第393話 織田信長、第一次包囲網なるのか?

 元亀元年 二月 諫早城


 一月の末に進発した浅井軍一万は、若狭の粟屋勝久と呼応して、またたくまに若狭を制圧した。長政は、決断したようだ。


 父の久政を幽閉し、見張りをつけ、外界との接触を禁じたのだ。


 驚くほどの抵抗はなかった。事前の磯野員昌の根回しが効いていたのだろう。どう考えても、朝倉と組んだところで、浅井の未来はない。


 先代、先々代の恩義が仮にあったとしても、縛られてはいけない。


 浅井軍の侵攻とともに、武藤友益は朝倉に救援を依頼した。本来であれば朝倉軍と浅井軍の戦闘が起きるはずであった。しかし、起きなかった。


 周到に長政によって準備された加賀一向一揆衆が、越前に攻めてくる気配を見せ、義景は動けなかったのだ。


 結果、友益をはじめとした国人衆は降伏し、長政と勝久(粟屋勝久)が若狭を実効支配する形となった。残す課題は一乗谷に軟禁状態となっている武田元明である。


 元明を奪還して、若狭守護として返り咲かせる事が公方義昭の狙いであり、長政の大義名分であった。


 京都の大使館には、純久がつくった商人ネットワークで、東は相模、甲信越から西は但馬や播磨、淡路に阿波までの情報が集まってくる。


 その情報がそのまま純正に届くのだ。堺湊からは土佐の甲浦、室津堀湊、浦戸、下田川湊、宿毛と通じて佐伯湊への通信専用船が就航している。


 南九州へは宿毛から、または下田川湊から直接日向の延岡湊、油津湊、志布志湊を通って種子島から薩摩へ向かう船があるのだ。


 そうはいっても風次第なので、正確な時刻で運航は出来ない。それでも早ければ3日(もっと早いかもしれないが)、遅くても1週間程度で移動が可能である。


 しかし、西土佐の宿毛と室戸岬東の甲浦湊が街道が整備され、通信環境が整ってくれば、早ければ2日、遅くとも3日で片道通信が可能となる。


 しかも海路の航程が短くなるので、天候に左右されることがなくなるのだ。


 街道の整備と通信設備の敷設は、小佐々領内で急ピッチで進められている。まさに、街道特需である。何万人もの労働者が領内の整備にあたっている。


 ちなみに豊後府内から佐伯湊までは、昨年中に工事が終わり通信可能となっている。




 しばらくして、幕府より義景へ武田元明の身柄引き渡しの命が下り、使者が越前を訪れた。


 本来であれば、若狭を実効支配するための元明の幽閉である。代々続く若狭守護の血筋がいたのであれば統治しずらい。


 そのため保護の名目で連れ帰って幽閉していたのだ。


 しかし、いまや若狭は長政の軍に攻め取られ、親朝倉勢力は駆逐された。状況を考えれば、元明を手放し、越前の統治に専念するのがベストである。


 加賀の一向一揆の対処もせねばならず、出兵もままならない状況では、元明を一乗谷に幽閉しておくメリットがない。


 誰もが使者の言うとおりに元明は解放されるものと思われた。


 しかし驚くべき事に、義景はこれを突っぱねたのだ。


 義景の言を用いればこうである。長年若狭は国人同士の争いが相次ぎ国が疲弊していた。守護にはもはやこれを収める力もなく、荒れ果てる一方である。


 わが越前には若狭より流れ来る民も多く、その家族もいまだ若狭にて苦しんでいるという。その親類縁者を助けるために兵を出し、争いをなくし、危険から守るために一乗谷にて保護している。


 今またこれを戻したところで、さらなる争いが始まるだけである、と。


 ちなみに長政は元明が解放された後、義昭の口添えで若狭の守護代になることが内定していた。


 領地に関しては事前に粟屋勝久と打ち合わせていたように、小浜から近江国の朽木谷の北、大杉村へ抜ける街道沿いの村々を獲得したのだ。


 十八カ村で九千六百三十七石である。


 ただ、事実上街道の村々の領有はあまり意味はない。もともと若狭自体が十万石に満たない土地なのだ。石高に価値を求めるのは意味がない。


 長政にとっては小浜の権益が目的だったのだから、通行権さえあれば良かった。


 これで資金を稼ぎ、小佐々と同じように傭兵を年中雇い、織田とも対等に渡り合えると考えていた。


 ただし、あまりにもあからさまに利益をあげすぎると勝久の妬みを買うので、いくらかの利益を渡す。この辺のさじ加減が難しいのだろうが、そのうち力を蓄えて勝久を追い出すのだろう。


