第260話 絶体絶命、臼杵城と大友宗麟の葛藤

 九月十二日 酉三つ刻(1800) ※臼杵城 ※吉岡長増


 伝馬で乗り継ぎ野営はしたが、翌日十一日の辰四つ刻(0830)には日田城に着いた。考えれば二刻と四半刻(4時間半)だ。二十四里近い(93km)距離をこれだけの時間で着けるなど、これはもう国力や兵力の問題ではない。根本が違うのだ。


 一昨日の通信文にしてもそうだ。筑前の津屋崎から肥後や豊後、四十里近い(150km)距離を三刻(6時間)もかけずに連絡しあう。ありえぬ話だ。それに比べてわが方はどうだ? 日田から馬を飛ばし、なんとか途中で馬を替える事はできた。


 しかし、結局※臼杵に着くのに二日かかっている。日田から臼杵までは二十九里(113.8km)であるから、小佐々の伝馬を使えば三刻(6時間)で着いている。通信ならば昼夜関係なく、二刻(4時間)で伝えるだろう。


 われらの常識を超えておる。街道を整備し、一里ごとに信号所、二里ごとに伝馬宿を設置する。これにより従来の三倍近い速さで使者や文書の往来が可能になる。もちろん天候やその他の条件で左右されるが、それでも早い。


 夜もそうだ。灯火や火振り、発光信号でやり取りをする。それも文書と変わらぬ内容を、だ。街道は雨でもぬかるむ事なく幅は六間(11.1m)はあり、人も物も、馬車でさえ避ける事なく行き来できる広さだ。


 あの船を見よ。沖浜にいる南蛮船と同じ、いやそれより大きい。そして大鉄砲とでも言おうか、巨大な砲に火縄のない鉄砲。どれをとってもわが領国にないものばかりではないか。


 日田城は戦わず降伏した。城下は整然としており、戦の最中である事を思わせるような形跡はない。角牟礼城下も同じである。日出生城は主街道から離れるゆえ通らなかったが、推して知るべしであろう。


 守備のために残されている兵は規律正しく、見張り台や番所はあったものの、あくまで保安のためと言う様相を呈している。略奪された形跡もなく焼き討ちや破壊の形跡もない。町の様子が普段と変わらないのだ。


 一時は逃げていた町民も戻ってきている。城での攻防は激しかったと聞くが、それでも短期間で終わったので、商いやその他の生活に支障をきたすほどではなかったのであろう。何かが、違う。小佐々は今までの敵とは違う。


 由布院山城には小佐々の押さえの兵がおり、府内にも五千近い兵がいたが、混乱はまったくない。今までこのような規律正しい軍を見た事がない。略奪は行われず、城下での必要な物資の調達には、しっかりと対価としての銭が支払われている。


 しかしその様相は臼杵に近づくにつれて変わってきた。まず住民の数が減った。実際の住民の数はもちろん減ったのだろうが、出歩いている人の数が明らかに少ないのだ。兵のほうが圧倒的に多い。府内とは逆だ。そしてなにより殺伐としている。


 もちろん町の規模としては府内が圧倒的に大きい。ゆえに民の数も多いのはもちろんだ。しかし、問題はそこではない。府内は大友家の政治、経済、文化の中心であるので、繁華で活気に満ちた、賑やかな町と言う印象だ。


 それが、そのまま残っているのである。多くの兵が駐屯しているものの、変わらないのだ。対して臼杵はと言うと、たしかに歴史も浅く規模も小さい。しかし小規模なりに小さな府内、と言う装いであれば良い。


 だがそうではなく、明らかに戦の影響で民が減っているのだ。わしは津屋崎での滞在の間、そしてここまで来る道中、見て聞いて感じた事をすべて頭の中でまとめ、考え、一つの結論に達した。


 駄目だ、戦などしてはならぬ。勝てるはずがないのだ。もちろん、勝てないと思ったからこそ和平交渉に臨んだのだが、それはあくまで戦況が原因だ。改めて確認し、認識したのだ。そもそも大友が勝てる相手ではない、と。


 ■城内にて


 本来なら目通りする時間ではないが、事は急を要する。無理に目通りを願い出るが、殿は具合が悪いようで取り次ぐ事はできぬと言う。馬鹿な! 無視して入ろうとしたが制止された。いかな吉岡殿とて通す事はできませぬ、と。仕方がない。


 明日の朝もう一度出直そう。嫌な予感がする。


 ■翌日


「何だと!? まだ具合が悪い? どけ、どんなご様子なのだ? ご病気なのか?」


 わしは必死に食い下がるが、天下の大事、お家の大事と言っても取り次がない。何度もやり取りを行い、やっと目通りできたのは昼過ぎ、未の一つ刻(1300)を過ぎた頃であった。


 殿に非礼をわび、今回の目通りの目的を話した。すると恐れていた答えが殿から返ってきたのだ。栂牟礼城と朝日嶽城に援軍を送った、と。


「何ですと!? 援軍を派遣した? 何を馬鹿な事を! それに臼杵城のどこにそのような余裕があるのです!」


 馬鹿な事を! と言うその一言が殿の癇に障ったのだろう。露骨に嫌な顔をしている。わしは城に入るやいなやお目通りを願い、無理を通して拝謁をしている。非常事態なのだ、通常の手続きなど踏んでおれぬ。


「馬鹿な、だと? わしに助けを求めてきた者に救いの手を差し伸べて、何が悪いのだ? 領主として為政者として、当然の事ではないか」


 言葉通り、何も悪いとは思っていない。それどころか、自信を持っている。一体どうしたと言うのだ殿は。もちろん、普通ならただのお家騒動への介入である。しかし、両家は明確な離反声明は出していないものの、明らかに小佐々に寝返っている。


