信じる私は救われない。
ゆゐけ
第1話 シスターさんは勇気を出す。
若い女の修道士は
毎日教会に来る男にあれを言わねば言わねばとずっとずっと考えていたのだが
極度のめんどくさがりやだったから
明日でいいかを繰り返して
気づけばここに来る人間はその男だけになり、
その男の頭が白髪で染まるぐらいまで
とうとうそれを言い出さなかった。
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男は椅子に座り、両手を合わせる。
修道女は講壇に腰をかけ、
さらには膝まで組んで
男をじっと見つめる。
無言の日曜の朝を
2人は半世紀以上は過ごしていた。
長い間変わらなかったルーティンを破ったのは
修道女の方だった。
「あ〜と、、キミ、いつもここに来るキミ!」
男は最初は何かの雑音だと思っていた、しかしそれが自分を呼ぶ声だとわかると戸惑う。
60年以上は続けてきたのだ。なぜ今更、
シスターに声をかけられるのだ。
しかし受け答えはせねばと男は答える。
「ええ、聞こえていますとも、それで?何かようですか?」
修道女は会話が成立したことに驚いたのか目を大きく見開いた後、満足そうに目を細めた。
肩をおろして楽にしてからまた話す。
「いや、あのね、そう、キミがここに来てボクがそれを見る、そんな生活がかれこれ50年近くは経ったんです。そしてキミは今60で、どうです?長い付き合いですよね?」
「ああ、まあ確かに…、ですがそれは特に何があると言うわけでもなく、片田舎の教会ではよくある風景じゃありはしませんか?」
修道女は頷いた。しかし
その後少し眉を寄せて目線をズラした。
小さく息を吐くと修道女はまた語り出す。
「そうです、こんな寂しいけれど穏やかな日曜の朝は片田舎の教会なら特段珍しくもない。うん、キミは正しい意見を言っています。キミが間違っているのは、それ以前のことなんです。前提から違うんです。」
男は困った。
自分の話にまず前提などないだろう。
平均的な回答をしたまでで合って論理的な話はしていない。
「ええとねえ、シスターさん、あんまり、わからないんですが…」
「そうですね、溜めて言ってもしょうがないですよね。うん、ボクははっきり言います、はい、あのですね、キミが65年間毎週欠かさず礼拝を行なってきたここ、ここは教会ではないんです。」
「ええと、う〜ん、ええ?」
「つまりは、全部嘘♡。なんちゃって、、…えへっ」
「は?えへ?え?えーと、うん」
男は訳もなく辺りを見渡してこの突発的な話を整理しようとした。
だが、考えてもわからない。
いや、話の内容は頭に入っている。
だから理解を拒んでいるというのが正解だ。
「…嘘って、その、教会が?宗教が?」
修道女は開き直ったのだろうかニカニカとした顔でハッキリと言う
「ハイ!全部!これもそれも!」
「じゃあ毎日の礼拝も?」
「ハイ!嘘です!なんの意味もありません!」
「季節に一回の懺悔会も?」
「ハイ!嘘です!ただただあなたが黒歴史を語っただけです!」
「貧しい民を救うための寄付も?」
「ハイ!嘘です!救われたのはボクの懐でした!」
男は絶句した。何もかも無意味であったのだ。いやそれどころではない、男の人生は全てがこの宗教を中心に進んできたのだ。今の齢を男は数えた。60という年齢はその絶望感を増長させた。
「じゃあ、ここは一体なんなんです?結局」
「そうですねぇ…新興宗教の顔を被った営利団体、そんなところですかねぇ…」
「最悪じゃないか!!」
「ですかね?あれ?確かに…よく考えたらこれ最悪ですね笑」
「シスターさんは?シスターさんまで嘘なんですか?」
「ん〜と、まあ、最初のうちはバイトでしたね、特にこの宗教に興味もなかったです」
「ああ、そう…」
「あっ、嘘だってことをホントはもっと早く言おうと思ってたんですよ!最初は教祖が死んだ時でしょうかね、二代目が居なかったので団体としてはもうそこで消滅したんですよ。でも次の日曜日にいつも通り訪れたらキミだけはまだいるもんで、いつまで来るんだろうと思っていたんですけど、ボクも癖になってしまって」
少し現実的な話に男はだんだん落ち着きを取り戻し始めた。だけれどそしたら今度は腹が立ってきた。ここの宗教は意外と規律が厳しい。童貞こそ純潔で美しいのだと教えてられていた。だから私は幼少の頃、女と手を軽く握ったのを思い出すだけで胸が動悸する。それ以来女の手を握ったことはない。
ああ、嘘をもっと前から知っていれば私にも女房はいただろう。今頃孫に囲まれていたんじゃないだろうか。
前に立つ女は薄ら笑いを浮かべて足を組んでいる。とっても憎たらしい。
