第383話 鎮西平定ナレドモ四国ハ西園寺ガ残リケリ

 永禄十二年 十二月二日 丑一つ刻(0100)諫早城


 隣国に攻められたり飢饉の発生や疫病など、一刻をあらそう場合は、深夜であれ純正の元には緊急通信が入ってくる。迅速な対応が求められるからだ。





 発 石宗衆 宛 総司 秘メ ※島津義虎謀反 東郷ヘ向ケ 進軍 数 二千アマリ 十二○一 巳一(0900)秘メ 


 十二○一 酉三(1800) ケ 宇土信号所 





「やはり※義虎は動いたか。伊東はどう出るであろうな。相良と肝付には指示を出してある。他に動くとすれば、北鄕か」


 純正は事態を予測して、島津義久と相良義陽、肝付良兼に対応できるように準備させておいた。


 三人には全貌を話した訳ではない。それぞれに注意を促し、動きがあれば兵を起こして討つように伝えていただけだ。


 三人とも報せを受けた翌日には出陣して、決戦となれば勝負は決すだろう。


 後詰めとして、堅志田から派遣している第一師団の一個旅団六千名を、相良の兵と一緒に南下させる。


 朝日嶽城の第三師団からは二個旅団が四国にいっているが、残りの一個旅団を南下させても問題はない。


 純正は事前に考えていた策を実行に移す。


 ■十二月二日 辰一つ刻(0700) 内城


 島津義弘は兵五千を率いて東郷へ向かった。


 分家とはいえ一門衆への攻撃には後ろめたいものがある。義虎は父である実久とは違い、相州島津、宗家に従ってきたのだ。


 内城から東郷の鶴ヶ丘城までは十二里(約49km)、二日の行軍で到着したのが三日の酉三つ刻(1800)であった。


 鶴ヶ丘城に到着した義弘軍は義虎軍を探したのだが、姿が見えない。伏兵や計略の類いかと疑ったが、見通しの良い平地で伏兵をおく地形ではない。


 警戒をしつつ、義弘は入城して状況を確認する事にした。城主の東郷重尚に確認したところ、一日の夕刻に義虎軍は到着していたようだ。


 二日目の朝から攻撃を開始したらしい。多勢に無勢、すぐにでも落城するか、と思われたとき、突然義虎軍が攻撃をやめ退却したようだった。


「ふふ、ふはははは! たわいもない。おおかた相良が南下して、出水城を攻撃したのであろう」


 純正は錦江湾で条約を結ぶとき、三州守護の地位は約束するので、問題が発生したら速やかに対処するように言っていた。独力での対処が難しい場合は支援もする。


 しかし最初から相良を動かすつもりだったとは。信用されていないのか、それとも被害を最小限に収めたかったのか。


 事実相良は、義虎が出兵するという情報を掴んだあと、すぐに陣触れを出して出水城へ兵を向かわせたのだ。


 普通なら陣触れを出し出陣するまで半日から一日はかかる。しかし相良義陽は事前の情報で一日に義虎が動くという事を知っていた。


 純正からの指示でもあったのだが、待機させていた兵と小佐々陸軍の一個旅団、総勢一万の軍勢が、一日の夕刻には出水城近くまで軍を進めていたのだ。


 二日の朝から降伏勧告をして、従わなかったので数回砲撃を行ったのである。その轟音と威力に腰を抜かした城兵は、すぐに降伏を申し出てきた。相良軍は出番なしである。


 義虎軍側に数名の死者が出た程度で、ほぼ無血開城の状態で出水城は陥落した。義虎が出水城に戻ったときにはすでに、相良の旗が城内にたなびいていたのだ。


 義虎は十一月の末から相良が兵を集めていたのを知っていた。普通であれば、そう、小佐々家の介入により島津宗家が降伏する前であれば、十分に警戒をしていたであろう。


 しかし、今回は伊東の使者の件もあり、やはり相良も兵を起こすのだ、と信じて疑わなかったのだ。小佐々陸軍は少し北側に展開しており、しかも隠蔽工作をしていたため発見されなかった。


 三日の昼過ぎに出水城に到着した義虎軍は、目を疑った。いるはずのない相良軍と、小佐々軍が城を包囲、陥落させていたのだ。


 二千対一万では戦いにならない。勝てるはずがない。


 義虎は南西にある阿久根城へ撤退した。なぜだ? なにが間違ったのだ? わしはここで終わるのか? 伊東はどうした? 他の国人衆は何をしているのだ?


