編集済
伊予の塹壕戦、完全に稲刈りが終わってますね
なのに士気が落ちてない?
塹壕の長さ、作業が終わってから攻めこんだ
この時代回りは畑と田んぼ、今年の収穫は最初から諦めてる?
派遣軍からのほうれんそうはしっかり届いているはずなのに純正は動かない
毛利、思ったより情報の足が早い、小佐々の整備されたインフラを使ったからか
塹壕、土木屋の性ですのでつい
小佐々は交代で稲刈りに戻れます、取った城の回りの年貢は小佐々の総取り
インフラは道と湊ですね日向と小佐々領では移動の速さが違うと思いまして参考に
日本初の塹壕戦とすれば、どう報告すればいいのかわからないと空堀に人がいるとしか書きようがない、純正も自分が見ないと近代戦の塹壕戦とは気づかないではどうですか
作者からの返信
参考にします。
■伊予の塹壕戦、完全に稲刈りが終わってますね
なのに士気が落ちてない?
塹壕の長さ、作業が終わってから攻めこんだ
この時代回りは畑と田んぼ、今年の収穫は最初から諦めてる?
……諦めているというか、塹壕は平野部に通じる入り口の隘路につくっています。街道沿いで、ある程度は田んぼや畑ではない場所です。
大平野(棚田みたいなのも含めて)の田んぼや畑を塹壕だらけにしたのではありません。
また、人員と期間ですが、何ヘクタールの田んぼや畑の収穫、ならびに脱穀などの作業に何人でどのくらいの期間が可能なのか?
塹壕を掘るのにどのくらいの深さでどのくらいの幅でどのくらいの長さを掘るのに何人で何日かかるのか?
正直なところ、フィリピンの城塞を構築するときの計算も、何をどう基準にしようかと、いろいろと考えました。
電卓をはじいて複雑な計算?をすればいいのかもしれませんが、そもそも文献が少ない(ない)ので、実際には具体的にどのくらいかかったのかわかりません。
何をこだわって時代考証して、何ははぶくかは私の判断で書いています。
今回は、言われてみればそうかもしれませんが、ぶっちゃけ考証よりも、こうしたほうが面白くなるのではないか?というのが先にたち、この話を書きました。
面白くなるかならないかは、読者様の判断によりますが、
~のはず
~のはずでは
~したのか
この時代は~では
などと断定して言われても、返信できない時もあります。
ただしくは、それは~という設定で~なので、と解説できる場合もありますが、考証を省いており『ご愛嬌』というのも多々あります。
■派遣軍からのほうれんそうはしっかり届いているはずなのに純正は動かない
……はずなのに……ごめんなさい描写不足で。一挙手一投足を報告は受けていません。ある程度は宗麟に任せています。
これは……作中に確か書いてあったかな?なかったかな?
■毛利、思ったより情報の足が早い、小佐々の整備されたインフラを使ったからか
……よくわかりませんが
逆に何日ならOKで何日ならNGなんでしょうか。
以前の近況ノートに書きましたが、伝令は時速3キロと書いた気がします。昼間は馬も使えば早くなるが、夜もある。関門海峡もある。
内城から吉田郡山城まで560キロ÷3で186.6時間。
これを24で割って7.77日。
しかし休憩もするし馬も使う。下手すれば船は馬や走るより早いかもしれない。でも夜もある。
もしかしたら、間者のバトンリレーなどあったかもしれない。
だから+3日で72時間。距離にして216km。
これくらいの誤差なら良いと思い10日後です。すみません、毎回正確に計算はしていません。
島津の降伏、10/12でプラス10日で10/22で+1してます。
追伸
塹壕は、そうですね。知らずに初見なら、空堀に人、ですね。
ちなみに小佐々領ではもっと早いですよ。しかし間者が駅馬車を、まあ、民間が使ってますから使えますか。しかし、豊前や豊後はまだまだ未発達で、一応現時点ではやっと門司から府内、そして府内から日田が開通(舗装完了)している設定です。普及度合いとしては、肥前→筑前→筑後→北肥後→豊前→豊後の順です。
毛利も認識が甘いですね。
小早川さんはもう少し状況認識出来てそうなものですが、吉川さんはともかく。
作者からの返信
コメントありがとうございます^^
そうですね。
本当は智将の小早川隆景なんでしょうが、ちょっと策に溺れて(いるように書いてしまっている)いるのしょうか?
ギリギリの綱渡り。現状ではよほどの事がない限り小佐々毛利戦はないと思いますが、将来は、わかりません!w
編集済
太閤検地は明らかに低い国多いので、江戸幕府最初の郷帳を参照とすれば小佐々の領域は350万石近い?
同時代の武田、北条、上杉足したより多い可能性あるとすれば、直属の兵はほぼ銃武装し、砲撃隊まで居るわけだから、上記3家より強いはず。
普通なら戦いを挑むはずもないのですが信長も概算で5~600万ある状態でさえ離反含めて抵抗にあってます。
あとは農繁期の戦争は避けるイメージですけど実際はもっとも発生率高いと言われてますね。収穫期で困るのは被動員側というより行軍、野営、合戦される地域の農民側かも知れません。相手の領土を攻め取る以前に打撃与えて嫌がらせするというのも長期攻城における真の意味なのかも?
ちなみに川中島も大抵農繁期ですね。あのへんの農民やお寺大変だったと思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます^^
石高に関しては天保絵図を参考にしています。
近況ノートにも書きましたが、全国載ってるのがそれだったので。
お察しの通り、350万石前後でしょう。今回の南九州の石高を足せばもっと上がるかと。
信長はそうですね、そのくらいでしょうか。
天保絵図で計算していないのでわかりませんが、三家合計より多い可能性はありますね。
うーん、農繁期の戦……。
いやあ、もういつ戦争書いたらいいかわかりませんね。
無視しますw