第289話 従四位上検非違使別当叙任と将軍義昭と信長②

 永禄十二年 四月 京都 信長の滞陣先 妙覚寺


「久しいな弾正大弼殿、いや、様の方がいいかな。息災であったか。ああそうだ、どうだ、五人は? 三月のはじめには着いておるだろう?」


 相変わらずだなこの人は、と思いつつ純正は答えた。


「ありがとうございます。様など、ご冗談を。いままで通り『殿』で結構です。相変わらずですね、上総介殿は。ええ、会いましたよ。五人とも元気はつらつで、個性があって、若いというのはいいものですね」


「若いなどと、そなたまだ二十歳になったばかりではないか」


「そうでした、忘れておりました」


 純正は笑ってごまかす。中身は五十(+α)、通算で六十歳以上だ。


「それで、こたびはどうしたのだ、何か用があって参ったのであろう?」


 信長が真顔になる。


 お察しの通りです、と純正は言い、


「実は二つお願いがありまして」


「なんじゃ」


「一つは、近衛前久様の事にございます。公方様にもお願いいたしましたが、先々の公方様を弑し奉った三好の企みには、近衛様は関わっていないと存じます。なにとぞよしなに」


「うむ、他には」


「もう一つはわが義父上の事にございます。義父上にも、くれぐれも上総介殿とは争いを起こす事なく、密に協力して朝廷運営に当たってほしいと伝えております。わが義父上をどうか、宜しくお願いいたします」


「それだけか」


「はい」


「ううむ。おぬしがいる以上、仮にそうなったとして、関白様をわしがどうこうできる訳でもないと思うが、まあよい、承った」


「ありがとうございます」


「代わりと言っては何だがな」


 そら来た! 純正は想定内の返事に、意味もなく心のなかでガッツポーズをした。喜ぶべき事ではない。


「なんでしょう」


「その、なんだ、あの、鉄砲の大きいものがあったであろう? 何というのか」


「(大砲の存在を知っている?)……大きな鉄砲、でございますか」


「そうだ、それを一つ、融通しては貰えぬか」


 純正は考えた。人が持つ大型の鉄砲の事を言っているのか? だとすればわが家中にはない。作れば作れるのだろうが、今はない。


 そして、大砲を知っているのか? だとすれば、どうする? 大友との戦が終わって一年も経っていない。


 しかし大砲自体はそれ以前より使っていた。最初は平戸松浦との戦いだ。あれからもう五年以上も経っている。


 存在くらいは知られていてもおかしくはない。作れるかどうかは別だが。しかし、実物があれば話は変わってくる。


 腕のいい鋳物職人がいれば、一年で作れるだろう。では一門を、火薬と砲弾もあわせて渡すか? 信長に渡して大丈夫か? この先敵対しないか?


 今までも鉄砲、火薬などを融通してきた。堺の今井宗久もうちの三人から優遇を受けているはずだ。


 その状態で信長は堺を支配下に置いた。矢銭の要求を飲ませ、堺の権益を完全に掌握したら、経済的にも周辺諸国より優位に立つはずだ。


 そうなればどうなる? 信長はこれから八月に伊勢に大軍を送り込んで制圧しようとする。しかしそれが長引いて、義昭の斡旋で有利な講和を結ぶのだ。


 それを尊大に構えた義昭に激怒して、または和議の条件でお互いに齟齬が生じて、信長は突然岐阜に帰る。


 一説にはこれが信長と義昭の不仲の始まりだという。大砲を与える事で伊勢攻略が早期に終わるか? それはそれまでに作れればの話だが。


 いずれにしてもこれによって軍事力が増大して、信長の統一事業が早まったら? 早まれば本能寺が早まるか?


 いや、信長の統一の早さと本能寺とは因果関係はないはずだ。いずれにしても十三年先の話だ。短くなったとて六年か、七年か。


 光秀との確執が生んだというのが定説だが、さて、さて、さて。どうするべきか。逆に断ったらどうなる? 関係悪化か?


 いやいや、そんな性急に俺たちを敵にはまわすまい。だとして……旧式のフランキ砲一門を渡したところでどうなる? 


 将来的に敵対したとしても、こっちには倍以上の射程の大砲がある。


 あれはわが工部省が七年かかっても実用化できず、留学生の帰りを待って実用化したのだ。そして実際に作っている。そう簡単に作られてたまるか。


 それまでに東南アジアに版図を広げて国力を増強するのか? 島津を滅ぼし四国に進出するのか……。


 随分と長い時間がたったのだろうか、実際は四半刻(30分)もたっていないのか? 時計がないからわからない。


「上総介殿、ひとつ、お聞きしたい事がございます」


「なんじゃ」


「これから、どうするおつもりですか」


 信長は少し驚いた様だが、考えている。長々と話すより、簡潔に説明できる言葉を探しているようだ。


「美濃は、わかります。道三公の時、両家は親戚でありました。しかして子の義龍、さらに孫の龍興の代には敵対しております。東に徳川がいたとて、今川は斜陽。甲斐の武田や六角、浅井に朝倉の脅威がありました」


 黙って聴いている。聴いているのか、考えに没頭しているのか。


「それらの脅威に対抗するためには、美濃攻略が必須であったでしょう。龍興が伊勢に逃げたため、そのための北伊勢攻略だと。こたびの南伊勢はどうなのですか。もし、それがしの考えと同じであれば、大砲をお譲りいたします」


 まだ信長は考えていた。やがて、深呼吸をして、喋りだす。


「秩序と静謐」


 短く言った。


「いつかはこうなっておったであろうが、応仁の大乱がなければ、世はこのように乱れてはおらぬ。すべては幕府の権力争いのせいではあるが、なければ秩序があり、静謐であった」


 さらに続ける。


「結果として、わしは領地を拡大し、自分の勢力を拡大しているように見えるかもしれん。しかしそれは我が身を守るため、それから世に秩序と静謐をもたらすためじゃ。長島に関しては、一向宗じゃ。やつらを放っておいては、領内がまとまらぬ」


 宗教は、やはり難しい問題だ。そう純正は思った。自分の領内でも今は争いがないが、いつなにかの拍子に一揆につながるかわからない。


「綺麗事は言わぬ。私心が全くない、とも言わぬ。ただ、わしが何もせずとも、世が平穏に、民が平穏に暮らせればいいのじゃ。しかし、そう上手くは行かぬゆえ、武力をもって制すると決めただけじゃ」


「それに」


「それに?」


「今川は風前の灯火にて、駿河を制した信玄が遠江にも侵攻してきた。足元に火種を抱えておっては、領内が治まらぬのじゃ」


 純正も考えた。基本的に俺と同じか? 俺のちょっと攻撃重視バージョン?


 純正は信長に、旧式のフランキ砲を一門譲渡する事を決めた。

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