27「監禁病室」

 目が覚めて、真っ先に自分の身体を確認した。倦怠感と各部の痛みは消えてない。だけどここ最近で一番、身体にエネルギーが満ちている。頭もいつもより軽くて、ちょっとはスッキリしている気がする。睡眠と点滴でここまで変わるのか。……いや、それほど今までが酷すぎた、そういうことなんだろう。


 身体の調子はまあまあ。しかし俺は今、奇妙な緊張に襲われていた。なにかよくないことが起きている気がする。悪夢でも見たんだろうか。生憎、夢の内容は覚えてない。


 身体を起こして、カーテンを開け放つ。聞いていた通り、俺がいるのは大部屋のようだった。周囲には、同じようにカーテンで仕切られたベッドが五つ。


 妙な閉塞感を覚えて、部屋に窓がないと気が付いた。


 出入口は、同じ壁面の左右に二か所のみ。六脚キャスター付きの点滴台を杖代わりに、裸足でそちらへ向かう。スライドドアは両方とも電子錠がかかっていて、開けることができなかった。明らかに閉じ込められている。クエスチョンマークが、頭上を飛び交った。


「なんだこれ……?」


 他の患者なら、事情を知ってるかもしれない。部屋の中まで引き返す。


「すいません、誰か起きてませんか?」


 返事はない。申し訳ないと思いつつ、手近なカーテンを少しめくり、ベッドを覗き込む。


 中学生か、あるいはもうちょっと幼そうな女子が、ぐっすりと眠り込んでいた。一瞬、崎刃崎と見間違えそうになったけど、別人のようだ。何故か手錠でベッドにつながれている。


 少し悩んだ末、相手が異性であることに抵抗感を覚え、仕方なく次のベッドに向かった。だけどそちらも同じだった。似たような年頃の女子が、手錠につながれて眠りこけている。


「……」


 違和感が徐々に大きくなっていく。それは、次のベッドの患者を見て、さらに強くなった。また、同じくらいの女子。手錠を片手に、眠っている。


 次のベッドも、その次も……


 蓋を開けてみたら――もといカーテンを開けてみたら、五つのベッドすべてが同じだった。違和感は確信に変わった。この状況は明らかにおかしい。差し迫った危険があるわけじゃない。けど、とにかくなにかがおかしい。


 落ち着こう。考えるんだ。


 最初に浮かんでくる疑問は、「誰がこんなことをしたのか」。考えられる容疑者は多くない。その中でも最も怪しいのが、黒杉先生だ。彼は一度、ここへ診察に来ている。なにかしら事情を知っていると考えるのが自然だ。


「……ん?」


 病室の真ん中で沈思黙考していた俺は、突然のノックで現実に引き戻された。


 黒杉先生が来たのかと思い身構えたものの、一向に扉が開く気配はない。代わりに扉の隙間から、ちょこんと一枚の紙きれが差し込まれた。


「……?」


 訝しみながらそれを拾い上げる。そこには丸っぽい文字でこう書かれていた。


『愛され系に産んでくれて、ありがとう』


 一見、意味不明なこの文面。だけどこのバカみたいな台詞、つい最近聞いた気がするぞ。


二十並草はたなみくさか?」

「ハルくーん、ようやく見つけたよ~!」


 扉の向こうに、奴がいるのだ。


「もしかして、足衛あしえもそこにいるのか?」

「いや、メイちゃんは病院の外で、待機してるよ。ここには、僕だけで忍び込んでる」


 忍び込んでいるという表現。さっきの回りくどい本人確認。二十並草も、なにか異常なことが起きていると気付いているのだ。


「いったい、なにが起きてるんだ?」

「僕たちも分かんないよ。でも、なんか変なんだ」

「とにかく、分かってることを、順序だてて教えてくれ」


 すると二十並草は怒涛のように話しはじめた。


「話せば長いんだけどねぇ……」


   ●


 昨夜、俺を乗せた救急車には、一人まで付き添いが許された。そのたった一つの枠を賭けて、崎刃崎きばざきと足衛の間に筆舌に尽くしがたい応酬があったそうだけど、最終的に崎刃崎が同乗した。二十並草と足衛は、仕方なく徒歩で病院に向かったという。


 だけどここから雲行きが怪しくなる。


 病院で俺のことをたずねた二人は、「そんな患者は来ていない」と追い返されてしまったのだ。足衛のペースに合わせて動いていたから、救急車を追い越したということは考えられない。こつぜんと俺の足取りが途絶えてしまったのだ。


