第309話 信長の対小佐々戦略②秀吉に問う
永禄十二年 六月二十八日 午三つ刻(1200) 岐阜城
光秀との会談の後、信長は書状を開き、ゆっくりと、そして何度も読み返している。傍らには何通もの書状が置いてある。内容に眉をひそめながら読んでいると、外から秀吉の声が聞こえた。
「殿、仰せによりまかりこしました。猿にございます」。
「うむ、入れ」
居室に入ってきた秀吉は、
「殿、いかがされましたか。真剣な顔をしておられます」。
心配そうに尋ねた。
「なんだ、わしがいつも能天気なようではないか、これを読んでみろ」
信長は手紙を差し出した。
秀吉は数通の書状を受け取り、丁寧にそれを読んだ。まずは信長が持っていた物を読み、そして無作為に選んで他の物を読んだ。
そして秀吉の中には、絶望に似た恐れと焦り……こうしてはおれぬ、そういった気持ちが沸き上がってきたのだ。
「小佐々に送った五人がおったであろう、その者らから文が届いたのだ」
秀吉が全部読むのを確認して、信長が口を開いた。
「秀吉、どう思う」
「いやあ! 参りました参りました! まさかこのような事があるとは」
「茶化すでない」
「は、内容は信じ難いですが、嘘をつくとは思えません。だとすれば、これは由々しき事態かと」
うむ、と信長がうなずく。
「一言でいうと、まるで異国にございます。日の本において、異国のようにございます」
「で、あるな。聞いたこともない言葉や物が、これでもかと書かれておる」
その通りにございます、と秀吉は答え、
「しかもその全てが、すぐに真似できるようなものではありません」
秀吉の言っている事は事実である。かろうじて澄酒は畿内にも存在しているので、製法を真似て特産品にする事は可能だ。
しかしせっけんは材料も不明な上、仮にバテレンが知っていて、聞いて作ったとしても、すでにせっけんと言えば小佐々ブランドが確立されている。
すべての物が真似をしたところで二番煎じである。
しかし、二番煎じだろうが、三番だろうが四番だろうが、やらなければならない。真似する事から始めなければ発展はないのだ。
「殿、まずは」
秀吉が、絞り出すような声でいった。
「なんだ」
信長が答える。
「今の遊学の徒の期限はいつまででしょうか?」
「一年だ。来年の三月には終えて戻ってくる」。
今年の三月に、まずは見て聞いて、そして体験するように命令を受け、五人の留学生が肥前に向かったのだ。すでに三ヶ月が経っている。
「殿、その者達の期限、四年に延ばすことはできませぬか。または、その者らが無理ならば、選抜して二十名ほどで任期は四年。まずは『大学』にて学ばせましょう」。
「大学? それにしても四年は長いな、それほどのものなのか?」
信長が確認する。
「は、長い期間ではあります。しかし師の元に弟子入りし、匠の技を覚えるのに比べれば、短いのです。欲を言えば様々な工房や商店や職場に、できる限りの人を送り込ませたいくらいです」
ううむ、と考え込む信長であったが、すでにそれしか方法がないと、自身も決めていたようだ。
純アルメイダ大学には数学・物理学・天文学・生物学・地理学・科学・化学・建築学・工学・農学・医学・薬学・造船学・土木工学・語学の学部があり、さらに順次拡充、統合、新設されている。
「道一つとってもそうです。幅六間の街道が、領内に張り巡らされています。聞いたこともない方法で道を固め、雨にも強い」
秀吉はまるで、自分が見て体験してきたかのような言い方で、信長に説明している。それを興味深く聴いている信長。自分の解釈や分析と同じか、違うなら何が違うかを探しているようにも見える。
「他に気になるところはあるか?」
「はは、あげればきりがございませんが、何にしても銭を相当かけております。そしてそれが、銭が銭を呼び、さらなる発展を呼んでおります」
「ふむ」
「例えば鉄砲一つにしても、われらが持っている鉄砲とは違います。これは所司代での話ではありますが。とにかくその、新しい技術の開発のための投資に、年間十万貫以上投じています」
「なにい!? それほどなのか?」
信長が真顔になる。
「まことか? そのような事どこに書いてある?」
秀吉の元にある書状の束を指して言うが、
「ここでござる、ここに書いてございます」
と秀吉が指したのは、森長可が書いた世間話の一節である。
「ここに外務省の、その、織田家中でいえば、他の家中との交渉を一手に担っている奉行衆の集まりですが、そこの奉行の日高喜という人間がぼやいている、と」
秀吉は信長の、近うよれの手招きに従って近づき、書状の中身を見せる。
「ここです。この財務省というのは、おそらく勘定奉行の事でしょうが、毎年の算用に一隻十三万貫の船を五年だか八年だかで四十隻つくる計画だとか、金のかけ過ぎだと。外務省の人手不足にもう少し銭を回してほしい、というのを偶然盗み聞いた、と、書いてます」
読んでいたつもりだが、幼い長可の戯言のようなもの、と読み飛ばしていたのだろうか。しかし、それが事実なら途方もない資金量である。
高にして、今の年貢の実入りの全てである(150万石✕40%)。
信長の驚きようは、天地がひっくり返るかの如く、思考すら止まるほどの絶対的なものだった。小佐々純正という男は、自分の知る常識の範囲をはるかに超え、見るもの聞くもの全てが予想を打ち砕く。
「との」
「殿」
「殿!!」
秀吉の声に我に返った信長は、その書状を握り潰し、両手でぐしゃぐしゃに丸め込んでいた。慌てて息を整え、返事をした。
「いかがした」
「はい、それでどうされますか?」
信長はしばらく考え込んだが、やがて言った。
「五人は四年学べるように、純正に願い出よ。本来なら鍛冶場や造船など、様々な工房に弟子入りを、と考えたが、それは武士の本分ではない。それに」
秀吉が間髪入れずに、
「それに弾正大弼殿がそれを許すはずがない、と?」
答えを述べてさらに聞き返す。
「その通りだ。草の者を紛れ込ませる事も考えたが、発覚すればわれらの関係は瓦解する。今は得策ではない」。
「さようにございますな。まずは関係を維持、良好な状態を保ちつつ、技術を盗んで発展させ、小佐々に匹敵するような国を作らねばなりません」
信長は目をつむり、もう一度大きく息を吸って、答えた。
「そうだな、何年かかるかわからん。五年、十年、いや二十年とかかるかもしらん。永遠に追いつけぬかもしらん。しかし、われらはやらねばならぬな」
秀吉が、はは、と返事をする。
「よし、猿よ、そなた純正に文を書け。五人の期間延長と、さらなる交換、いやただの入学生だな。二十名ほど希望する、切に願う、と書いて返事をもらえ」
こうして信長は、交換留学生の五人を通常の学生と同じ様に四年通学させ、あらたに各学部に家臣の入学を希望する旨の書状を送らせたのだった。
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