 それがわからない殿ではないはずなのに、どうしたのだ。和平交渉を進めているのに、明らかな背信行為ではないか。いや、殿にしてみれば背信行為ではない。わしが小佐々と和平交渉を行っているとは殿は知らぬのだ。


 この長増一生の不覚! みずからの行いで主家を滅亡の危機に向かわせるとは。


「殿、よくお聞きくだされ」

「何だ、どうしたと言うのだ」

「殿、われら大友は、ただいま小佐々と和平の交渉中にございます」


 一瞬、時間が止まったような気がした。まさに止まったのだ。そしてゆっくりと、ゆっくりと時が流れ始める。


「な、に? 今、なんと申した? もう一度申してみよ長増」

「は、われら大友は小佐々と和平交渉をしております」

「馬鹿を申すな! わしは何も知らぬぞ! 大友はわし、わしが大友ではないのか!? わしの預かり知らぬところで行われた和平交渉など、交渉ではない!」


 怒髪天、とはこの事を言うのだろうか。殿は顔を真っ赤にし、立ち上がってどなった。傍らにいる小姓の刀を奪い取り、今にもわしに斬りかかってきそうな勢いである。無理もない。主君としての威厳を損なわれたと思ったのだろう。


 主君の意向を無視して、家臣が勝手に和平交渉を行った。これだけでも重大な主君に対するわしの背信行為なのだ。しかし、わしはわしの信念で、殿に無断で交渉を行った。言うべきは言わねばならぬ。


「誠に申し訳ござりませぬ! その儀、決して私心からではございませぬ。ひとえに大友の、殿の事を考えればこその事。平に、平にご容赦頂ますようお願い申し上げます!」


 すうう、はああ、すうう、はああ。


 殿の荒い息遣いが聞こえる。そしてそれがやがて小さくなり、平静を取り戻した殿は言う。


「申せ。わしは和議交渉が行われている事は知らなかった。そのうえで朝廷や幕府による和議の斡旋で、少しでも状況を良くしようと援軍を送ったのだ。兵を出せ、との命には従わなかったものの、佐伯に柴田は大友の国人じゃ」


「今はまだ小佐々に与しているとは言えぬ。小佐々軍と同じくして攻めてきたわけでもないからな。それゆえ家臣のお家騒動に介入して、もう一度海部郡を確固とした大友の領地にしようと考えたのじゃ」


「わしの考えは間違っておるか」

「いえ、間違ってはおりませぬ。ただ……」

「ただ何じゃ」


 少し間をおいてわしは答えた。

「状況が悪うございます。これがもし戦況が平行線で、どちらが優勢とも言えぬ状態なら、多少の譲歩はあっても事なきを得るでしょう。しかしそうではありません。小佐々が圧倒的に有利な状況で、こちらからの申し出で和議をしようと言うのです」


「もし殿が、和平交渉の開始をご存知で命を下したなら目も当てられません。当然交渉は立ち消え、背信行為として軍が続々と豊後に侵攻してきましょう。しかし殿はご存じなかった」。


「わしの一存で始めた交渉ゆえ、事情を考慮してくれるかもしれません。しかし、交戦状態となった今、そして殿が事実を知った今、とるべき行動は撤退しかありませぬ。撤退しなければさらなる被害と、大友家は、消えまする」


 何?! また宗麟の声が大きくなる。しかし今度は立ち上がりはしなかった。どうやら『消える』と言う表現が癇に障ったらしい。しかし、事実とそう遠くはない。


「開戦から十日あまり。筑後を平定した敵軍は豊前へ北上し、長岩城と城井谷城を降伏させて、香春岳城の落城もあいまって、一度はこちらについた国衆も続々と小佐々に服属しております。筑前の戦況は道雪と鑑速が善戦するも平行線」。


「豊後は日田、角牟礼、日出生城をおとされ府内に敵軍の駐屯を許しております。さらに北肥後を押さえた敵は豊後南部から臼杵を狙っております。この状況で大友に勝ち目がございますか。ございますまい」。


 殿は黙って聞いている。


「仮に朝廷や幕府の仲介が入ったとて、どちらかに有利な裁定が行われるとは思えません。むしろ小佐々に有利に運ぶでしょう。そのような中、交渉にこぎつけたのです。これを逃してはなりません」。


「では、見捨てよと申すのか」

「見捨てるのではありませぬ。そもそも両家は小佐々に降っておるのです。それを事実として認めなければなりませぬ。そしてそれが事実とするならば、今回の援軍はただのお家騒動への介入、しかも他国のそれに相違ありませぬ」


「だとするならば、見捨てるのではなく、任せる、と言うのが正しいのです。介入すべきではありませぬ」。


 また、沈黙が訪れた。今回はもっと長い。


「大友は、負けるか」

 殿がぼそりと言った。独り言のようにも聞こえ、わしに問うてるようにも聞こえた。


「はい。今のままでは」。

 殿は目をつむり、考えている。何を考えているのか。これからの大友の行く末か、それとも戦況か、はたまた和議の条件か。


「わかった。撤退するよう使者をだせ。急ぐのだ。それから長増。和議の条件と、これからどのようにすべきか話せ」


 はは、とわしは言い、この事件発生までの進捗と今後の予想、そして譲歩の条件などを話し合った。


 撤退をしらせる使者は、すでに出発した。未の三つ刻(1400)であった。

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