自分一人が違う
こんにちは。
今日は家族が持っている才能と自分の違いについて。
我が家は古くから職人の家系です。
父方も母方も大工でした。
時代は移り変わり、叔父は服飾デザイナーに。そこそこに成功してます。
彼はえげつないほど、絵が上手かった。
彼よりも絵が苦手だという母。
彼女も、刺繍の才能がエグい。
「大体、こんな感じ」で下絵を写すことなく、一から作ってしまう。彼女の刺繍は、叔父が作った服にあしらわれ、日本を渡って海外に行ってます。
そして、私の弟妹。
二人揃って美大に現役合格する実力の持ち主。
他にも書道で大賞を取った叔母などもおります。
その中で、私だけが言語IQ特化型のASDとして生まれ育ちました。
彼らの普通が私にとって普通じゃないし、私にとっての普通が彼らには異色に見えた。
少しは似てもいいだろう! というくらい、私の空間識覚はタヒんでます。立方体すら満足に描けない。これが、中々にコンプレックスでした。
まあ、早々に諦めましたよね。
張り合っても無駄だよな、と。
とはいえ、図工の時間は苦手だったなあ。ぎりぎりまでやろうとしない子供でした。作った作品を家族に見せたくなくて、よく捨てちゃってた。沈黙だけで分かるもんだって……
脳と手が上手く連動しないだけで、見る目はある。良いモノには良いと言える。それだけで十分じゃないか、と思います。
逆に家族は大変だったとよく言います。
納得さえすれば、あっさり持論を引き下げるんでけどね。納得しない限りテコでも動かない。エンドレス「何で?」ガール。
それでも、家族は私に一度も「おかしい」とは言いませんでした。何か得意な事がきっとあるだろうと。言語外の何かね。
結婚してから、その得意が判明することになります。料理でした。ASDの特性なんでしょうけど、生活感がえっらい希薄なんですよ。私自身も、料理出来ないと思ってました。
田舎に越してきて、店がない。更に味覚過敏が炸裂した結果、めちゃ料理する人になってた。カムジャタンが食べたい。ならば作るしか他に手がない! という環境が良い方向に作用したみたいです。
今年も実山椒の季節になりました。こいつを2/3は醤油漬けに、残りはオリーブオイル漬けにするんです。色んな料理のアクセントになって美味しいですよ。
人って、それぞれの得手不得手を補っていけるから、楽しいんだと思います。
それでは、今日はここまで。
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