第407話 元亀通宝=永楽通宝?

 元亀元年 六月某日 諫早城


 三年前の永禄十年十一月より、純正は小佐々領内で撰銭令を発布して貨幣の流通を促進していた。


 金一枚が金十両、金一両が四分で、それが十六朱となり銀一枚と同じ価値になる。銀一枚は銀五十匁で銭四貫文、すなわち四千文となる。


 加えて銭一疋が十文で、銭一貫文は一千文だ。


 ここで言う一文は永楽銭一枚である。まずは通常の貨幣のレート(交換比率)を決めた。次に問題となっていた鐚銭や悪銭と交換するためのレートを決めたのだ。


 永楽銭を基準貨幣として一枚で一文とする。


 そして、宣徳銭や宋銭などの渡来銭は基準銭の二分の一の価値、破銭などは五分の一、私鋳銭は十分の一に分ける。


 新しい貨幣と紙幣をつくって流通させる……とまでは、まだいっていない。


 しかしこの三年で十分に信用を得、当初肥前のみで始まった撰銭令も、九州と四国全域で好評であり、京都でも人気である。


 二年前の永禄十一年(1568年)四月に、京都で小規模ながら試験的に行った新貨幣と新紙幣も、問題なく流通している。


 新紙幣と新貨幣は小佐々商店のみの利用だが、新しい貨幣の鋳造に関する信用の素地はできた。


 九州は金、銀、銅とも鉱山での産出は豊富であるし、四国でも伊予や土佐では産出される。肥前と筑前は撰銭令より前から採掘しているし、発布されてから各地で産出している。


 よって信用となる金、銀、銅、そして膨大な通貨取引による永楽銭は豊富にある。


「さて、というわけなんだが、みなの意見を聞きたい」


 純正の前には平戸道喜、神屋宗湛、島井宗室、仲屋宗悦といった九州の豪商がいる。


 神屋宗湛が最初に答えた。


「確かに肥前様の撰銭の令に従い、三年の間に我らの商いもさらに順調とあいなりました。領内では新たな交換の習慣が身についており、商いの賑わいが見受けられます」。


 仲屋宗悦は指をそろえてテーブルに触れながら言う。


「さよう。今ではみな新しい比率に慣れ、取引も滞りなく行われています。京での試みも量は少ないが評判が良い。これならば、もう少し広げても問題はないかと存じます」


 しかし、と平戸道喜が釘を刺した。


「新しい銅銭と、紙の銭をつくるとなると、話は別です」


 他の三人もうなずきつつ同意する。


「例えば、そうですね、銭を『幣』として金銀銅は『貨』で貨幣としましょう。そうすると紙の幣ですから紙幣となりますが、それを新しくするとなると、また信用が必要となります」


「どういう事だ?」


 なんとなくイメージはできたものの、純正は道喜に尋ねる。


「いままでは『あるもの』を『あるもの』と交換したので、問題ありませんでした。事実撰銭自体は目新しい事ではありません。交換の比率を決めた事に意味があります」。


 うむ、と純正。


「しかし新しい貨幣と紙幣は信用がありませぬ。肥前様の領内とはいえ、銭は銭です。簡単に流通させるのは難しい。ゆえに信用を得るのに、さらに月日が必要となります」


「なるほど、ではどうすれば良い?」


「そうですね……」


 道喜はしばらく考えてから、答えた。


「信用を作り出すのは時間がかかりますが、信用のあるものから、信用を借りれば、時間はかかりませぬ」


「信用のあるもの?」


「はい、信用や権威のあるものから、それを借りるのです」


 権威、という言葉が出たときに、純正は手を叩いた。


「朝廷? 幕府か?」


「さようにございます」


 道喜は静かに返事をした。


「なるほど、それであればお墨付きであるから、信用を重ねるのに時間はかからぬ」


 島井宗室も同意して、顔が晴れやかになる。


「新しい貨幣と紙幣が領内だけしか使えないとしても、朝廷の権威や正当性があれば、将来的に日ノ本すべてで使えるようになっても問題は起きない、そういうことだな?」


 四人全員が純正をみて、うなずき、同意する。


「しかし、いずれにしても、偽造を防ぐ手立てを考え、どの程度つくって流通させるか、そのさじ加減が重要です。京都では少量であったのと、小佐々商店のみでの利用で成功しました」


 神屋宗湛が発言し、うむ、と純正がうなずく。


「例えば製造所は厳重に監視し、職人は裸になって作業着に着替えるくらい厳しくする。紙は裏と表で違う色、または材質、産地の違う紙を使う、いくつかに分けた版木を使い、厳重に管理するなど徹底します」


「そこまで徹底するのか」


「はい、徹底すぎるという事はありませぬ」


 宗湛はその意味をよくわかっている。


「あいわかった。管理や監視、それから偽造防止については考えよう。みな、今日はご苦労であった」


 ■岐阜城


「みな、どう思うか」


 信長は純久経由で聞いた純正の提案に対する考えを、居ならぶ家臣に聞いている。織田領内でも同じように新通貨と紙幣が使えるようにできないか、というものだ。


「われわれも昨年、小佐々に遅ればせながら、同じような撰銭令を領内にて施行した。結果は概ね良い。小佐々のように交換は出来ぬが、比率を決めることで銭を使う量が増えておる」


 撰銭令と純正の施策に肯定的な信長に、秀吉が同意する。


「さようにございます。商人どもも喜び、品々も良く領内に出回っております。しかし……」


「しかし、なんじゃ猿?」


「はは。問題はわれらが小佐々と同じ立場、状態ではない、という事にございます。造幣するための作業場もなければ、信用の裏付けとなる大量の金銀銅に永楽銭がありませぬ」


「ふむ、足りぬか」


「足りぬかどうかは、小佐々が今、どれほど持っているかによりまする。それよりも、造幣のための作業場でござる。どれほどの間にどれほど作るか、われらは関われませぬ」


 うむ、と信長。


「例えば永楽銭一文が、小佐々がつくる新しい、仮に元亀銭と名づけるとして、一万貫文、二万貫文、三万四万と際限なくつくったら、どうなるか? それだけ銭の価値は下がりまする」


「と言うことは、酒一升が七十文で買えた物が、百文になり、二百文になる、と言うことか?」


 信長が少し考えて言った。


「さようにございます。元亀銭(=永楽銭)が大量に供される事で物の値があがりまする。さすれば民が物を買う事を控え、銭を使わなくなり、もとの米などを中心に回りだしましょう」


 信長の顔も険しい。


 このまま小佐々の貨幣政策を織田領内で導入すれば、織田家中の経済の安定性に影響を与える可能性がある。


 他国との商取引の割合や物価の動きに、大きな影響を及ぼすかもしれなかった。


「あいわかった。ではこたびの提案は保留とし、わが領内でも純正と同等のしくみを実践できるようにする。すくなくとも共同で営む造幣所でなくてはならぬ」。


 こうして信長は、純正が行おうとしている新しい貨幣政策に大いに興味を持ちつつも、自領にそのまま取り入れるのは時期尚早として、保留としたのであった。

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