第337話 肥薩戦争④圧倒的な艦隊の火力と狭間筒

 十月九日 午四つ時(1230) 禰寝湊沖 旗艦 金剛丸 艦上


 双眼鏡で禰寝の湊をみると、瀬脇城から逃げてきた兵が湊を通り抜け、国見城へ走っていくのが見える。男も女も関係ない。まさに老若男女が。


「との」


 艦隊司令の姉川惟安が聞いた。


「なんだ」


「その、こたびはよろしかったのですか」


「なにがだ」


 純正は振り向きもせず、双眼鏡を覗き込んで、湊の状況をみている。


「いえ、以前までは領民に対して逃げるように触れを出しておりましたので」


「いらんやろ(いらないだろ)、別に。おいの領民じゃなかし。そい(それ)に城におっと(いるの)は兵士やろ。いらんさ」。


「は」


 純正の表情はわからないが、おそらく無表情だ。


「国見城はどうだ、入ったか」


 測距員からの報告を待つ。


「右城郭、距離サンヒトテンヒトマル(三十一町十間・3.4km)」


 砲戦用意は解除せず、そのまま発令している。


「よし、撃ち方はじめ」


「撃ちー方はじめ! 距離サンヒトテンヒトマル、仰角二十七度」


「用ー意、(撃)てー!」


 仰角調整は砲術長に任せて、純正以下司令陣は双眼鏡を覗き込んでいる。信忠たちは貸与された双眼鏡を使って見ていたが、震えが止まらない。


 最初こそ純正の喝が効いて萎縮していたが、羽目を外さない範囲で緊張感を持っていた。双眼鏡も最初は奪い合いに近い状態であった。


 しかしそれも、次々に命中していく様を見ているうちに、一人、また一人と茫然自失になっていった。一体何が起きているんだ? これは夢なのか、なんなのだ。


「よし、次」


 一通り砲撃が終わると、撃ち方やめの号令がかかり、舵を左にきる。


「とーりかーじ、取舵十五度」


「もどーせー」


「舵中央、針路三百十五度」


 砲撃が終わると、何事もなかったかのように右舷側の戦闘用意が解除され、見張りを厳とする。禰寝湊から島津軍の軍船が近づいてこようとするが、追いつけない。


 追いついたとしても鉄砲で狙い撃ちである。


「艦橋ー右舷、陸地にのろしらしきもの認む」


 右舷見張りからの報告に右舷方向を見る純正だが、取舵転舵したので後方になる。見張りの発見が遅かったのかもしれないし、混乱して今、のろしをあげたのかもしれない。


 しかし純正にとってはどうでも良かった。伝左衛門の報告では、距離が五町(545m)をきってから砲撃してきたとあった。つまり、射程がその程度だという事だ。


 注意深く観察するが、こちらに当たる要素がない。だらがのろしなど、どうでもいい。


「艦橋ー左舷、左三十度、距離フタヨン、砲台らしきもの」

「艦橋ー右舷、右六十度、距離フタゴー、砲台らしきもの」


 左右、ほぼ同時に報告が入る。


 左舷が天保山砲台、右舷が赤水砲台である。ふと純正が微笑んだ、かに見えた。われらの技術を盗んでここまでやったか、と思ったのだろうか。


「左砲戦、右砲戦用意、右舷、左舷、各個に測距」


 双眼鏡からはどちらの砲台でも、兵たちがあたふたと動きながら発射の準備をしているのが見えた。


 両舷から砲撃準備が整った報告を受けた純正は、少し考えている。


 なにかの礼儀? ではないが、予防線として最初に撃ってきて欲しかったのだろうか。しかし、すぐに考え直し、指令を告げた。


「撃ち方始め」


「……待て」


 すぐに命令を中止し、左舷のみに命令を発した。


 最初は、ちょうど目標である砲台も両舷方向にあるのだ、両舷一斉に発射したらどうなるのか? という訓練も含めたデータ分析をしようとしたのだ。


 しかし砲撃の衝撃が倍加するであろうし、さらに命中精度が落ちるかもしれない。そして、両舷に敵が存在するケースというのはあるのだろうか? とも考えた。


 船体の揺れが予想外に起きて、航行に支障をきたすかも知れない。いずれにしても、今回すべき事ではない、と判断したのだ。


