第三話 触らぬ墨に祟り無し

 そうして、なんとか集合時間に間に合ったあたし達は、クラスメイトに冷やかされながらバスに乗り込み、やっと一息つけた。


 横腹がぎりぎり痛いし、走り過ぎで喉から血の味がする。運動不足とは言うなかれ。


「あ~~……っギリ、間に合った……」


「一応間に合うように起こしてるからな」


「にしてもぎりぎりにも程があるでしょっ! せめてもう少し早く起こしなさいよっ!」


「五月蠅いな。だったら自分で起きれば良いだろ」


「っう……!」


 墨ににべもなく言い放たれて言葉に詰まる。

 本当に、ああ言えばこう言う。憎らしいったらない。


 幾ら幼馴染みで腐れ縁でも、こちとら女の子なのだ。もう少し優しさを出してくれても良いんじゃないかと思う。


「本当に、君達は相変わらずですね」


 隣同士の席で言い争っていると、前方からくすくすと笑い声が聞こえた。


「あ、勝巳先生」


 バス内で一番先頭に座っているあたし達(乗り込んだのが最後だったから)の前で、保護者席に座っているのは一見性別の区別が付かない中性的な艶人(つやびと)だ。


 物憂げな眼差しと、低く束ねた長い髪。そんなのが似合うのは、世界広しといえどこの人を置いて他にないだろうとあたしは思っている。


 名は勝巳理人(かつみりひと)。うちの高校の数学教師兼、あたしのクラスの担任だ。

 ちなみに、墨とあたしは同じクラスだったりする。

 どこまでも腐れ縁というわけだ。


「おはようございます。丙輪(ひのわ)さん、今日も可愛らしいですね。バスの時間に間に合って良かったです。僕も安心しました」


「は、はあ……」


 大輪の白薔薇が咲いたような笑顔で言われて、返答に困ってしまった。


 丙輪というのは勿論、あたしの名字だ。ちなみに墨は烏丸(からすま)という。

 フルネームでも黒っぽいなんて難儀な話だ。なんてったってカラスだし。


「本当ですよ。丙輪さん―――明日香さんはとても可愛らしいです」


「いや~……ありがとう、ございます……? あはは……」


 ううう。

 お願いだからやめて勝巳先生……っ! 

 後ろの席からっ、めちゃめちゃ恐いオーラが漂ってきてますので~っ!

 主に女子生徒から!! 

 

 生徒を下の名前で呼ぶなんて、普通の教師ならセクハラものなのに美形だから許されてしまうんだからまた凄い。が、正直あたしの命が危ないのである。


 いや……まあそれは、墨のせいでもあると思うけど。


 コイツも無駄に見た目が良いし、なのにいつもあたしと行動しているもんだから、変に勘ぐられてしまっているのだ。


 やー、あたしの花の高校生活は、初っ端から前途多難なのである。


 あたしは後部席から感じる圧力に若干冷や汗を掻きながら、先生の言葉を苦笑いで誤魔化した。


 だってマジで殺されかねないし。あたしだって命は惜しい。

 そもそも先生が悪いんだって。皆にこうなんだから。


 この勝巳先生という人は女顔負けの美貌を持つ癖に、無自覚でこうして誰にでも愛想を振りまき相手を魅了してしまうので、学校内では『傾国の君』なんて呼ばれている。


 まあ、なぜかあたしには全く効かなかったりするのだけど。墨のせいかな。


「……勝巳先生。仮にも教え子に、その言い方は無いかと思いますが」


 あははーとカラ笑いをしているあたしの横で、墨がトーンを落とした声で言う。

 ちらりと見やると、鋭さを増した墨色の瞳が見えた。


 ああー……出ちゃった墨の勝巳先生嫌い。

 何か知んないけどこの二人、初対面から折り合い悪いっぽいんだよねぇ。


「ふふふ。烏丸君は堅いですね。僕にとっては生徒皆が可愛いですよ。勿論……君の事も」


「ふん、気色悪ぃ……いえ、何でもありません」


 墨は一瞬きらりと瞳を光らせたかと思うと、鼻で笑い飛ばしてそっぽを向いた。


 おいおい墨。本音が隠し切れてないよ。ダダ漏れだよ。

 なんて突っ込みは勿論しない。


 触らぬ墨に祟り無し、である。


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