第360話 予土戦役、黒瀬城攻防戦③裏切りが裏切りを呼ぶ?宗麟の予感は当たるのか

 永禄十二年 十月二十五日 伊予 長浜村(愛媛県大洲市長浜町)


 宗麟たちは占領した板島城(愛媛県宇和島市和霊町)より河後森城(北宇和郡松野町富岡)へ抜けた。


 その後北上して三滝城(西予市城川町窪野)、さらに北上して宇都宮領の伊予曽根城(喜多郡内子町)へ向かったのだ。


 一行の目的地はそのさらに北、長浜の湊である。約144kmの道のりだ。


「殿、なにゆえこのようなお味方のところへ向かうのですか」


 戸次道雪が聞く。家老である道雪と鑑速、鑑理が随行しているのだ。供回りも十名ほどの少人数である。軍の視察、とくに同盟軍への慰労となれば、軍勢を連れていく必要もない。


 各軍は副将に任せていて、陸軍も二個旅団がいるのだ。問題はない。それに西園寺軍は攻めてこない。持久戦の構えである。


 しかし、持久戦といってもいつまでだ? 備蓄には限りがあるだろうし、何を待って籠城(厳密に言うと籠城ではないが)しているのだろうか。宗麟も、そして随行の重臣も同じように考えていた。


「なに、敵の不可解な行動の理由はを探るには、こちらも常識を捨ててかからねばならぬからな」


「と、いいますと?」


「ははは、わしも確信があるわけではない。ゆえにまだ言えぬ。しかし、おいおい、わかってくるであろう」


 談笑をしながら進むと、長浜の湊が見えてきた。


 この地域は久保、矢野、成野、祖母井、石堂氏などの小領主が割拠しており、それを宇都宮がまとめている。長浜湊は滝山城城主である久保正行の支配下である。


「さて鑑速よ、なにか感じる事はないか」


 家老の臼杵鑑速に聞く。


「はて、湊が近づくにつれて、だんだんと人が多くなってきたくらいにしか思えませぬが」


「そうよのう。わしもそう思う。かなり賑わっているのだろうか」。


 鑑速の言葉に宗麟が答える。しかし、何かを考えているようだ。


「それにしても、随分人が増えてきましたな。曾根城や河後森城は平地があって城下が賑わっておりましたが、このあたりは城下といっても山ばかりで、そこまで賑わっている様子もありませなんだが」


 吉弘鑑理も疑問を投げかける。


 大友氏は小佐々に降伏する前に、たびたび四国へ出兵しては介入している。毛利家を二方面から圧迫する狙いがあったのだ。


 四国においては河野(すでに小佐々に降伏)と西園寺(交戦中)、それに対して土佐一条(大友一族、小佐々に服属)と伊予宇都宮(小佐々に服属)が対立しており、大友は宇都宮を支援していたのだ。


「鑑速よ、おぬし三年前の四国攻めの時に、八幡浜や伊方の半島の津々浦々も行っておったな。どうだ? 比べてみて」


「は、さようでございますな。さすがに八幡浜と比べますと賑わいは少のうございます。しかしながら三机浦などの半島の湊に比べても劣ってはおりませんな」


 なるほどな、と宗麟はつぶやいた。状況を一つ一つ見極め、それらを総合して結論を見出そうとしているのだ。


 一行の向かう湊の手前に茶屋が数件あった。そのどれもが商人や船乗り、船を修理する船大工に荷役労働者、問屋に市場の仲買人など、多岐にわたる人々でごった返していた。


 喉も乾いていたし、小腹も空いた。宗麟は身分がバレぬように、呼び方や立ち居振る舞いに気をつけるように、全員に通達した。


「亭主、十人ほどおるが、大丈夫か」


「あいよ! ええっと十人、十人っと、そうだね、席が離れるが、それでよけりゃあいけるよ!」


 全員がそれぞれ空いた席に座る。宗麟と三人は同じ席に座り、他の従者はバラバラだ。宗麟がうどんを頼むと、全員がうどんを頼んだ。お茶が運ばれて、すすりながら宗麟が言う。


「実はの、喜多郡の仕置きの際に、少し気になった事があったのだ」


 宗麟の言葉に三人が聞き耳をたてる。


「われら大友は、戦ったのち服属したゆえ、ほぼ小佐々の、いや、当時の話じゃぞ。殿の言う通りの仕置きで、納得するほかなかった。今は良かったと思うておるが、宇都宮の場合は違うのだ」


