臨人

@maow

第1話 臨人

 午後九時。


 先月から始めたコンビニバイトへ行くため、住んでいる安アパートを出ようとした俺だがついでに溜まっていたごみ出しを済ませてしまおうとゴミ袋を手に家を出た。


 そこで偶然、彼に遭った。


「「あっ」」


 たまたま奇跡的に全く同時に家を出た、俺のお隣さん。


「柴田さん」

「若井、さん」


(まずいときにでくわしたな)


 俺は慌てて手に持ったゴミ袋を扉の影に入るよう隠した。


「お出かけですか」


「ええ、ちょっと」


(ゴミは諦めたほうがよさそうだな)


 俺、こと柴田敦(しばたあつし)の隣の部屋に住んでいるのは俺より二つ年が下の若井進(わかいすすむ)さん。二十八歳。


 三年ほど前、隣の部屋に引っ越してきた。清潔感のある絵に描いたような好青年。お隣さん同士と言っても顔を合わせれば挨拶するくらいでそこまで親しいわけではない。


 が、彼はこのマンションでかなりの有名人だ。なぜなら――


「い、急いでいるので、すみません」


「ああ、それはそれは、お引止めしてすみません。いってらっしゃい」


「いっ、いってきます」


 いい年こいてフリーターをやってる自分に彼はまぶしすぎる。陽の光から逃げるヴァンパイアのように俺はそそくさとその場を後にした………………


 日付が変わり、翌日の朝。


「ふぁあ、ねむっ」


 夜のバイトを終え、俺が安アパートに戻ってきたのは次の日の朝八時。


 とっとと自分の部屋に戻ってひと眠りしたい俺だったが残念ながらそうは簡単に問屋が卸さなかった。


「だから、何度も言ってるでしょ。ゴミ出しは朝の七時までにって、今何時だと思ってるんですか」

「まだごみ収集の車来てないんだからいいでしょ」

「よくありません、ルールはルールです。一人が守らなかった、みんな守らなくなるでしょ。第一、あなた、今日は燃えるごみの日ですよ。ペットボトルはプラスチック、毎週水曜日です。今日は月曜日、ちゃんと分別してください」


 俺はゴミ置き場の前で激しく言い争いをする若井さんと女の姿を目撃した。


(ああ、またやってるよあの人)


 毎度の光景にうんざりする俺だったが、二人のいるごみ置き場はちょうどアパートの真ん前、避けて通る事はできない。


 諦めて、俺は知らない、他人のふりをして言い争いをする二人の傍を通り過ぎた。


「ちょっ、人のゴミ漁ったの。最っ低、ストーカーで警察に突き出してやる」

「一度捨てたごみ袋の中を開けて中身を見ても何の問題もありません。あなたの捨てたものにあなたの所有権は適用されませんから」

「何よその屁理屈」

「屁理屈ではありません。れっきとした法律です」


 これが、若井さんがこのアパートでちょっとした有名人な理由だ。


 超がつく真面目人間かつルールや規則に厳しい。殊ごみの分別に関しては実際にごみ収集している人たちの何倍も潔癖で、この人がごみ収集の人だったら誰のゴミも回収してくれず街がゴミで溢れてしまうと言われるほどだ。


(あの人も懲りないな)


 下手に絡まれないよう俺は存在感を消し、そっと自分の部屋に戻った。



★★★



 翌週。まだ太陽がギラギラまぶしい時間帯に、俺は外に出ていた。


 普段は昼夜逆転した生活を送る俺だが、この日は珍しく昼までの間にしなくてはいけない用事があった。


「ふう、終わった終わった」


 用事を済ませ、さてこれからどうしようか久しぶりに外食でもしゃれこんでみようかと一瞬血迷いかけた俺だが、すぐさまその考えを一蹴。


 早く帰って家でひと眠りしようという結論に達した。


 家に帰る途中、駅前の広場を通りかかった俺は噴水の前で一人マイクを片手に立っている若井さんの姿を見かけた。


「このままではこの国は、いやこの世界は、一歩一歩破滅の未来へ近づいていくだけ。運命を変えるためには、変化を恐れず皆で未来のために行動しなくてはいけません。その第一歩として、どうか、どうか、この若井進に清き一票を」