 二人は、六陸むつおか中の病院を駆けまわった。日が昇ってからは、学校も休んで捜索を続けた。


「ホントあちこち探したんだよぉ~」


 二十並草の声には、たしかに疲労がにじんでいた。今はとっくに日暮れ時だという。


「まさか病院の地下倉庫に監禁されてるとはねぇ……」

「地下?」


 なるほど、それで窓がないのか。二十並草が声高にまくしたてる。


「ここ、照明もほとんど落ちてるし、すぐ近くに霊安室あるし、なんか水の滴る音が聞こえてくるし……雰囲気ありすぎでホントに最悪なんだよ~!」


 よく聞いたら、半分泣きべそが入っていた。


「おまえ、ホラー系苦手だっけ?」

「……映画のポスターを見るだけで数日眠れなくなるくらいには」

「それはおもしろいことを聞いた」

「おもしろかないよ! できるなら、今すぐこんなところ、帰りたいんだから!」


 さっさと帰りたいのは、俺も同感だ。ビビりすぎて逆切れ気味の二十並草が怒鳴る。


「あれもこれも、こんなところに閉じ込められてるハルくんが悪いよね!」

「俺だって、好き好んで閉じ込められてるわけじゃないからな!」

「それだけじゃないよ。ハルくんには他にも文句を言わなきゃいけないんだ! 昨晩のこと、忘れたとは言わせないよ~!」


 そうだった。俺は唇を噛む。


「……あれは。悪かったよ。ごめん。ちょっと頭に血が上ってたっていうか――」


 と言って、納得する二十並草ではない。


「謝るんならさぁ~、誠意を見せてほしいなぁ~。具体的には、昨日メイちゃんに抱きつかれた時の感想とかをさぁ~、教えて欲しいなぁ~!」

「は?」

「当たり前でしょ。誠意はコイバナの形をしてるんだよ」

「無形じゃねえか」

「あんなに見せつけてくれるなんて~! ハルくんも大概、愛され系だよねぇ~、ひゅ~ひゅ~!」


 扉一枚隔てているのに、やつの癇に障る笑顔が見えるようだ。質問の内容も、滅茶苦茶どうでもいいな。


「ねえねえ、メイちゃんどんな感じだったぁ~? 女の子と身体を重ねたんだよぉ~? なんの感想もないなんてことはないでしょぉ~?」


 言い方。こいつ最悪か? 俺はうんざりと答えた。


「別にどうってこともなかったよ。身体は密着してたけど、あいつ板みたいだったし」

「板」

「そもそも俺には、色恋沙汰に現を抜かす資格なんてないんだよ。あんなこと言っておいて今更、足衛に合わせる顔なんて……」


 あるわけがない。二十並草は大仰にため息を吐いた。


「……そうかぁ。あんなに大胆な告白までされたのに、ハルくんの本命はイオちゃんの方かぁ。あ、それとも、あの押しかけ妻の方かな」


 どうしてそうなる。こいつ、脳細胞の一つ一つが、桃色のラメペンで塗りつぶされてるに違いない。


「おまえの思考回路が本気で心配――」


 反射的に軽口を叩きかけて、ふと気づく。


「待て、おまえ今なんて言った?」

「ハルくんの本命はイオちゃんの方」

「違う、その後だ」

「それとも、あの押しかけ妻の方かな?」

「……崎刃崎以外の押しかけ妻?」


 押しかけ妻が二人も三人もいてたまるか。いや、そもそも崎刃崎も妻じゃねえ。


 だけど二十並草の方も、冗談を言っている様子じゃなかった。


「嘘なんかじゃないよ。僕、この目でたしかに見たからね。あれは昨日、ハルくんが救急車で運ばれるときのこと。例のダサいマスクとか衣装を、ハルくんの家に運んだんだ。その時、玄関に見たことのない女の子がいたんだよね」

「心当たりないぞ。どんな奴だ?」

「え~、そこでとぼけちゃう~? ほら、黒髪セミロングで、妙にだぶだぶの服を着てて、ちょっといい匂いがしててさ……。歳はイオちゃんと同じくらいかなぁ?」

「……いや、知らないぞ?」

「マジ?」

「マジ」

「じゃあアレは誰なのさ?」


 俺が聞きたい。ばあちゃんの客だろうか。でもあんな夜遅くに、女子がたった一人で? 不自然だ。となると……


「考えられるのは、崎刃崎の関係者という線だな」

「あ~、言われてみれば、イオちゃんに少し似てたかも……?」

「それで、そいつはどうした?」

「なんかケータイに電話が来たみたいで、そのまま大急ぎでどこかに……あ!」


 二十並草は突然、黙り込んだ。扉越しに不穏な気配が伝わってくる。彼は押し殺した声で、状況を説明した。


「ヤバい、誰か来たみたい。僕、一度引き返すね。また来るから!」


 くぐもった風切り音を残し、二十並草は去った。と見せかけて、もう一度戻ってきた。


「板の件、メイちゃんには内緒にしといてあげる! 貸し一つね!」

「て、てめえ!」


 逃げるように、今度こそ二十並草は立ち去っていった。


 それからほどなく、俺の耳にも反響する足音が聞こえてきた。俺は扉から距離を取り、足音の主を待つ。


 鍵を開けて入ってきたのは、予想通り、黒杉先生だった。

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