第243話 第三艦隊「風待ちの航路」

九月六日 卯の一つ刻(0500)第三艦隊


第三艦隊は昨日、深江城東の海上で日没を迎えた。予想より風が出なかったのだ。しかし、幸か不幸か洋式艦以外の関船や小早を先行させたのが良かった。関船で一番大きな旭日丸を旗艦として、分艦隊を率いさせた。


漕手がいるぶん風と比べて早い方を選べる。風で一~二ノットで近距離なら漕船の方が早い。帆走と組み合わせて、なんとか塩田津の湊まで、いや、最悪竹崎の湊まで行く事ができれば、今頃は出港して塩田津の湊まで向かっているはずだ。


残念ながら風はまだ出ていない。われらもこれから風待ちで、塩田津の湊まで向かうとしよう。商船にも協力してもらった。戦時なのだ。もちろん、代金は支払う。


■午三つ刻(1200)


結局風は吹かず、残った洋式艦隊は三刻(六時間)で六海里(1.852km×六)しか北上できなかった。しかしそれでも北上したのは、漕船の兵の負担を考えての操艦である。塩田津の湊で兵を乗艦させた艦は三列の縦陣で南下させた。


あまり使われない陣形だが、彼我の位置がわからないので捜索しながら南下して合流するよう指示したのだ。筑紫乃海の対岸同士は、西岸の肥前島原の多比良と東岸の肥後の玉名長州で、七海里(13km)ほどあるのだ。


合流後、商船を解散させ、商船に乗せていた兵を洋式艦に乗艦させた。ここからは追い風だ。とはいえ四ノットから五ノット。夕刻、日没までに島原南部の口之津までがやっとであった。不本意ではあるが、潮と風はどうにもならない。


戦時とはいえ、羽目を外さない事を厳に注意して、上陸を許可した。門限は子の一つ刻(2300)だ。


『ハツ ニシ(第二) アテ ソウシ(総司)、ゼンシ(前司) ヒメ カワラダケジヨウ カンラク テキセウ フタリ ホバク シカレドモ ソンガイ オオキク シユウリダイフ ジユウセウニテ カウサウ イタス ヒメ マルロク(6日)ウマサン(1200)』


口之津で情報を得た。


陸軍の第三から第五軍は順調に豊後、豊前に侵攻しているようだが、先に豊前に侵攻した第一、第二軍は苦戦していた。しかし、損害は出たものの、城を陥落できたのは大きい。陸軍の場合司令部が移転する場合は信号を送り、最新の司令部の所在地に届くようになっている。


海軍も主要の湊と基地、そして目的地を信号発信しているので、陸海軍とも移動中に信号が到着したとしても、旧所在地もしくは移動中の目的地に信号が届く。もちろん、信号発信時に移動の信号を受けていれば、移動先へ信号は送信される。


そして信号は基本的にソウシ(総軍司令部)は必ずアテ(宛先)に含まれ、ゼンシ(前線司令部)には陸軍の司令部と海軍の艦隊所在地が含まれる。ソウシは全体の情報を把握するために必要だ。


しかし、ゼンシの場合は情報の共有が目的である。そのため、受け取った司令部はアテに対して特別な場合を除き、要するにアテに対して直接の要件がない限りは返信しない。


合同作戦やお互いに位置や状況を把握する必要がある場合は、アテはソウシ、◯◯シとなる。陸軍の場合はヒトシ、フタシ、サンシ、ヨンシ、ゴシ、・・・となる。海軍の場合は長くなるのでヒトカン、フタカン、サンカン、ヨンカン、ゴカンとなる。


司令部のシはつけない。個別の艦とのやりとりは艦名を記すからだ。


■翌日七日、卯の一つ刻(0500)


卯の一つ刻(0500)に口之津を出港した。四~五ノットではあるものの、風に乗る事ができ、午一つ刻(1100)には野母崎の樺島沖に到着した。先は長い。乗員たちを口之津で上陸させたのは、やはり正解だった。船乗りとして熟練していようが、今日初めて艦に乗った新兵だろうが同じ船乗りだ。


疲労もたまるし鬱憤もたまる。基本的に軍には厳しい規律が必要だが、これから戦地に向かうのだ。気持ちを落ち着かせる酒くらいは必要だ。したがって館内には酒保というものを置いて、酒類も販売している。もちろん、一日に飲む酒の上限は厳格に決められている。


■七日、午一つ刻(1100)


椛島沖に到着する前から風向風速が変わってきたが、完全に追い風の南風、十九ノットである。一気に北上し、高後崎西八海里まで一刻で着いた。


午三つ刻(1200)である。そのまま東に転舵して東進したので南風十ノットは横風になったが、ほどなく佐世保湾内に入り、艦を転舵し北上する。変わらず南の風だったので半刻(一時間)ほどで入港した。未一つ刻(1300)過ぎである。


『ハツ サンカン アテ ソウシ ゼンシ ヒメ タダイマ サセボ アス ウノヒト(0500) シユツコウヨテイ カラツ チヤク マルハチ(八日) サルイチ(1700) ヨテイ ヒメ』


佐世保は相神浦松浦の本拠地の湊として栄えており、また小佐々氏の准軍港、造船都市としてもにぎわっていた。三月の爆破事件からさらに、こういう軍事拠点の分散化が図られた。拠点が分散していれば被害も少ないし、敵の攻撃も成功しづらくなるのだ。


佐世保は南蛮港ではなかったが、小佐々氏と婚姻関係にある事もあり、様々な優遇を受けている。すでに相神浦松浦の兵の乗艦準備は済んでおり、順次乗艦した。乗艦手続きが済んだ者の中では、口之津と同じように上陸を許可した。


酒を提供する居酒屋のような店はあった。こういうのは気分の問題である。艦内で飲む酒と、上陸して飲む酒では味が違うという。もちろん中身は同じだ。特別上等な酒を普通の値段で提供しているわけではない。


昨日まであった平和と真逆の、戦場という非現実的な空間に身を置く事となる乗員にとっては、現実をつなぎとめておくための唯一の空間なのだろう。


南蛮を回る練習航海や、角力灘から五島灘にかけての演習、京や堺湊への航海に参加した事がない者は、疲労と航海の長さによる物理的・精神的な負担を感じているのは確かだ。しかし、使命感と団結力に支えられていた。


■八日 卯の一つ刻(0500)乗員と兵たちは佐世保を出港して唐津、そして津屋崎へと向かう。


出港時に逆風のため風をつかむのに苦労したが、それでも辰三つ刻(0800)には佐世保港の西海上にある黒島の南西二海里半に到着した。そこから北上する。風は南の風十七ノットである。一刻(二時間)ほどで的山大島の東三海里(5.5km)に到着。


一刻(二時間)で唐津北海上に着き、南下。ここでも逆風だったが一刻半(三時間)で唐津着。申一つ刻(1500)、予定より一刻半(三時間)早い到着であった。

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