「あの人、まだやってたんだ」


 広場にいる全員、誰も足を止めて若井さんの演説に耳を傾けようとはしない。


 まるで若井さんという人間がこの世に存在していないかのように、無視。誰も彼の話に、彼と言う人間に関心を持っていない。


 それでも彼は演説を続けた。


 選挙に勝ち、晴れてこの国の国政を担う国会議員になるために。彼がスピーチで語る、この国をよりよい未来へ導くために。


 彼は日が暮れるまで広場で演説を続けた…………



★★★



「「あっ――」」


 その日の夜。バイに向かう道の途中、俺はたまたま向かいの道からこちらへとぼとぼと疲れた表情で歩いてくる若井さんに遭った。


「柴田さん…………」

「若井、さん…………」


 二人の間に重い沈黙が流れる。


(気まずい)


 昼間の惨状を目撃してしまっただけに何と声を掛けていいかわからない。それ以前に俺は彼とは挨拶をするくらいの関係、そこまで親しいわけではない………………よしっ。


 俺はこの世で一番の安全策を選択した。


 そうこの世で一番固い、盤石、永劫不滅の安心安全な選択――


「そ、それじゃ」


 俺は何も触れずにそっとその場を後にした。


 当然、昼間に見た光景も、今の若井さんの状況についても、俺は一切触れなかった。


「…………はい、お気をつけて」


 一瞬、ほんの一瞬だが若井さんは俺に何か言いたそうな顔を、したように見えた。


 だが俺はそのことに気づかなかったふりをして若井さんとはその場で別れた。


 これが、俺が若井さんと会った最後だった。



★★★



 それからしばらくして、若井さんの出馬していた国会議員選挙の結果が発表された。結果は現国会議員の嫡男、政治家の家系に生まれた名前も聞いたことないどこかの誰かが当選した。いわゆる出来レースだ。


 今回の選挙で注目されたことと言えば元芸能人が初出馬で他(た)に圧倒的な大差をつけて当選したことぐらいだ。こちらもまあ、出来レースといえば出来レースだ。


 結局若井さんは今年も落選した。四年連続、ぶっちぎりのビリである。


 そのことをニュースや新聞なんかが報道することはない。


 若井さんは静かに敗北したのだ。


 選挙の結果が発表されて数日後、突然俺の隣の部屋から若井さんが消えた。使っていた思しき家具や電化製品などは全て置いて、神隠しにでもあったかのように人だけが忽然と消えたのだ。


 コン、コン


「はーい」


 若井さんが消えて一週間ほどが経った頃、何年ぶりかと思うくらい久方ぶりに俺の玄関がノックされた。


「あなたは」


 ドアを開けるとそこにはスーツをピシリと着た身なりのいい男が張り付けたような、作り物のような薄い笑みを浮かべて立っていた。


「どうもすみません。私、こういうものと申します」


 そう言って男は胸ポケットから、顔写真付きの手帳を取り出して俺に見せた。


「時任(ときとう)、管理(かんり)さん……警察の方ですか」

「正確にはちょっと違うんですけど、まあ、同じようなものと思ってもらって構いません」


 俺の質問に時任さんは困ったような、これ以上は踏み込んで聞いてくれるなということを暗に含ませたような笑みで答えた。


(現実でもこういうことあるんだ)


