第5話 戦国にて初の決断の時〜横瀬への南蛮船寄港計画〜

 鋭い! 絶妙に鋭い! ベタすぎるくらい鋭い! ていうか、意味不明なこと書いてぶつぶつ言ってたら誰でも(どうした?)ってなるよね。


 前世でも弟いたけど、どっちかって言うと無口で職人気質しょくにんかたぎだったから、新鮮っちゃ新鮮。……いやいやいや。


「ん? あ、ほら東光寺の住職からの宿題があって、読解と自分なりの解釈をね、いろいろ考えないといけないから、ね。うん、そうそう」


 うそ、完全ウソ。ていうか住職って誰だよ。知らんし。厳密にはこっちの記憶もある程度はもっているから、住職が勉強の先生だったのは本当。


 ただ事実として知っているだけで、経験している、というのとはちょっと違う。


「ふーん、でもあまり無理はしないでくださいね。それでは失礼します」


 一礼して弟は出ていった。セーフ! えーっとどこだっけ、何だったっけ?


 そう! 宮の前事件! 


 今年の8月に事件が起きた後、平戸からポルトガル船が消える。そして、来年永禄五年(1562年)の大村純忠の手紙を経て、7月15日にはアルメイダが横瀬に到着する。


 相当な賑わいをみせる横瀬も、翌年武雄領主の後藤貴明と針尾城主の針尾伊賀守の軍勢によって襲撃される。


 どさくさにまぎれて豊後(大分県)の商人が、貿易代金を踏み倒すために町に火をかける。


 ゆるせん! 豊後商人!


 うーんなんとか防げんかな、これ。1年じゃ短すぎる。


 大村純忠は富国強兵のために南蛮貿易したかった、という説もあるけど、熱心なキリシタン大名なんだよねー。


 どっちにしても横瀬から福田、そして長崎まで、空白期間があるのはもったいない。平戸は8年間くらいだったよね。10年はほしい。


 来年といわず今から手紙出しておけば、まだ事件前でも寄港の時期が早まるかもしれない。


 そして極端なキリスト教保護による一部家臣領民の反発も防げれば、後藤貴明の逆恨みがあっても焼き討ちは未然に防げるかもしれない。


 よし、さっそく父上に話して小佐々の殿様や大村の殿様に具申してもらおう! これで一歩前進。


 いや待てよ、ちょっとまてよ。たしかに俺たち沢森家を含む小佐々水軍衆は、将来的に大村家の家臣になるけど、まださきの話じゃなかったか? 


 横瀬を領有していたから、大村家は南蛮船を招致している。


 小佐々家は西彼杵そのぎ半島の南は三重みえから北は半島北端の、西は五島列島の平島まで島嶼部とうしょぶに出城を築いて支配している。


 小佐々家は、俺たち沢森家にとっての寄り親(注1)だ。でも大村家は小佐々家の寄り親ではない。


 だからいくら親密な関係だとしても、他所様? に利益をもたらすことってどうなんだろう? 


 でも、再来年、2年後の永禄六年(1563年)には小佐々弾正純俊は大村純忠と一緒に洗礼を受けている。


 ちなみに我が沢森家は西海市西海町の半島の西側と大島・崎戸を領有している。小佐々家にとって有力な筆頭寄り子だ。


 うーん、ちょっとこのへんの、近隣の利害関係とか上下関係をしっかり把握しなおすことが先かもしれない。


 些細な事でも、一歩間違えば簡単に人が死ぬ時代だからね。


 よし、父上に会って、その辺のところを聞いてみよう。


 今日はいい、疲れた。ボロがでないように頭を整理しつつ、体を休めて明日聞こう。


(注1)寄り親

 主従関係などを結んでいる者を親子関係に擬して、その主を言う語。特に、戦国大名は有力な武将を寄親とし、在地土豪などを寄子 (よりこ) として軍事組織を編制した。

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