第390話 毛利と織田。鍋島直茂の小佐々百年戦略

 永禄十二年 十二月二十八日 諫早城 戦略会議室


「みな、聞いてくれ」


 純正は直茂、弥三郎、庄兵衛を呼び、清良を紹介する。


「伊予の西園寺配下だった土居式部少輔だ。今日から同じ釜の飯を食う仲間となった。よろしくな」。


 清良が一礼し、皆が拍手をする。


 拍手の習慣はなかったが、握手の習慣とあわせて、純正が広めたのだ。同じ釜の飯を食うという表現は、前世の記憶そのままである。


 同じ釜で炊いた飯を食う(家族・乗員・部隊、要するに家族同様、家中の人間という意)。


「さて、紹介が終わったところで、さっそく本題に入ろう」


 純正が対毛利に対する議題を発議する。


 10人から15人程度は入れる小会議室を戦略会議室としていた。純正の向かって右手に直茂、弥三郎、庄兵衛がすわり、左手に清良が座る。


「毛利に関しては、書状が数通あります。花押が記されておりますゆえ間違いありませぬ。これを証拠に、いつでも不可侵の盟に手切之一札を突きつける事ができましょう」


 鍋島直茂が言う。


 純正は清良を見るが、清良はうなずく。


 間違いなく毛利とは密約があったようだ。直接兵は出さなくても、兵糧弾薬を支援していたとなれば、十分に同盟破棄の理由にはなる。


「なるほど。ではこれについては異論ある者は、誰もいないな?」


 全員がうなずく。


「戦は、しない。こちらから攻めることはない。しかし通商を結んでいるところが攻められたり、加勢を頼まれたのならやるしかない。その時のために準備はしておこう」。


 純正は宇喜多の二転三転の寝返りや、義昭の逃亡とあわせ、石山本願寺に関連した毛利対織田の構図がはっきりと見えていたのだ。


「今、伊予の来島に備中の三村と通商を行い、塩飽や真鍋といった海賊衆と親交を深めるように命じている」


 蛇の道は蛇、海賊衆には海賊衆である。


「これすなわち、瀬戸内を制す者が京大坂への物流を制し、戦においても優位に進められる事に他ならない」


 純正の発言に、4人は黙って聞いている。


「三好についてはどうだ?」


「はい、情報省からの報告によりますと、今のところ動きはないようでございます。安芸の一揆は耳に入っているようでございましたが、動きはございませぬ」


 直茂が答える。情報省からの報告は、まず戦略会議室のメンバーに伝えられ、純正に伝わる。


 急を要すると情報省の千方や三河守が判断したとき、純正からの直接の命令の場合は、そのまま純正へ届けられるのだ。


「ふん、さすが三人衆といったところか。衰えても三好を支えていたヤツらだけの事はある。よし、三好に関しては引き続き監視を続けよと伝えよ」


 三好長逸も三好宗渭も、史実では生死がはっきりしない時期ではあるが、この世界ではまだ生きている。そのため、まだ四国の三好が命脈を保っているとも言える。


「ははあ」


 そのとき5人の前に、カップに入れられた黒い液体が運ばれてきた。


「おお、きたきた! みんな飲んでくれ! 苦いのが嫌な者は砂糖もあるぞ」


 この時代砂糖は貴重品であるし、ましてやコーヒーなど見たこともない。紅茶ですら清良にとっては初見だ。


 去年、永禄十一年の大友戦のさなか、どうしてもコーヒーが飲みたかった純正が、貿易商人に頼んで1年半かけて取り寄せた。


 産地はアラビア半島のイエメン、ソコトラ島。ポルトガルの拠点があるところだ。


 純正は抜かりなく、東南アジアの友好国でも栽培を始めている。もちろん、フィリピンや台湾、琉球でも同様である。


 今は輸入に頼っているが、4~5年後には自前で作れるだろう。


 日本中にコーヒーショップが並ぶのだろうか? コーヒーついでではないが、カカオ豆の栽培も行っている。


「では、三好は監視のみで、力を尽くしては攻めないという事ですか?」


 弥三郎が苦い顔をして、砂糖を入れた後に聞いてくる。


「そこよ。三好はわれらにとって……京都襲撃では敵であったが、直接仇なす存在ではない。それゆえ御内書で、三好を攻めよと来た時にはどうすべきか迷ったのだ」


「さすがに無視をすることなど、出来ませぬ」


「その通り。それゆえ長宗我部を矢面にたたせ、兵糧矢弾、銭を供するのみで兵はださなんだ。しかし今では、島津が降り、反乱も鎮めて伊予も平らげた。断れる理由がなくなったのだ」。


「では、三好を攻めるのですか? 殿のこれまでの名分に、背くことになりませぬか?」


 今度は庄兵衛だ。


「うむ。よく言ってくれた。わが小佐々は、降りかかる火の粉を払い、降りかかりそうな火の粉を消してきた。いっぺんの曇りもない。それは今後も変わらぬ」。


 庄兵衛の顔が明るくなる。


「しかし、なにもせず、という訳にはまいりますまい。織田とわれらは攻守の盟を結び、その織田は公方様を奉じて上洛したのです。その公方様の命令を無下にするなどできませぬ」