 ドラマでよく見るシーンと同じ状況に遭遇して、思わずボケェッと場違いな感想を抱いている俺に時任さんは至極簡潔に、質問した


「突然で申し訳ありませんがあなたは隣の若井進さんと特段親しい関係にありましたか」

「いえ、たまに見かけて挨拶するくらいで」

「そうですか。では、隣の若井さんがここ最近部屋に帰ってきていないのはご存じでしたか」

「風の噂で」

「どこか若井さんの行きそうな場所に心当たりは」

「さあ」


 俺は至極、当たり障りのない答えで返した。


「……そうですか」


 嘘はついていない。最後に若井さんと会った日、確かに彼は疲れた顔をしていた、ように見えた。だが、それはあくまで俺の感想で、本当のことは誰にもわからない。


「わかりました。ご協力ありがとうございます」


 俺が若井さんについて大した情報を持っていないと即時に判断した時任さんは、サッと丁寧に会釈をして去ろうとした。


 しかし――


「すみません」


 扉を閉めようとドアノブに触れた瞬間、再び時任さんが俺に話かけてきた。


「ちょっと、私のお話を聞いてはもらえないでしょうか」

「話」

「はい、大した話ではありません。突拍子もない、荒唐無稽な、つまらない話です」


(そこまで言われると逆に聞きたくなるな)


「ちょっとだけなら」


 好奇心に勝てず、俺は時任さんの話を触りだけでも聞いてみることにした。


「もしこの世にタイムマシンがあったらあなたは何をしますか」

「タイム、マシン」


 俺は時任さんの話を聞いてみることにしたことを少しだけ後悔した。


(タイムマシンって、これまたベタな)


 SFでよくある設定。擦られ続けて、逆に古いとさえ言われる、いわゆるテンプレ設定である。


「そりゃあ、まあ宝くじで一等当てるとか、直したい過去を変えるとか、ですかね」


 テンプレ設定からくるお決まり質問にこちらもテンプレで答えを返した。


(この質問に一体何の意味があるんだよ)


「普通は、そうですよね」


 今の質問、どうやら俺の興味を引くためのただの導入だったらしく、答えの中身はどうでもよかったようだ。


「でも、もしあなたが壊滅した、破滅一歩手前の世界から来た未来人だったら」

「それは……」


 俺はまんまと時任さんに釣られてしまった。


「今あなたが言った、大多数の人間が大切と答えるお金も破滅手前の世界ではただの紙屑。印刷された紙以上の価値はありません。土地もダイヤも金も。もちろん法律だって機能していません。無法地帯です」

「…………」

「あなたがもしそんな世界から来た未来人だったらこの世界で何をしますか」

「そりゃあ――」


 思い浮かぶ答えは一つしかない。


「破滅する世界の運命を変えるために頑張るしか……」


 脳裏に、駅前で聞いた若井さんの演説が蘇る。


「では、視点を変えましょう。もしあなたの近くに、そうですね、たとえば、お隣さんが、その悲惨な未来から来た人で、このままじゃ世界が大変なことになる、今すぐにでも現状を変えなきゃダメです。なんていってきたら、あなたは信じますか」

「そりゃあ――」

「ですよね。そんな話、誰も信じません。だって、未来の事なんてこの世界の人は誰もわからないんですから。このままじゃダメだ、将来絶対ダメになるって言っても、所詮は机上の空論。真剣に考える人なんて誰もいません。だから彼は摩耗した……」

「…………」


 二人の間に少しの間だけ重い沈黙が流れた。


「一つだけ、お聞かせください。僕のこの話を聞いて、あなたは今の自分を顧みようと思いましたか。未来のために何か行動してみようとほんの少しでも心動かされましたか」


 答えは決まっている


「…………いいえ」


「でしょうね」


 時任さんは不意に笑顔を見せると、「話を聞いてくれてありがとうございました。つまらないB級映画でも見せられたと思ってこの話のことは忘れてください」と言って再び軽く会釈をした。


「今日という日を思う存分、楽しみなさい。今があなたの人生で一番、良い日、ですから」


 そう言い残し、時任さんは俺の前から去って行った。



★★★



 それからしばらく俺の、いつもの日常が過ぎていき、また俺の隣に新しいお隣さんが入って来た。


 どんな人が入って来たのかは、俺はよく知らない。

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