第7話 再会!現れた人!

「あれ、咲良?」


「うひゃっ!?」


 休日夜間受付窓口、と書いてある窓口で目当ての物を受け取ったあたしは、区役所を出て直ぐかけられた声に身体をびくつかせた。


「ふぇ……? え、と、もしかして、高倉(たかくら)君……?」


 空は濃い紺色に染まり、街頭もほんのりとした明かりを灯している。

 遠くに夕暮れの赤色が細く残ってはいるが、最早夜といっても差し支えない景色だ。


 そんな中、たった今離婚届の用紙を貰ったあたしの前に、スーツ姿の男性が一人立っていた。


 柔道部に入っていた当時から、トレードマークだった短髪と、陽に焼けた精悍な顔は、よく見れば中学時代の同級生、高倉悟(たかくらさとる)だった。


 って、何でこんな時間に、こんなとこで昔の同級生に出くわすかね。あたし。


 日頃の行いか? 何かやったっけ?

 いやたぶん運が悪いだけですよね……そうですよね……。


「久しぶり。お前、こんなとこで何してんだ? もう役所閉まってんだろ……って、咲良……それ」


「う、え、あ、ああああのっ」


 当時からやたらと体格が良かった高倉君が、のしのしのし、とあたしの方に歩いてきたかと思えば、驚いた風にこちらの手元を指差す。そこには勿論というかなんというか、あたしの手があり、持っているのは先程もらったばかりの離婚届が。


 ファイルに入れるわけでなく、封筒に入っているわけでなく、用紙そのままの状態で持っていたので、一見してまるわかりだ。


 うわーんっ。あたしの馬鹿!

 なんで封筒の一つも貰わなかったのよー!


 時間外窓口のお姉さんは入れましょうかと言ってくれたのに、いいや紙の無駄です人生の勉強ですからありのままで、と恐らくお姉さんには意味がわからなかったであろう持論を展開したあたしは、離婚するぞおんどりゃあと半ば意地で持っていたのだ。


 いや、弁解長いとか言わないでね。単にバッグに入れる前に、見られたってだけだから。


 しかしそれがまさか、元同級生に目撃されることになろうとは……地元だから仕方ないっちゃ仕方ないんだろうけど。


 にしても……うう、気まずい。


「それ……どう見ても、離婚届だよな? 結婚したのは知ってたけど、この前だろ? 友達ほとんど呼ばずに、内輪だけで済ませたって……俺、聞いてたけど」


 が、高倉君にとっては気まずさよりも驚きの方が勝っていたようで、ずいっとこちらに近付いたかと思えば、さながら弾丸のように質問をぶつけられた。


「あ、あぁー……うん、まあ、そうなんだよね。ごめんね。同窓会の時、高倉君のこと呼ぶって言ったのに……でもまあ、呼ばなくて正解だったかもっ。ご祝儀無駄にしちゃうところだったしっ」


「咲良……」


 自虐しつつ、なんとか笑いで誤魔化そうとしたけれど、高倉君はなぜか複雑そうな顔をしていた。


 彼と会うのは二年前の同窓会以来だろうか。

 

 中学の時に結構仲良くしていて、漫画やゲームの貸し借りなんてのもしていた。二年前にあった同窓会で再会してからは、ごくたまにメールのやり取りもあったけれど、ここ最近はあたしが祥太郎さんと出会ったり結婚したり悩んだり(我ながら怒濤だな)で、連絡できていなかったのだ。


 結婚式については、祥太郎さんに家族がいないこともあって、本当にごくごく内輪だけで済ませてしまった。元職場からさえ、同期の夕紀のみだったのだ。


 申し訳ないこと、したなぁ……でも今思えば、呼ばなくて良かったのかもしんないけど……。


 祝福してもらっておいて、三ヶ月スピード離婚など目も当てられない。

 ざっくばらんな夕紀ならともかく、中学時代やたらと世話を焼いてくれた高倉君相手だとそうもいかないだろう。


 彼は、柔道部という体格と身長もあって、比較的背の低いあたしの助けをよくやってくれたのだ。元々、それで仲良くなって今に至るという感じだろうか。


 それがもしや、こんな所の、こんな状態の時に遭遇するなんて―――


「そっか……旦那が出張って言って、女と会ってたのか……それは流石にキツイな……」


「でしょー」


 気まずそうに、高倉君が頬を掻きながら言う。

 それにあたしは肩を竦めて応えた。


「なんとなく、気付いてはいたんだけどね。もしかしたら、勢いで結婚しちゃったのかなって……祥太郎さん、営業部のエースだし。あたしなんて、総務の暴れ馬なんて言われてた位だし」


