第六話 古き刻、遥かな昔

 吃驚して、だけど見上げた墨の顔に、ただならぬ気配を感じて押し黙る。


 墨がじっと睨んでいる先、あたし達の後方から、こつりこつりと静かな、けれど押し迫るような足音が聞こえていた。


「―――やあ丙輪さん、烏丸君。どうだい。ちゃんと見学できているかい?」


「あ……勝巳、先生……?」


 空間に、先生の声だけがはっきりと響き渡った。


 そう思ったのに、先生の左右両隣には、いつもの彼の取り巻きである女子達が不服げな顔で、あたし達に何か言っているのが見える。


 束の間、まるで先生の声以外の音が一切聞こえなくなったような、そんな感じがした。


「勝巳……っ!」


 墨が吐き捨てるみたいに、憎々しげに先生を呼び捨てにした。

 それに、先生を取り巻く女子達が一斉に顔を険しくする。


 だけど先生はまるでモーゼが海を割るように、女の子達の波からゆったり歩いてくる。

 彼の周りにいる女の子達が口々に何かを言ってるのはわかるのに、どうしてか視線が先生だけに吸い寄せられていく。

 

「ふふふ。本当に、君らは仲が良いね。そんな君らにはあれがお勧めかな……ほら、あれだよ。あれは瑞花双鳥鏡(ずいかそうちょうきょう)と言ってね。和鏡なんだ」


 あたし達の数歩手前で、勝巳先生がふいに白く長い指を伸ばし通路に飾られていた展示物を差した。

 

 大きな硝子ケースの中に一つだけ鎮座しているそれは銅鏡で、大きさは片手で収まるほどの小ぶりな鏡だった。

 下に付いているプレートには確かに『瑞花双鳥鏡』と書いてある。


「ずいか……そうちょう?」


「ああ。ここに展示されているのは銅剣と同じく複製品(レプリカ)だけど、ほら……装飾として豊年の知らせとなる瑞花と、番の二羽の鳥が文様として彫られてる。……夫婦となった祝いにでも、貰ったんだろうね」


「め、夫婦っ!?」


 勝巳先生の説明に、場の空気も忘れて思わず顔に火が灯った。


 だってさっき、先生はあたしと墨を見てこれがお勧めだと言ったのだ。めでたい花と、番の鳥が記された、夫婦も表すこの鏡が。


 ななな、なんか、すっごく照れるんですけどっ!!


「あ、あは、何かお目出度い鏡なんですねこれっ。まあ、あたしと墨は夫婦じゃないけどっ―――って、あ、あれ……?」


 慌てて誤魔化していたら、突然キィンと空気が張り詰めたのを感じて、押し黙った。

 見ると、墨と勝巳先生が互いに鋭く睨みあっている。


 あ、いや、勝巳先生の顔は普段と変わらず笑顔だけど、何て言うか、目が笑っていないのだ。

 さっきからずっと、口元だけが象られている。そんな感じで。


 な、何?

 なんなの、一体。


「本当に……叩き割りたくなるくらい、羨ましいよ」


 険悪な空気に大いに戸惑っていると、普段とは全く違う顔で、勝巳先生が告げた。

 まるで嘲るような言い方と、いびつに歪んだ表情に、あたしの目が見開く。


「貴様、やはり……っ」


「ああそうだよ。スミ、お前が考えていた通りだ。だけど目覚めたのは最近でね。彼女が……アスカが十六を迎えたこの時を、僕は待っていたんだよ……っ!!」


「何を―――!?」


 勝巳先生が嗤う。

 嗤いながら、素早い動作でスマホを取り出し長い指先をスライドさせた。


「……本当に、この時代は便利だよなスミ。大抵のものは揃うんだから」


 勝巳先生の声と同時に、どおおぉん!!  と、地鳴りと共に地面が揺らぐ。


 衝撃で展示の硝子ケースが砕け、破片が周囲に飛び散っていく。


 壁や柱が崩壊を始めて、コンクリートの塊が幾つも、頭上からガラガラと落ちてきていた。


「「「っきゃあああ!」」」


「明日香っ―――!」


 その悲鳴があたしのものだったのか、それとも勝巳先生の近くにいた取り巻きの女の子達のものだったのか、阿鼻叫喚の中ではわからない。


 だけど―――


「痛っ」


 あたしの腕が、骨ごとみしりと嫌な音を立てる。

 掴まれた部分に強い痛みが走り、咄嗟に振り払おうとしてもビクともしない。


 驚愕のまま腕を掴む手を視線で辿れば、仄暗く微笑みながら瞳を血走らせた、勝巳先生がいた。


 左腕であたしを掴み、右手には―――飾られていた筈の、銅剣を握っている。


 日本刀とは違う、古代剣特有の真っ直ぐな刃が、崩れ落ちる部屋の中できらりと光った。


「っひ」


「アスカ……今度こそ、君は僕のものだ……!」


「せん、せ……!?」


「僕の愛しい姫、僕を裏切り、捨てた女……! ずっと、ずっと、千三百年の昔、この僕が、この手で育てたのに……!」


「痛っ、勝巳先生、痛い……!」


「明日香っ!! カツミ、離せっ!!」


 墨があたしの身体を片腕で抱き込み、先生の手を引き剥がそうとする。


 勝巳先生が、あたしを誰かの名で呼んでいた。文字は同じ筈なのに、音は違っていて。

 墨も、勝巳先生のことを違う音で呼んでいた。


「黙れスミっ! 穢れた盗人め!!! 拾ってやった恩を忘れ、我が妻となるアスカを寝取った咎人がっ!! たとえ生まれ変わったとしても、お前らを番になどさせてなるものか……っっっ!!」


「っ……」


 勝巳先生の言葉に、墨が痛みを負ったように顔を歪ませた。

 酷く辛そうなその表情に、あたしの胸がぐっと何かに掴まれたみたいに苦しくなる。


 『貴方のせいではないのに』と。


 全ての責は、全ての元凶は―――自分なのだと。


 そうあたしの中から、もう一人の『あたし』の声がした。


 墨は『スミ』

 明日香は『アスカ』


 勝巳先生は『カツミ』


 かつて呼ばれていた名。

 呼んでいた名。


 古き刻、遙かな昔、確かに自分は……アスカ、そう呼ばれていたと。




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