 天保山砲台に向けて左舷側の大砲が一斉に火を吹く。ごおんごおんごおん、どおんどおんどおんと、けたたましく合計三十七門が砲撃をする。


 敵も反撃をしてくるが、まったく当たらない。明らかに飛距離が足りない。小佐々海軍艦艇の四分の一程度の射程であろう。やがて、沈黙した。


「撃ち方やめ」


 確認し、純正は停止命令をだす。大門口、南波止、弁天波止、新波止、祇園之洲と砲台は続いている。新波止と祇園之洲の間が内城である。


「艦橋ー射管、目標、城郭と比べ小さく、破壊すれども命中率低し、接近にての砲撃を進言します」


 純正は考えた。確かに城郭と比べて砲台は小さい。よって同じ条件で砲撃するならば、無駄弾が多くなるのは仕方ない。接近すれば命中率は上がるだろう。


 しかし、こうも考えた。標的の破壊は今回の目的の一つであるが、第一の目的は敵に恐怖と絶望感を与える事である、と。


 小佐々と戦っても絶対に勝てない、なぶり殺しにされる、最新の兵器だと思っていた大砲は、小佐々には通用しない、と思わせる事にあるのだ。


 事実、沿岸の砲台からの砲撃は全くとどかず、虚しく水しぶきをあげるだけである。当たらぬ砲台など怖くもなんともない。あっても全く脅威にならないのだ。


「射管ー艦橋、進言もっとも。なれど今回は目標破壊を第一とせず。命中精度の向上に努めよ」。


 万が一、百万が一、当たりでもしたら、バカバカしい。あり得ない話だが、念には念を入れる。島津の砲台からしたら向かい風なので、射程はもっと短くなる。


 小佐々のフランキの図面を盗んで、改良して五町以上飛ぶとしても、この風なら五町がせいぜいであろう。


 純正の当初の考え通り、一定の距離を保って、艦隊は速度を緩めたまま北進する。大門口と南波止の台場も同じように砲撃をする。まるでルーティンだ。


 次の弁天波止台場は砲撃をしてこなかった。その代わりに、何十もの小舟が接近しようと試みている。それを見て純正は躊躇なく命じた。


「目標、接近する敵船団、先頭を狙え」


 どおんどおんどおんと轟音が鳴り響き、ばしゃああんどしゃああんと水しぶきがあがる。敵船に砲弾が激突する、ばきばきぃっと言う音がする。


 最初の砲撃で約半数が沈んだ。統率を失い、右往左往しながらてんでバラバラの状態だ。しかしそれでも、何とか態勢を立て直した敵船団は、なおも旗艦めがけて進んでくる。


 その船団めがけて次弾装填を終えた砲門が斉射を浴びせる。


 さらに船団は半数になった。そしてまた半数になる。数隻になった船団には、負傷者もいるはずだ。それでもまだ、旗艦めがけて進んでくる。


 これはもう戦闘ではない。アウトレンジの攻撃は何度も純正はやってきたが、今までとは違う。これは……虐殺なのか。いや、違う。


 ただ人間が、なすすべもなく殺される事だけを考えれば、虐殺とも言えるかもしれない。


 しかしこれは戦なのだ。そして相手は敵兵で、向かってくるのだ。殺さなければこちらがやられる。それに退却のそぶりは見せない。一心不乱に向かってくるのだ。


 退却するのであれば、攻撃しなかったであろう。


 純正は無表情だ。


「海兵隊、射撃用意!」


 白兵戦用に待機させていた海兵隊に、左舷銃座に備え付けた狭間筒で狙いを定めさせる。一挺や二挺ではない。十五挺を一間の間隔を空けて据えている。


「目標、接近してくる敵兵、撃ち方はじめ!」


「撃ちー方はじめー。よーい、てー!」


 狙いすました鉄砲で接近してくる敵の将を撃つ。一人、また一人と倒れていく。それでもまだ、突撃を止めない。惟安が純正の顔を見る。純正は表情を変えない。


 双眼鏡で敵兵の将の顔をみる。すでに表情がわかるくらいまで近づいていた。目が血走り、何かを叫び、喚き散らしながら突っ込んでくる。


 破れかぶれになっているのだろうか。


 やがて、ぱああんと一発の銃声が一人の将の眉間をつらぬいた。


 船団の前進は終わった。

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