「咲良……」


 左側に座る高倉君が、まるであたしより辛いみたいな顔で呟く。


 街頭に囲まれた区役所の駐車場で、あたしたちは休憩用に置かれていたベンチの上に座って話していた。夜空には星が見え、流れる雲に時折顔を隠している。


 区役所の駐車場って広いからかな。なんか静かに感じる。

 さっきまでは『離婚じゃあああ』って勢い込んでたから、ちょっと落ち着いたや。


「まあでも、いいんだ。三ヶ月だけでも祥太郎さんのお嫁さんになれたし。十分幸せだったもん。あたし」


「……」


 はだかで持っていた離婚届をバッグに押し込み、あたしは伸びをしながらそう言った。別に嘘でも強がりでもなく、真実なのでするりと口から零れ出たのだ。


 人生、しょうがない事ってあるもんだ。

 あたしの場合は、一度でも願いが叶ったのだから、むしろ御の字かもしれない。


 ……若干の早すぎる感は、否めないけれど。


 そう思って軽い溜め息をつけば、隣に座っていた高倉君が突然、あたしの手をぐっと掴んできたのでまあ驚いた。


 ……はい?


「なあ、咲良」


「ななな何?」


 あたしの左手を掴んだまま、高倉君がもう一度あたしの名を呼ぶ。


 いや、なぜ手を掴んでるんでしょうか。そしてなぜまた名を呼ばれているのでせうかあたくしは。


 若干のパニックを起こしつつ、あれ自分は今日は夫の浮気現場を目撃し、その足で役所で離婚届を貰い、そして同級生に遭遇したんだよなとさながら走馬燈みたいに思い出す。


 ううん? だからなんであたし高倉君に手掴まれてんの?

 どういう展開なの、コレ。


 そこまでを数秒でぐるぐる考えたところで、高倉君がやっぱりあたしの手を離さないままぐっと間を詰めてきた。


 ち、近っ!

 近いよ高倉君っ!


「咲良、ちゃんとさ、ちゃんと……その話が片付いてからでいいんだけど」


「へ、あ、うん?」


「今言うの、卑怯だってわかってるんだけど……っ」


 徐々に迫ってくる高倉君の顔を、のけぞりながら回避しつつ、あたしはとりあえず離れておくれよ、普通に話せば良かろうと彼の頭を右手で押し返すべきかどうか迷った。


 高倉君の精悍な顔は、太い眉も、しっかりした大きな一重の目も、なぜか切羽詰まっているみたいに顰められていた。


 元柔道部だけあって、圧が凄い。圧が。


 用件があるなら、早く言ってーーーっ!


「な、何、どしたの」


 プレッシャーに耐えきれず、とりあえず押し返さずに続きを促した。すると、高倉君は顔を顎の方から額に向かって一気にかああああっと赤くして、あたしの手をぐっと握り込む。


 ちょっと! 痛いんですけどーーーっ!


「さ、咲良!!」


「お、おうっ」


「良かったら、お、俺の事、考えてみてくれないかっ!?」


「へっ……?」


 そんでもって、のけぞったあたしに、叫ぶみたいにそう言った。


 か、考える……? 考えるって、何を?


「俺、中学ん時、咲良のこと……っ」


 真っ赤になった高倉君が、続きを口にするより早く。


 あたしの耳に、その『声』が届いた。


「―――咲良」


「え? ……あ……」


 あたし達が座っているベンチの正面、すぐ前に。


「祥太郎、さん……?」

 

 夜に包まれた広い駐車場の中、街頭に長い影を伸ばす祥太郎さんが―――立っていた。

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