「いや、じゃあね。そしたら私の人生はどうなるんだね!教えを信じて60年、私はとうとうずっと純潔を保ったじゃないか!いまだにシスターさんのうなじを長く見つめることすらできない!」
自分がそんな目で見られていたという事実にシスターはちょっと赤くなって鼻をかいた。
「へ、へえ〜、ウブでまだまだお子様なんですね、なんだか可愛く思えてきちゃいますよ、その、まだツルツルだったりします?笑笑」
「ナメてるだろ、いやナメすぎだろ。・・・もういい、今からでも女遊びの一つや二つできる。もう用はないから、じゃあな、"バイト"シスターさん!!」
「いや!違うんです!待って!話すのが楽しいんです、いっつもキミは無言でしたから!どんな人なんだろうって思ってたんです。なんだあ、こんな楽しい人ならもっと前から話とけばよかった、本当に…」
女はただじっと男の顔を扇情的な目で見上げる。
男はそれだけで帰らない理由には十分だった。
男が帰らなさそうなのを確認すると女は安心した様子で箒を手に取ってスタスタと男の横まで来た。
「ちょっと外に出て話しましょうか。ボクはお庭の掃除をしないといけないので。」
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女が箒で落ち葉を掃き集めるのを男はベンチに座って見ていた。
自分が最後に庭を掃除したのはいつだろうか。
修道女が毎日掃除を日課にしているとしたら自分よりだいぶ家庭的でちょっと悔しくなった。
「はい、チリトリ。手伝うよ」
「あっ、ありがとうございます。」
意外と優しいんですねと言わんばかりの顔が男はまた癪に触った。
小さな庭だったので
2人でやればすぐに終わった。
箒を置いて女が一つの木に触れて言う。
「この木、植えて100年は経つんですよ。」
「ああ、シスターさんが植えた時、私も覚えてます。最初は木の方が私より身長が高かったはずだけど…15,6のあたりで抜かしたんだったかな。」
ここで男はある疑問を抱いた。
「あれ、シスターさん、そういえば、今っておいくつですか?」
「むっ、意外と失礼なことをおっしゃられますね。そういうこと、女の人に聞いちゃダメなんですよ。」
「ん?いや、そういえばもっともっとおかしいことがある。」
「何がおかしいんです?あなたのデリカシーの話ですか?」
「いやだって、私、今60のはずです。でもこの木を植えた時のこと覚えてますよ。」
「しかもシスターさんは私よりずっと若いように見える。」
男は気にしていなかった。だが信じられないくらい根本的でとんでもない矛盾だった。
この質問に修道女はまたもやニヤリ笑って口を開いた。
「シスターさん、そうキミはボクに言いましたよね」
「ええ、確かに」
「そう、それ、それこそ嘘です。もちろんバイトだったとかそんな話じゃありません」
「はあ、じゃあなんです?」
「本来なら死んでいるぐらいの年齢なのにキミはここにいる、、しかしキミはそのことに気づいていなかった、、そこから導き出せる答えは一つだけのはずです!」
「神です。ボクこそ神なんです。」
「はあ?神?あなたが?」
なんだこの電波女は。
こんなやつ教会にいていい人間などではない。
こいつが通うべきは教会じゃなくて精神病院である。
「そう、神なんです、ボクが。その証拠にボクはいつまでも若いままだし、キミは死んでもここにいる。すごいでしょう?」
待て、死んでいる?
私が?ここにいるじゃないか。
そんな嘘ついて良いはずがない。
いや、だがこの木が100年前に植えられたのはおそらく正しい。私は植物に詳しい。このタイプの樹木が数十年やそこらでここまで大きく成長することはないのだ。
「全くもって信じられることではない。だが、可能性がないとも言い切れない。第一に私は死後の世界というものを信じている。まあ、その根拠はたった今嘘であったことがわかったが。」
「根拠ですか?それならキミとボクが出会った頃は同い年ぐらいだったはずです。しかし歳をとったのはキミだけ、こんなの普通すぐ気付きますよ?」
「ああ、確かに。見ていなかったな、教会で祈り以外の何かを気にしたことはない」
「そうですか…それはとても残念です…人間は若い女が好きだと聞いたんですけどね」
「ん?それってどういう…」
「あ、あのですね!今日はキミに頼みたいことがあったんです!!大丈夫ですか?」
彼女は前屈みになってこっちを見る。胸に目線が行ったが、刺激が強いので私はすぐ目を逸らした。
彼女は両手を合わせてこちらに懇願する。
「ボクの宗教を!もっと信者を増やしたいんです!手伝ってくれませんか!?」
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