第325話 三国連合vs.島津④激突必至!

 永禄十二年(1569年) 十月二日 午三つ刻(1200) 日向妙見原 伊東本陣


「殿、いったいどうなされたのですか」


「そうです、あれだけ嫌がっていたのに、何かございましたか?」


 驚きとともに、焦りすら感じている荒武宗並と山田宗昌の二人をよそに、伊東義祐はそこにいた。例のごとく金魚のフンのような取り巻きを連れている。


 まさか、と宗並は思った。思わず宗昌の顔をみたが、宗昌も同じ様に考えていたようだ。


 伊東義祐は、とうに政治や軍事に興味を失っていたはずであった。もちろん、気持ちを入れ替え、前向きになったのなら問題はない。しかし、そうではなかった。


 伊東四十八城と言われるように、義祐の領国である日向には、都於郡城を中心に四十八の支城網が構築されている。


 その威勢を内外にしめし、軍事的にもそう簡単に崩される事のない強固なものである。


 しかし、やはり最後は人間が決めるのだ。


 木崎原の敗戦の前より、義祐は贅沢三昧で京風文化に傾倒していた。敗戦後はその勢いをさらに増し、耳の痛い重臣の言葉は、聞く耳を持たなくなっていたのだ。


 耳の痛い事を言わない、事なかれ主義の家臣。奴らが何か吹き込んだのではないだろうか?


 そう二人は直感した。今回の戦で功をあげれば、いかに関心のない義祐とて、二人を無視はできない。そうなれば、家中での取り巻きたちの権勢は相対的に弱まっていく。


 義祐にすり寄る事で手に入れた権力である。それがなくなるかもしれないのだ。その可能性を危険視した取り巻き達の中傷である。


 要するに、二人が『義祐を蔑ろにして功をあげようとしている』『力を強めて謀反を企んでいる』等、どうとでも言える。


 宗並と宗昌は、そういう権力闘争にうんざりしていた。しかしまさか、戦場にまでついて回るとは思わなかったのだ。また、取り巻きが義祐の自尊心をくすぐったとも考えられる。


 今回の島津攻めは相良と肝付と連合したものだが、小佐々の支援を受けている。三国の盟主は自分であるべきなのだ、そう吹き込まれたのであろうか。義祐としては面白くない。


 総勢一万五千、合計で二万である。飫肥役と同数の軍勢が、この真幸院に集まることとなったのだ。


 しかし、これによって宗並と宗昌の戦術は瓦解した。


 敵の出方を見ながら、ギリギリの兵数で長期戦を戦う。島津は三方いずれかに主力をおくはずであるから、その動きをみて行動を開始するというものだ。兵糧、銭、矢弾は存分にある。


 現状の島津軍は、義弘の後詰めをいれても二千にならない。十倍の兵数である。この兵数でも長期戦を戦う事は可能だ。


 潤沢な物資の支援が、小佐々から受けられるのであるから問題はない。しかし、それを義祐は良しとしないであろう。


 敵の十倍の兵があるにも関わらず、なぜ待たねばならぬのだ、わしに小佐々の下風にたてと申すのか、そう言われるのが目に見えている。借りを作るのも嫌なのであろう。


「わしに小佐々のこせがれの下風にたてと申すのか」


 予想どおりであった。


 ■同日 同刻 ※飯野城 


「申し上げます。伊東義祐率いる軍勢、妙見原に到着してございます。数は一万五千」


 伝令の報告を聞いた※島津義弘は、本丸の本殿から城下を一望できる場所に移った。


「おうおうおう、いるわいるわ。よくもまあ、集めたもんじゃな」


 眼下に広がる総勢二万の軍勢をみて、達観している。


「今日は着陣したばかりであろうから、仕掛けてはこぬであろう。あるとすれば明日だ。出鼻をくじいてやるか。みな、食事をして今日はゆっくり休むように伝えよ。念のため、警戒は怠るなよ」


 それを聞いた家臣が義弘に聞く。


「殿、敵は夜襲をしかけて来ないでしょうか?」


「それは、ない。無論警戒は必要だが、奇襲や夜襲のたぐいは、寡兵が戦局を覆すために行う策よ。大軍には必要ない。しかも義祐の誇りがそれをさせぬであろう」


 ■永禄十二年(1569年) 十月二日 未三つ刻(1400)


「申し上げます! 敵、北上しております! 目的地は、不明」


「なにっ!? 全軍か?」


 相良義陽は伝令からの報告を受け、二週間にわたるにらみ合いが終わりを告げた事を理解した。


「長智よ、どう思う?」


「は、敵は救援を急がないばかりか、わずか千あまりで来ております。察するに大口城を救う意図はあれど、今回は別の目的があるのではないかと思われます」


 義陽はうむ、とうなずいたあとで言った。


「わしは敵が、肥後へむかう北西の街道を押さえるために動いたと考えるが、いかに」


「はい、それがしもそう考えまする。しかし、今動く意味がわかりませぬ。島津の本隊の動きがわからぬ今、こちらが慌てて動くのは早計かと存じます」


 島津軍の考えが、相良軍は大口城を力攻めしないであろうと想定していたとする。


 そして大口城の救援が目的であれば、やがてくるであろう本隊に呼応すべく、相良の退路を断つために動くのは理解できる。


 しかし、本隊の動きがわからない。島津の本隊が動いたという報告が、まだ相良軍には届いていないのだ。相良軍は動かなかった。


 いや、動けなかった、とも言えるかもしれない。


 ■永禄十二年 十月二日 夕刻 大隅 国見城北 肝付本陣


「敵の様子はどうだ?」


 肝付兼亮は忍びの報告を聞く。


「は、敵は連日の嘘の噂により疲労困ぱい。日中寝ている者もおります。また、噂を信じるものもおらず、ころあいかと」


 兼亮はうむ、とうなずき、兵に告げた。


「よいか! 明日早朝、禰寝の湊に夜襲を仕掛ける。われらがかかしではないことを、思い知らせるのだ!」


 おおお! と兵たちの歓声があがった。


 こうして薩摩大口城の島津歳久軍が怪しい動きを見せる中、日向真幸院での激突、大隅国見城での夜襲攻撃の幕が開けようとしていた。


 次回予告 第325話 三国連合vs.島津⑤情勢、動く(仮)

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