 何が違うのですか? と道雪が聞いてくる。


「うむ、わかりやすく言えば、筑前、筑前と似ておる」


「秋月や高橋、立花らと同じという事でしょうか」


 鑑速や鑑理も疑問に思い聞いてくる。


「当初、小佐々の国人に対する仕置きはいくつかあったのじゃ。まず、まったく変わらず仕える方法。これはいままでと変わらない代わりに、軍役や賦役もある。それが厳しくなる場合もある」。


 ふむふむ、と三人がうなずく。


「あと一つは、本領を減らして食える分だけ残し、残りは銭にてはらう。最後の一つは完全に知行地をなくして、代わりに禄を銭ではらう。俸禄としての銭は、最後の三つ目は多いが、本領を残している二つ目の者はそれだけ少ない」


 今残っているほとんどの国人が二つ目か三つ目である。


 筑前の国衆のうち秋月、立花、高橋は一つ目を選び、宗像や原田は二つ目を選んだ。しかし大友戦で当主を喪った高橋と立花は、今では二つ目となっている。


 一つ目で残っているのは秋月だけであるが、おそらく近いうちに二つ目に移行するであろう。金回りが全く違う上に、二つ目は軍役が少ない。さらに三つ目は軍役がないのだ。


 領内の経済的な裕福さは、この一年で全く違う。産業振興の支援は小佐々家中でもやっているが、直轄地と国人の領地では違いが明らかである。


「そこでだ、宇都宮はなぜか選択肢を与えられたのだ。殿がそうした理由はわからぬ。しかしさらにわからぬのは、宇都宮の選択だ。小佐々家中となったゆえ気にもしなかったが、不思議なのだ」


 宇都宮が治めていた喜多郡は石高にして九万五千石。その西と東どちらかを選べ、と純正は宇都宮に提示していた。


 石高はほとんど変わらないが、西側は八幡浜の湊があるうえ、佐田岬の湊もそこそこに栄えている。


「なにが不思議なのです?」


 鑑理の問いに宗麟は答えた。


「豊綱(宇都宮豊綱)は東を選んだのじゃ」


 一同が驚く。それもそのはず、これまで見てきた通り山ばかりである。かろうじて石高は西より多いものの、湊の権益と交易の利を考えれば、誰もが西を選ぶはずである。


「なぜそのような事を? 明らかに割に合いませぬぞ」


「その通り、なぜやつが東を選んだか、じゃ」


 ちょうどうどんが運ばれてきた。店主も最初の挨拶で宗麟が主だとわかっているので、宗麟の席に先に運んできた。


「亭主、ずいぶん湊が賑わっているが、何が一番荷の中で多いんだね。儲かっているようだが」。


 店主はうーん、と考えていたが、結局よくわからないようだった。


「一番多いのは米ですね。あとは味噌とか塩とか、他にもいろいろあるけど、やっぱり日ごろ使うものが多いね」


 四人の顔色が変わった。米と味噌と塩だけでここまで賑わうだろうか? 確かに生活必需品である。しかし大都市へ経由する大きな湊ならともかく、人口の少ない長浜湊でこれは、おかしい。


 領内の経済規模と湊の規模が釣り合っていないのだ。


「亭主、ここは昔からこうなのかね? 昔からこんなに賑わっているのかい?」


「いいや、ここ一年、一年半くらい前からかねえ」


 四人は顔を見合わせる。


「亭主、どこからの荷が多いかわかるかね」


「なんだい、いきなり。ひょっとして間者か何かかい? あはははは! いや冗談冗談! 詳しくはわからないけど、安芸からが多いんじゃないかね」


 河野を応援していた毛利と宇都宮は対立していた。


 正確には、宇都宮を支援にしている大友と対立していたという方が正しい。一年前に大友が小佐々に敗れたとは言え、四国における対立構造がなくなったわけではない。


 すでにあの時から毛利と通じていたのか? いや、確証はない。しかし、表向き毛利と小佐々は不可侵を結んでおり、通商もある。


 河野や伊予の国人の件でぎくしゃくはしていたが、交易がなくなったわけではない。したがって、長浜湊が毛利相手に交易をする事はおかしくはない。


 しかし問題は、宇都宮豊綱が、西の八幡浜を使った豊後との交易より、毛利との交易を優先した事がおかしいのだ。


 どう考えても、経済規模は八幡浜の方が大きい。毛利と何かあるのだろうか。


 宗麟は疑いたくなかったが、少しずつ、確証が高まりつつあったのだ。店主に紙と筆を貸してもらい、『宇都宮豊綱』とだけ書いて従者に渡した。


「よいか、殿に渡せばご理解いただける。必ず届けよ」。


 それを聞いた若い従者は、すぐに準備を整え、出発した。

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