第231話 岩尾城 阿蘇惟将

九月五日 卯の四つ刻(0630) 岩尾城

小佐々純正からの外交文書、いわゆる文をみながら阿蘇惟将は驚いていた。


「小佐々どのから文、というよりなんだこれは?随分簡単なものだな」。


『発 総軍司令部 宛 阿蘇惟将殿 メ フクゾクノマウシデ カンゲイイタス アカボシドノモ フクゾクサレタユヱ アソドノニオカレテハ ワガダイゴグンキカトナリ ブンゴニ シンカウサレタシ キヨウリヨク オネガイ イタス メ 四日 丑二つ刻』


これが着いたのが昨日の子の一つ刻(2300)だと?


冗談であろう?昨日の夜中の丑二つ刻に出しただと?どの様にしたらこんなに早くここまで届くのだ?ここは肥後で小佐々殿は肥前であろう?一日もかかっていないではないか。


二日ないし三日かかる距離だぞ。まさか宗運が言っていた事は、これなのか?


『発 第五軍司令部 宛 阿蘇惟将殿 メ ワレラ コレヨリ アカボシドノト ガウリユウシ ウチマキジヨウニ ムカウ ガウリユウスベク ゴジヨリヨクネガウ メ 四日 辰四つ刻(0830)』


これが着いたのがさきほど、卯の四つ刻(0630)だ。おそらくは内空閑氏の内村城からであろう。


小佐々領内とそれ以外での文のやり取りの速さが違う。これは、これからの戦を変えるぞ。そう思った。大将の考えや部隊の状況の把握がこの様に迅速に行えるのだ。


「陣触れをだせ!出陣じゃ。われらはこれより小佐々殿にご助力すべく、内牧城に向かう!」


■申一つ刻(1500)

阿蘇惟将が出陣できたのは申一つ刻(1500)であった。小佐々どのと大友は戦をしておるから、服属したとしていつ出陣の要請がかかるかわからなかった。それゆえ準備をさせておいた。お陰で三刻ほどで出陣できるわけだが、すぐ日も暮れる。


進めるのは二里半ほどであろう。


■戌一つ刻(1900)

日没までの行軍で益城郡から阿蘇郡へ入り、小峰村で野営した。


■六日 卯の二つ刻(0530)

日の出前の払暁に出発した。大野村ヘ向かい、そこより日向に向かう街道から分かれ北へ向かう。菅生村を抜け柏村から高森城へ。高森城で宿泊しても良かったが、惟将には時間が惜しかった。


内牧城へ向かった赤星勢や小佐々の第五軍より早く着き、待っていた方が心象が良いと思ったのだ。なにより内牧城は阿蘇の領国である。高森城より北へ一里弱、祖母神社で野営した。


■七日 卯の二つ刻(0530)

六日と同じ刻限に出発した。北上し村山村を抜け坂梨村で街道を西へ向かう。宮地村の園田神社で野営。


■八日 卯の二つ刻(0530)

出発して二刻弱、巳の一つ刻(0900)内牧城に到着した。ここで兵に休息をとらせ、惟将も休んだ。夜は休んだとはいえ二日通しての行軍だ。疲れがない、と言えば嘘になる。


しかし、前日の七日の午の一つ刻(1100)には赤星統家も、第五軍の将である神代貴茂准将もすでに到着し、城下に陣を構えていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「遅参、申し訳ござらぬ!阿蘇惟将にござる!」

「いや、これは!神代貴茂にござる。頭を上げてくだされ、惟将どの。私は殿の名代ではあるが、殿ではござりませぬ。ゆえに全権は預かっておりますので指揮権は私にありますが、立場は同等にて接していただければと存ずる」。


『との』と、傍らにいた甲斐宗運が惟将の腕を軽くたたく。


「こちらにいらっしゃるのは、もしや・・・」。

神代貴茂が聞く。

「当家の筆頭家老、甲斐宗運にございます」。

「おお、これは。御高名はかねがね伺っております」。


好々爺にも見える笑顔を絶やさぬ老人、阿蘇家の重鎮甲斐宗運である。宗運は『甲斐宗運にございます』。

と頭を下げる。この老人こそ阿蘇家の家中をまとめ、大友家より離れて小佐々家に服属する様に推し進めた張本人である。


「惟将どの、知勇兼備の宗運どのとこうして出会えたのも何かの縁、色々とお話をお伺いしとうござるがいかがか?」

「もちろんにござる。当家の家臣がお役に立てるならなによりです。ささ、まずは城内にてゆっくりなさいませ」。


かたじけのうござる、と貴茂は答え、赤星をはじめとした北肥後の国人衆と城内に入った。第五軍は昨日内牧城下に到着した事を第三軍の蒲池鑑盛に伝達していた。その応答を待ち、協議の上豊後に侵攻しようと考えていたのだ。


しかし七日の辰一つ刻(0900)には第三軍から、

『ハツ サンシ(第三軍司令部) アテ ソシ(総軍司令部)、ゼンシ(前線各司令部) ヒメ ダイヨン ダイゴノ ハウニ セツシ ワレラ コレヨリ ヒノデヲモツテ ユフインヘイ ケイカイ シツツ フナイヘ ムカウ ブウンヲ イノル ヒメ マルロク(6日) トラニ(0330) 』


と文がきていたのだ。阿蘇は小佐々に服属したとはいえ、その文の対処に困っていたらしい。城代と信号番を叱責しようとした惟将だったが、情報の伝達に相違があった、以後気をつけよう、と神代貴茂がその場をおさめた。


そして合同第三軍は兵に休息をとらせ、午三つ刻(1200)に昼食をとり、未一つ刻(1300)に内牧城を出発したのだった。

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