 もはや冷静な判断ができる状態ではなかった。


 五倍の兵力、そして内城から北上してくるであろう島津の軍もあわせると、七倍から八倍になるであろう。


 肝付や他の国人衆が蜂起していないなら、間違いなく北上してくる。


 彼我の戦力を比較して、明らかに勝てないのであれば降伏するしかない。


 武門の誉れや玉砕の覚悟もあるだろうが、なにか目的を果たすための時間稼ぎなら、百歩譲って良しとしよう。


 史実であった岩屋城の高橋紹運の戦い方のように、悲しい出来事だが戦略的に豊臣軍の到着まで島津を引き留めた役割は大きい。


 しかしここで徹底抗戦したところで、無意味だ。巻き添えをくう家臣や足軽兵などは、たまったものではない。


 四日の朝に鶴ヶ丘城を出発し、斥候の報らせを受けた義久軍は、阿久根城を包囲した。


 海を隔てた長島(鹿児島県長島町/天草諸島)への撤退も可能である。


 しかし、義虎は撤退はしなかった。撤退したところで、何も変わらない。時間がたてばたつほどみじめになり、状況は悪くなる。


 義虎は、自分の命と引き換えに家族と城兵の助命を乞い、開城した。




 ■十二月二日 辰一つ刻(0700) 都於郡城


「出陣じゃあ!」


 声変わりもしていない幼い当主のかけ声に、おおおう! と応える新生伊東軍の軍勢は五千。がら空きの野々美谷城ならば十分の軍勢である。


 副将は伊東祐青、軍監として荒武宗並と山田宗昌が同行する。


 ■十二月二日 巳の三つ刻(1000)廻城(鹿児島県霧島市福山町福山字前平)


 廻城に到着した※北鄕軍は、到着するやいなや攻撃を開始した。


 日隅薩肥(日向、大隅、薩摩、肥後)で同時に反乱が起きているのだ。反乱軍はおのおの目的の領土を奪い、さらに拡大するべく周辺を切り取る。


 南の肝付は禰寝と伊地知の旧領を取るべく西へ動くだろうが、北の加治木肝付は別だ。周辺を切り従えて南下してくるだろう。


 そうなる前に廻城を落とし、国分清水城まで兵をすすめて攻略する考えである。


 ※北鄕時久は、一刻も早く廻城を落とし、北上したかったのだ。


 一方、南の肝付良兼は一日の夕刻には時久の出陣を知っていた。


 陣触れを出した翌日の二日、辰二つ刻(0730)には大隅高山城(鹿児島県肝属郡肝付町新富字本城 )を出発したのだ。


 両軍が対峙したのは四日の午前であったが、なぜか※北鄕軍の様子がおかしい。


 ※時久軍の士気は低く、疲れているようだ。


 二千対四千であれば、確かに数の優位は肝付側にあるものの、そこまで圧倒的な兵力差ではない。将の能力や兵の士気、その他の要素で負けが勝ちになりうる。


 良兼がその理由に気づくのに時間はかからなかった。


 圧倒的な量の鉄砲と、城内から放たれる大砲の砲撃に度肝を抜かされ、なすすべもなく時久軍は右往左往していたのだ。


「いったいどういう事なのだ! なぜあのように鉄砲が無数にあるのだ。それになんだあの大砲は、話には聞いていたが、なぜ廻城に備え付けられているのだ?」


 純正は、北鄕が攻めるなら廻城だと考えていた。そのため、事前に陸軍の歩兵と砲兵を配備していたのだ。


 十倍近い兵力で油断していた事もあったのだろう。予想外の抵抗と見たこともない大砲の攻撃に、北鄕軍の指揮系統は混乱した。


 結果、昼過ぎには北鄕軍は敗退し、ちりじりになって都之城へ逃げ帰ったのであった。


 ■五日 午一つ刻(1100)※野々美谷城(宮崎県都城市野々美谷町)


 城兵は百名もいなかった。無理もない。


 それこそ全兵力で大隅の廻城を攻めているのだから、伊東からの攻撃など考えていなかったのだ。衆寡敵せず、一刻もしないうちに野々美谷城は陥落した。


 降伏してきた者に関しては寛大な処置が施されたのだが、伊東軍は守りに五百の兵を残し、すぐに北鄕の本拠地である都之城へ向かう事にした。


 伊東軍の首脳は、そのまま都之城へ進軍する事を選んだのだ。偽書の件の汚名をそそぐには、まだ足りないとの考えがあった。


 ■六日 辰三つ刻(0800)都之城(宮崎県都城市都島町)


 前日、命からがら逃げ帰った北鄕時久とその兵達に、悪夢が襲った。野々美谷城を落とし、そのまま進軍してきた伊東軍が、一斉に城へ攻撃を仕掛けてきたのだ。


「なにい!? いったいどうしたと言うのだ? なぜ伊東の軍がここにおる? 真幸院へ向かったのではないのか?」


 伊東と薩州島津義虎との密談は、忍びからの報告で知っていた。


 確かに、本物か偽物かは別にして、密談は行われたのだ。しかし、そんな事はどうでも良かった。時久は自らの野望が砕け散ったことを知ったのだ。


 もとより、戦にはならなかった。城兵はことごとく降伏し、時久は名もない雑兵に討たれて死んだ。


 純正は島津からの助命嘆願があったが、義虎を自害させた。北鄕時久も島津義虎も、この降伏は二度目(時久はしなかったが)なのだ。


 それに、家を守るために、仕方なく逆らった訳ではない。自らの欲のために逆らったのだ。


 命は尊い。純正は、基本的に降伏してきた者の助命嘆願は受け容れる。しかし、すべてを許していれば、簡単に背くのだ。


 殺したくて殺しているのではない。義虎と時久の所領は完全に没収したが、一族の命は助け、小佐々に従って生きるのなら、俸禄を支給する事を約束した。


 こうして庄内東郷の乱は、十二月の一日に発生して、わずか五日で鎮圧されたのであった。

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