地球は勇者の指先にある

雪村 緑

プロローグ 「外星の雛」


 百年ほど前から、『キャンディ・プラネット』と名乗る組織が頭角を現している。


 かわいらしい名前だと感じたなら、もうまずい。だまされている。その組織は、独自の武器や兵器を開発し、売買する。人間社会に魔物が設立した企業であった。


 それ以降、長らく息を潜めていた魔物たちは明確に人類の脅威になり、徐々に徐々に地球を蝕み、ここ十年ではとうとう、いくつかの都市や村落が崩壊するまでに至っている。やがてその刃が国家の喉元に届くのも時間の問題だろうというのは、世間の見解の大半であった。


 人類が、銃火器を手にして殺傷能力を高めたように、魔物もまた、武器を手に入れたことで人間を蹂躙する力を得たのだ。




『はじまりの村』に住む少年――プラムは、七歳だった当時から、迫りくる魔物の足音を肌で感じ取っていた。平和な村において誰もが穏やかに過ごす中、彼だけが侵略の予感にゾクリと背筋を震わせ、同時に、血が沸きたったのをおぼえている。


 そんなプラムはある日、夢を見た。


 不思議な夢だった。そこはどこまでも白い空間で、何もない。目の前に、プラムとまったく同じ姿形をした少年が立っているだけだ。誰だろう、と思っていると、その少年は呆れたように苦笑した。そして、呑気な弟を見る兄のような顔でこう言ったのだ。


 起きろ、と。


 目を覚ましたその日から、プラムの身体には、膨大なエネルギーが満ち満ちている。



       ♦



 とある宇宙ステーションにて、一人の宇宙飛行士が憔悴しきった様子でいた。肉体ではなく、精神の疲労によるものだ。屈強な体格に似合わない青ざめた顔色に、仲間たちは同情を浮かべる。


「大丈夫か?」

「……ああ、問題ない」


 強がりであることは明らかだった。彼は無重力空間を泳ぐように進み、窓の外を眺める。真っ暗な宇宙の闇の中に、燦然と輝く光の惑星――地球。そこに浮かぶ大陸の一点、自らが生まれ育った故郷を、じっと見つめている。宇宙ステーションは、ちょうどその大陸の上空を通りすぎるところだった。


 彼の故郷が魔物の大軍の襲撃を受けたという情報が入ったのは、三週間前のことだ。これに対抗するため、国は軍隊を出動させ、応戦。しかし、状況は劣勢である。民間人にはまだ被害が及んでいないものの、これから先はどうなるかわからない。少なくとも、死者を覚悟しなければならない段階に入っていた。


 宇宙飛行士は憔悴しきっていた。家族が心配でならなかった。


 地上から送られてくるニュースに張りつき、宇宙空間ゆえに情報に数時間のラグがあることに憤り、意味もなく窓の外を眺めては、ため息をつく。今すぐに連絡して安否を確認したいのに、それすらもできない。もう三日も眠っていない。眠れない。


 その弱り方は尋常ではなく、彼の方が先に死んでしまうのではないかと思うほどだった。


「おい」

 仲間の一人が呼びかける。

「少し休め。寝ろ」

「仕事は私たちがやっておく」

 別の仲間も賛同する。

「……」


 彼は答えない。寝不足と心労で、うまく頭が働いていない。


「大丈夫さ。俺たちには『流星群』がついてるだろう?」

 さらに別の仲間が、あえて茶化すように言った。


『流星群』とは、辞書通りの意味ではなく地球に降り注ぐ隕石の群れのことであり、近年、妙に頻度の多い現象でもある。ここ七年でもう六度、起きている。


 流星群は、決まって魔物との戦闘時に降り注いだ。現在の故郷のように、人間の町や村が蹂躙される寸前、魔物だけをピンポイントに狙って落ちてくるのだ。それでいて過剰な被害は一切出さず、隕石が落ちたエリアはすぐに復興している。

 噂や都市伝説の類ではなく、実際に起こった事実である。


 人類に味方する何者かの意図を感じざるを得ないその現象は、概ね肯定的に捉えられ、人々の間では希望として囁かれていた。


 仲間は言っているのだ。希望に縋れ、と。

 宇宙飛行士はもう一度ため息をつき、肩を落とす。


「……ああ、そうだな」


 相好を崩す。忠告の通り、睡眠のためにミッドデッキに向かおうとした、その時だった。


「おい、なんだあれは!?」


 仲間の一人が、窓の外を驚愕の眼差しで凝視している。

 他の仲間たちが訝しんで覗き込むと、同じように驚愕した。いったい何があるんだ、と彼も外を窺い、それを見た。


 三日分の眠気も吹き飛ぶような衝撃を受けた。


 宇宙空間に、人間がいた。少年だ。宇宙服を着ていない。かといって、死んでいるわけでもない。平気な顔で宙に浮かび、息をしている。

 真空、放射線、絶対零度。人体には耐えることのできない過酷に身を晒しながら、まるでリビングでくつろいでいるかのように、平然としている。平然と、地球を見下ろしている。


「おいおいどういうことだよ」「子供か? 中学生くらいに見えるが」「ええ、私の息子がちょうどあれくらい」「別の星の生命体なんじゃないか……?」「まさか、ありゃどう見たって人間だぜ」


 紫色の髪に紫色の目をした少年。特徴的な容姿だ。だというのに、着ているのは一般的な寝間着のように見える。身体には、髪や目と同じ紫色の光を纏っていた。


 あの光のおかげで無事なのか? 何をしているんだ? いったい何者だ?


 頭の中に次々と疑問が飛び交う。研究者の性ゆえか、彼は故郷の心配も忘れ、未知の人類をじっくりと観察していた。

 すると不意に、少年がこちらを向く。宇宙飛行士たちは、反射的に数歩後ろに下がった。少年は、今まさに故郷が襲われている彼を見て、何か喋りかけてきた。


 あ、い、お、お、う、あ。

 という形に、口が動く。


「大丈夫、だ……?」


 呟くと、少年は不敵に笑い、頷く代わりにウィンクした。

 聞こえているはずがない。しかし、確かにコミュニケーションが成立していた。


 少年は宇宙ステーションから目を離すと、宙に向かって手をかざす。すると、まるで吸い寄せられるかのように、スペースデブリ――使われなくなった人工衛星の一部が、彼の手元にやってきた。


「カメラだ! カメラを持ってこい!」

 リーダーが指示を飛ばす。

「はい!」

 仲間の一人が急いで取りに行く。


 少年は自分の身体よりも大きなスペースデブリを、手も触れずに、割り、砕き、破片にして、自身の周囲に漂わせた。そして命令するかのように、地上の一点を指差す。


 すると、落ちていく。人工衛星の破片が、魔物に襲われている故郷に向かって。

 破片は大気圏に突入して燃え盛り、雲を突き破り、そして――――それ以上は見えない。


 仲間はシャッターを連続で切っていた。ビデオカメラも回していた。

 宇宙飛行士たちは今、人の手によって隕石が落とされた瞬間を目撃した。


 彼らは、再び少年の方に視線を戻す。しかし、少年はすでにいなくなっている。




 数時間後、七度目の流星群が魔物を撃滅し、故郷を救ったというニュースが、宇宙ステーションに届いた。

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