 さて、問題は義景である。古来より戦争というのは主義主張の違う者同士がぶつかり合い、言葉で決着がつかない場合に武力衝突となるのである。


 戦争と平和、というのがまことしやかにささやかれるが、これは間違いである。さも戦争の反対が平和のような位置づけだが、全く違う。


 平和の反対は混乱であり、手段である戦争の反対は、おなじく手段である外交である。


 外交、つまり言葉のやり取りで済んでいる時は平和である。しかし外交で済まなくなり、武力で解決を図るようになると、それが戦争であり、混乱となる。


 義景にとって幕府の言い分は聞く事はできず、幕府にとっても義景の主張は受け容れられる物ではなかった。


「さて、どうなると思う? そしてわれらはどうすべきか」


 暗号化された通信文を解読し、その情報を精査したものが戦略会議室で協議される。今回は一刻を争う事態ではないので、閣僚も集めた全体会議である。


「利三郎、どうだ?」


「京での治部少丞殿のお話や、今までの知らせを聞く限り、少なくとも交渉を行う上では問題はありませぬ。親織田勢力とはわれらも親しく、反織田勢力とは結んでおりませぬゆえ」


 うむ、と純正。


「さしあたり交渉事で問題も生じておらず、毛利も今の所、何も申しておりませぬ」


 毛利にとっても、今われらと事を構える時期でないことは、良く理解している。西と南が小佐々の領国なのだ。ここは東へ進み、瀬戸内を制する事を考えているだろう。


「三河守、来島から調略の件で報告はきておるか」


「は、奈良氏、香川氏、細川氏においてはよい反応であると聞いております。これにより塩飽衆や真鍋衆も味方につくかもしれぬ、と。また、小豆島の安富氏は三好とは縁戚ゆえ厳しいと」


「ははは、さすがであるな。小豆島はよい。もともと瀬戸内の東すべてを手に入れようとは思うておらぬ。毛利が使えぬようにできればよいのよ。いまはまだ、三好の力は強いゆえな」


 三河守の報告に満足げにうなずく純正である。


 瀬戸内海は島が多く、海賊も出没する。悪天候に悩まされる事は少ないが、大型船で航行できれば、南海路の方が利益がでるし、早い。


 九州や四国の産物は、小佐々が開拓した南海路で運ばれる事が増えてきたのだ。


 もちろん全部ではない。畿内の商人で瀬戸内航路を使う者もまだまだ多いのは確かである。


 しかし、帆別銭が安く、海賊もおらず、天候の影響もあまりうけないとなれば、自前の船を持たなくても小佐々海運に任せればいい。


 そのうち、流通量が逆転するだろう。


「海軍、陸軍はどうだ」


 純正の問いに対して、陸軍大臣の深作治郎兵衛兼続と、深堀中務少輔純賢が答える。


「陸軍は一個旅団を安芸郡野根城、もう一個旅団を伊予の新居郡、西条へ配置しております。いつでも、動けまする」


「うむ」


「海軍は第一艦隊に球磨が就役し、三月には七番艦多摩も就役します。それに伴い、現在は第二艦隊を浦戸に配備し、第三艦隊を佐伯に配備しております。こちらも、いつでも出港可能です」


「うむ。陸海軍はそのまま滞りなく配備を続けよ。直茂、なにかあるか」


「は、義景が動かないのが不気味にございます」


 直茂は懸念すべき点として、義景が動かない理由を考えているようだ。


「勝ち目のない戦なれど、見誤っているのか勝算があるのか、はっきりしませぬ。十分に注意が必要かと。あわせて三好には、通告を出しておいた方がよいと思われます」


「通告?」


「はい、不意討ちにならぬよう、先の先の公方様を弑し奉った張本人として討つ、と。そうすれば、迂闊な動きはせぬでしょう」


「相分かった。その様に致すがよい」。


 その後、様々な議題が話され、2月度の全体会議は終了した。

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