生じていると考えたのです。それゆえ、一定の力を供する仕組みを考えておりました。それがこのヒゲゼンマイなのです」。


 針心は、九十郎のおかげだと言わんばかりに照れながら、秋政を見る。


「九十郎、素晴らしい! それから針心とやら、おぬしもすごいな。これで、誤差はどのくらいなのだ?」


 源五郎秀政が言う。九十郎秋政と同じく、従兄弟で物理学者・数学者・化学者である(作中で初期の蒸気機関を発明)。


「それが……干支が十二なので、この長い針は半刻を六十で分けております。そのうち四、もしくは五ほど遅れがでます」


 針心が申し訳なさそうに言う。しかし、秀政は意に介さない。


「何を言う! 今まで半刻ごとにしか時を知る事が出来なかった。振り子時計は別だぞ。仕組みがまったく違うのだからな。それをさらに六十にわけて、誤差がそのうち五、とは」


 秀政はわはははは、と笑い、針心の肩を叩く。年齢は針心の方が上なのだが、いっこうに気にしない。


「それにおぬし、独学で学び、時計を作って修理なども行っておると言うではないか。おぬしであれば、さらに誤差を縮める事ができる」


 秀政だけでなく、忠右衛門や一貫斎も称賛の声をあげ、全員がたたえる。ガリレオ・ガリレイ、ロバート・フック、クリスティアン・ホイヘンスを、超えてしまった。


 世界最先端の頭脳が集まり、資金と労力と物をかければ、技術は格段と進歩する。……してしまった。

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