第386話 毛利との密約と宇都宮豊綱

 永禄十二年 十二月十日 伊予 喜多郡 大須城


「やあやあ、これはこれは、左衛門督様。このようなところまで、総大将がどうされたのですか」


 宇都宮豊綱は伊予の喜多郡を領しており、小佐々配下となったあとは、仕置きにより東部のみを領すことになっていたのだ。


 大友宗麟の来訪を知って驚き、慌てて出迎えたのであった。


「遠江守殿、それはやめてくだされ。そう呼ばれては立つ瀬がありませぬ。御屋形様は気にするなとおっしゃるが、わしは気にしておるでな」


 宗麟は苦笑いをする。自分の官位と官職が、主君の純正より高い事を気にしていたのだ。どう考えても、正四位下左衛門督の宗麟より、従四位上弾正大弼の純正の方が格上である。


「なに、気にすることはない。視察じゃよ視察。兵の鼓舞も兼ねてな。どうだ、状況は」


 宗麟には大きな目的があったのだが、本題は話さない。


「状況は変わりませぬな。西園寺に動く気配なし。このままでは干からびてしまうでしょうに、打って出る気配もありませぬ」


「なるほどのう」


 宗麟は意味深にうなずいて、ささ、どうぞこちらにと案内された別室で、出されたお茶を飲みながら会話が続く。


「そういえば、妙な噂を聞いたのだが、知っておるか?」


「はて、どんな噂でしょうか」


 宗麟は平静を装って話を続ける。


「いやなに、そこの長浜の湊の事なんじゃがな」


「はい、長浜湊がどうかしましたか」


「なんでも大層な賑わいで、扱っている荷の量だけで言えば、八幡浜よりも多い時があるというのだ」


「さようでございますか。ありがたいことに、肥前様のおかげで商いがやりやすくなったのでしょう。小さな湊も小佐々の産物が入るようになっております」


 宗麟は笑顔だ。


「そうなのだ。豊後もそうじゃが、さすが御屋形様、というところなんじゃがな」


「……?」


 豊綱は首をかしげる。


「妙なのはこれからじゃ。その荷のほとんどが米や味噌、塩などの、言ってしまえば兵糧なのじゃ」


 次第に豊綱の顔が曇ってくる。


「宗麟様、いったい何がおっしゃりたいのですか?」


「いや、これも噂なのだ。西園寺が落ちないのは、宇都宮が毛利と結託して兵糧矢弾を流しておる、とな」


「なにを馬鹿なことを! そもそも小佐々に降ったとは言え、われらは以前より味方だったではありませぬか。なぜ今さら毛利と結託して西園寺を助けねばならぬのですか!」


 普通に考えればそうだ。いまさら毛利に寝返って西園寺を助けたところで、利などない。


「そうじゃ。その通りじゃ。わしもそう思うておる。しかし、疑いがある以上、確かめねばなるまい。だからこうして来たのだ」。


 宗麟が本当にそう思っているのか、見せかけなのか、わからない。


「そこで、この一月の間、大須城から黒瀬城にいたる長谷口の往来を調べさせてもらった。戦時中ゆえ往来がないと思っておったら、なんのあったのよ」


「な! それがしに何の断りもなくでござるか!」


 豊綱の顔が、驚きから怒り、そしてあせりから顔面蒼白になる。


「そうじゃ。断りを入れておったら、こたびのように収穫はなかったであろう」


「収穫とはなんでござるか」


 宗麟は指示を出し、控えさせてあった従者が男を連れてくる。


「この男がすべて吐いた。宇都宮豊綱を隠れ蓑に、西園寺と毛利をつないで兵糧を運んでおる、とな」


 連れてきた男のさるぐつわを外すと、わめいている。


「離してくれ! 約束が違うではないか。全部話せば許すと、だから話したのだぞ!」


 再び猿ぐつわをはめる。


「いやあ、この宗麟、まんまと騙されたわ。まさか味方が、しかも宇都宮殿が毛利に内通しておったとは」


「こ、これは何かの間違いにござる。そうだ、毛利の調略にござろう。われらを疑心暗鬼にさせ、仲違いさせて力を削ごうというのだ」


 宗麟はふふふ、と笑う。


「馬鹿を申すでない。たかだかおぬし一人が寝返ったところで、われらはびくともせぬわ。何か勘違いをしておるのう。それにこの男だけではない。書状も、ほれ」


 そう言って宗麟は懐から二通の書状を出し、豊綱の前に投げた。


 見ると毛利から西園寺への物と、西園寺から毛利への物であった。その中にははっきりと宇都宮豊綱の名があったのだ。


「偽物じゃ、偽物に違いない! なあ宗麟殿、信じていただきたい。本当に何も知らぬのだ。天地神明に誓う」。


 宗麟はため息のあとに、言った。


「そうか……何も知らぬ、と申したな。ではこの半年の間何もせず、野放図にしておったのか? 間者の動きはおろか、荷のやり取りや湊の様子を見て、何も感じなかったと申すか」


「それは……」


 豊綱は言葉につまる。


「ここは戦場じゃ。何を思うて、そのようにたるんだ姿で合戦に挑むというのか?」


 豊綱は反論しようとするが、言葉が出ない。


「領内の見張りを厳とせずに間者の往来を許し、兵糧矢弾の動きにも気を付けぬばかりか、敵の動きにも気を配らぬでいる。罰せられるに足る行いじゃ。家を取り潰されても文句は言えぬわ」。


 宇都宮豊綱が毛利とつながっていれば斬首は当然だが、仮につながっていなかったとしても、このようなずさんな監視体制ではいつまでたっても戦が終わらない。


「遠江守よ、おぬしが申しておる事が事実としよう。しかし、誰が信じるのだ。命が助かり、家屋敷が残ったとて、家中で御屋形様に仕えるのは厳しかろう。周りは謀反人としか見ぬぞ」。


 豊綱は声も出せず、途方に暮れ、がくりと膝を落とした。


 宗麟はその場で決断はせず、純正に対処を仰いだ。このようにしようと思いますが、いかがでしょうか、という風にだ。


 いずれにしても、宇都宮家を伊予から離すというのは既定路線であった。


 毛利から兵糧矢弾が送られてきているのであれば、宇都宮が黒でも白でも、大して差はない。西園寺が潤う事に変わりはないからだ。


 最終的に長谷口を閉じて監視するようになる。それに宗麟も、あまり人の首に関心がなくなってきていたのだろう。


 キリシタンとして無為に人を殺すのをためらったのかもしれない。


 史実の宗麟は隠居した後、耳川の合戦の直前に洗礼を受けキリシタンになっているが、今世ではすでに受洗していた。


 結局、宇都宮家は断絶とはならなかったものの、一家とわずかな従者とともに伊予を離れさせられ、肥前長崎の海軍関連の仕事につくことになった。


 ここに大名としての宇都宮家は終焉を迎えたのである。


 宇都宮領には小佐々の正規軍である陸軍が駐屯し、物資の流れを厳重に監視した。


 そうはいっても積み荷を検査するという訳ではなく、西園寺の黒瀬城に通じる街道、すなわち長谷口を封鎖したのだ。


 南口と東口はすでに封鎖に近い状態であった。西園寺が降伏するのも時間の問題である。

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