第277話 南蛮船の謎と島津家の戦略
永禄十一年十二月 薩摩 内城
「いやあ、めでたいめでたい、来年は良い年を迎えられそうですな」
そう語るのは島津家当主島津義久の弟、義弘である。
島津氏は今年、永禄十一年十二月、大口城の菱刈隆秋を相良の人吉城へ敗走させ、清色城の入来院重嗣、鶴ヶ岡城の東郷重尚を降伏させた。
これは、史実より一年早い。四年後の元亀三年(1572年)に起きるはずの伊東との木崎原の戦いがすでに起き、伊東を破っている。その影響は図り知れず、純正の予想通り、菱刈、入来院、東郷に与していた土豪は次々に島津に服属していったのだ。
「そうだな、義弘よ。ようやく薩摩国の統一が成し遂げられた。しかし、大隅にはまだ肝付もおるし、奴らに与している禰寝や伊地知もやっかいじゃ」
義久は冷静に現状を分析し、今後の課題を語る。
「そうですな。大隅における戦線は小康状態にあるとはいえ、奴らが強硬に組んで抵抗を続ければ、我らにとっても厳しい。ここは力攻めだけでは無く、慎重に対処が必要かも知れませぬな」
武闘派の義弘は武勇のみ話題に上がるが、戦略や戦術に関して言えば状況分析も当然のように出来るのである。
「 これは兄上とは思えぬような弱気な発言ですな。確かに肝付氏との闘いは激しさを増していますが、奴らも一枚岩ではありませぬ。付け入る隙は十分にございます」。
そう発言するのは兄弟の中でも知恵者と評された三男の歳久である。
「兄上、何か考えがあるのですか。木崎原で我らが勝利し、その勢いで薩摩の国人達は我らになびきましたが、大隅でもその影響はあると?」
末弟の家久が兄の歳久に聞く。
「おう、ぜひわしも聞きたいのう。別にわしは弱気な訳では無いぞ。少々骨が折れると申したまでじゃ」。
腹を立てている訳では無い。この妙な掛け合いが兄弟の中で笑いを起こし、緊張して固まった四人の頭をほぐしてくれるのである。
「禰寝、を攻めまする」
「攻める?」
四男の家久が三男の歳久に聞き返す。
「その攻める、では無いぞ。調略をかける、という意味じゃ。禰寝は肝付、伊地知にくらべ、この中では肝付が一番大きい訳だが、一番小さい。それゆえ盟友とは言え、格下に見られ肩身の狭い思いをしておる。そこを突くのよ」。
三人が歳久を注視し、真剣に聞いている。
「無論、長年共闘をしてきた三家だ。そう簡単には崩れぬだろう。念入りに念入りに、何度も調略を仕掛ける。これは今しか出来ぬ事じゃ。肝付をはじめ三家は、他に盟を結んでおらぬ」
確かに、そうだ、という顔をする三人。
「そして伊東は南下どころでは無い。肥後の相良もそうじゃ。支援しておった菱刈が人吉に逃げておるから、薩摩においては降伏したも同じ。独力で攻めてくるなどありえぬ。そこで、寝返るなら今じゃと焚き付ける」
薩摩は南国とは言え、十二月ともなればさすがに寒い。歳久は火鉢に新しい炭をくべ、話を続ける。
「そして我らは大隅のみを狙える状態じゃ。北の脅威は、ない。今はいたずらに攻め込むような事はせず、調略に徹し、薩摩国内を安定させましょう。そして調略がなった時、一気に肝付と雌雄を決するのです」
歳久は対肝付の戦略を禰寝氏への調略に一本化する事を提案している。
「なるほど、禰寝重長という男、機を見るに敏であれば、歳久の言うように事が運ぶやも知れぬな。禰寝は確かに今、盟友の肝付や伊地知と一緒に我らに抗している。しかし我ら島津家の勢いを見れば、選択肢も変わろうというもの」
義久はそれを聞きながら、兄弟の間で広がる安堵感と共に、火鉢から立ち上る温もりを楽しむ。
「確かに、歳久の言う通りじゃ。敵が孤立した時こそ好機なのだからな」。
義弘も同意する。
「その通りです。我らは純粋な戦闘力だけでは無く、知略によっても勝つ事が出来る。それが島津の本来の力なのです」。
夜は更けていく。兄弟達は軍略を語りながら、次の年、そしてその先の未来を語り続けた。
「では、歳久。お前がその調略を担当し、見事禰寝重長を寝返らせて見せよ」
「お任せ下さい、兄上」
歳久は力強く返事をした。
「それはそうと兄上」
末弟の家久が口を開いた。
「何だ、どうした」
義久は笑顔で家久に聞き返す。
「種子島に、種子島に南蛮船が来たようです」
何い!? 三人が揃って家久を見る。
年下の兄弟、兼久が不意に話題を持ち出したのだ。義久は驚きの表情を浮かべ、家久に聞き返した。
「誠に、誠に南蛮船が種子島に着いたのか? ならばなぜわしのところに話が来ぬ」
義久は驚きとともに、苦虫を潰した様な顔になった。当然だ。種子島の領主、種子島時尭は長年島津に従い、義久のおばである『にし』殿を正室として迎えていたのだ。その時尭は、男子が生まれぬとの理由で、敵である禰寝氏より側室を迎えた。
そして嫡男が生まれたのだ。ひた隠しにしていたが発覚し、怒り狂った義久のおばが娘二人をつれて薩摩に帰って来ている。依頼、種子島家とは疎遠になっているが、国力で考えればどう考えても島津が上である。
ただ当時は、木崎原の前という事もあり、四方に敵を抱えた島津は種子島家どころでは無かったのだ。そして今もまた、北の脅威は去ったとはいえ、肝付連合と対峙している時、敵をつくる必要はない。
しかしそれは時尭にとっても同じ事。生き残っていくには力のある方と結ばねばならない。もし、時尭が島津と結びたいと考えているなら、南蛮船を餌にして使いを寄越して来そうなものである。しかし、義久のもとには来ていない。
これは、我らとの誼を再び結びたくは無い、という意思表示なのだろうか。事実禰寝氏の娘を娶っているのだ。いや、こたびの禰寝氏の調略が上手く行けば、種子島氏も我らの軍門に下るであろう、そう義久は考えた。
「して、その南蛮船はどうしたのじゃ」
歳久は少し興ざめしたような顔で家久に聞いた。
「は、それが、実は、見た目は南蛮船でも、南蛮船では無いのです」
何? 何を言っているのだ? 他の三人の視線が家久に集まる。
「南蛮船は、小佐々の、あの、肥前の小佐々の船だったのです!」
「ふ、ふははははは! 何を言い出すかと思えば。そのような事がある訳がなかろう。我らと同じ日の本の民(以降日本人と表記します)が、南蛮船に乗っておる訳がないでは無いか。しかも、小佐々の船だと? 馬鹿も休み休み言え」。
義久は笑い飛ばした。しかし目は笑っていない。義弘は混乱しているが、歳久は話をまとめ状況を整理しようとしている。しばらく考え、歳久は言った。
「すると、南蛮の船に小佐々の人間が乗って、船を操って種子島までやってきたと言うのか? まさか、自ら造ったのではあるまいな?」
その通りです、と家久は答える。種子島に行ってきた佐多の人間が話しているのを聞いたようで、しかも一人や二人では無いらしい。今度は義久も笑わない。四人誰もが笑う事なく、事実を見極めようとしている。
「相わかった。山くぐりを使って詳しく調べさせよう。事と次第によっては種子島をはじめ、我らのこれからが変わってくるぞ」
義久はそう言って、その夜の談義を締めくくった。
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