「直茂の言う事ももっともだ。それについては年が明けてから上洛するゆえ、その際に考えるとしよう。兵を動かすとなると、銭もかかるし人、物も動くからの」


 戦略会議室の面々は純正と同行して上洛する。意見は尊重するが、決定権は純正にあるので、この4人が諫早に残っていても、情報収集くらいしかできないからだ。


「さて、毛利は今後どうでてくるであろうか」


 純正が清良に話をふる。


「は、まずはわれらには何もしてこぬかと。変に動けば勘ぐられると思い、動かぬでしょう」


 断言に近い推論だ。西園寺では諜報も担っていたのだろうか。


「さらに弱きを攻めるは定石。織田とは友好的とはいえ、勢力を拡大してくれば衝突するは必定。そのまえにできるだけ版図を広げようとするでしょう」。


「どこまでいくか?」


「おそらくは、因幡・播磨あたりかと」


 史実どおりだな、と純正は思った。


「ではどうするべきか」


 純正の問いに4人は黙ったままだったが、直茂が口を開いた。


「まず、私が申し上げることは、一年、五年、十年の事ではございませぬ。小佐々家中の五十年、百年後を見据えての事にございます」


「お、おお」


 直茂の長大な計画に、純正は驚きとともに、少し冗談めかして微笑む。


「殿、笑い事ではございませぬ。すべて先々の事をどれだけ読み、読みが外れた場合にどうするかを備えておくことこそが、この評定の意義かと存じます」


 直茂は根が真面目だ。


 独断での調略も小佐々家を思っての事であるし、純久と一緒にはじめて信長と会ったときに、純久の丸投げっぷりに辟易したのもうなずける。


「悪かった、続けよ」


「さらば、ここ五年十年の事ならば、多くの方々との商いを行い、盟約の必要があれば結ぶことも差し支えござらん。われらが例としてあげるならば、播磨の赤松と別所、それに因幡・但馬の山名殿にござる」


「ふむ、それはなぜじゃ」


 純正の問いに直茂が答える。


「毛利との不可侵の約、実のところ形ばかりでござる。先んじてこれを破る者は無法の者とみなされるだけの事。輝元も両川も、このことをよく心得ているでしょう」


「ふむ」


「しからば毛利とは犬猿の仲の山名や、この先必ず戦うであろう赤松との縁を深めておくが良いでござる。不可侵の約はそのままに、われらの通商の詳細まで口を挟まれる筋合いはござらぬ」


「確かに、そうであるな」


 他の3人は首席の直茂の言葉をしっかりと聞いている。


「毛利が東進して因幡や播磨を、播磨はまだ備前に浦上がおるゆえ先かと存じますが、圧迫を始めれば支援すれば良いのです。これで毛利の東進は阻めまする」。


「そして?」


「はい、その後は毛利に対して手切之一札にて宣戦を布告すればよいでしょう。その時期はこちらで決められまする。そのために事前に塩飽衆や真鍋衆といった海賊衆と、手を組んでおるのではないでしょうか」


「ほほう」


 純正がニヤリと笑う。


「毛利と戦になっても、ならなくても、われらに有利に事が運びまする」


 短期的にはそうだ。毛利に対してはそれがベストであろう。そう純正は考えていた。では長期とは?


「殿は織田様、弾正忠様の事をどうお考えでしょうか」


「どう、と言われてもな……。あのおっさん、見栄っ張りで、有能なんだが妙に子供っぽいところがあるし、無茶ぶりをしてくるしで、嫌いではないのだが……」


「殿、そういう事をお伺いしているのではありませぬ」


「ではなんじゃ」


「織田家の今後の動きでございます」


 ふむ、と純正。


「いま、われらは織田と攻守の盟約を結んでおります。互いに利があるゆえ結んでおりますが、今後それが崩れた時の事を考えておかねばなりませぬ」


 純正は反論をせず、黙って聞いている。可能性があると思っているのだ。直茂は、ごほん、と咳払いをした後、続けた。


「さらに、今は毛利と織田家は親交がありますが、先々はこれが崩れる恐れもありまする。昨年、伊予一条を助けた時に議題に上った、消極的に領国を接する形になりまする」


 消極的に領地を接する? そんな事話したか? 純正は考えを巡らす。……議題にはあげなかったが、それは純正が案じていた、敵が領土を拡大した上で小佐々と接する事を言っていたのだ。


「あのとき、それがしは四国出兵に反対でござった。仮に中央の勢力が延びてこようと、十年、二十年先の事と考えていたからです。しかし、こたびは島津はもうおりませぬ」


 現在、土佐は小佐々の支配下になり、純久の根回しで一条が土佐守と土佐守護となっている。織田領との緩衝地帯は阿波・讃岐・淡路である。


「昨年とは状況が変わり、予断を許さないとはいえ、イスパニアの脅威はいったん去り申した。兵を東に向けることがあたうのです」。


 純正も他の3人も真剣に聞いている。


「織田対毛利になったとき、間の勢力を取り込んでおけば、織田の支配下に入る事はありませぬ。毛利は西の大国とて、われらに包囲されれば、負けずとも勝つことあたわぬでしょう」


 直茂は間をおき、コーヒーをちびりと飲み、締めくくった。

 

「丹波・丹後を除く山陰六カ国と、山陽八カ国を支配下におくのです。さすれば織田とて、おいそれとはわれらに攻撃はできませぬ」


「それは……ずいぶんと豪気ですね」


 4人は口をそろえて言う。


 純正は黙って聞いていたが、やがて直茂の提案を受け入れた。というよりも、純正もそう考えていたのだ。より戦争を防ぎ、より力を蓄え、より有利に事を運ぶための戦略である。


 直茂はこうも言った。


「弾正忠様の代はよいかもしれませぬ。しかし次の勘九郎殿、その次の代。このまま終わりましょうや。織田の天下を、と望む者が現れぬとは言い切れませぬ」


 全員の顔が険しくなる。


「今は良いでしょう。五年、十年も良いでしょう。しかし三十年、五十年先はどうでしょうか。小佐々に追いつき追い越せで、越えられたらしまいですぞ」


 場が、静まりかえった。


 純正は、留学生全員を、純正チルドレンにする事を心に決めた。

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