12「保健室騒動」
最近の俺は、通学に市営バスを使っている。以前は徒歩勢だったけど、脚を悪くしてからはやめてしまった。別に怠けているわけじゃ……いや、正直言うと半分は怠けている。
だけど、バスを使う理由は他にもある。情報収集だ。こうしてバス停で次の便を待っているだけでも、耳を澄ませばいろいろな話が聞こえてくる。
「あー、今日の小テスト、マジでダルいわ~。なんか都合よくイノービョーになって、カンニングとかできないかなー」
名前も学年もよく知らないけど、同じ学校の女子生徒たちだ。
「ははは。同じこと言ってたあたしの友達、この前、晴れて異能病にかかってたよ。しかも色々見えちゃう系のやつ」
「マジ? 勝ち組じゃん」
「でもいざ悪用しようとしたら、使う度に白目になって気絶しちゃう感じだったらしくて。なんか即バレしたって」
「ウケる~!」
うん、思いのほかどうでもいい話だったな。だけど、こういうどうでもいい話の中にも、たまに使える情報が混じっていたりする。世間話から漏れ聞いた情報を元に、『
その時、先ほどの女子生徒たちがそろって悲鳴を上げるのが聞こえた。
「うわっ」
「なに、この子!」
見れば彼女の足元で、
彼女は家からずっと、俺のあとをついてきている。
「坊やを一人にするわけにはいかないわ! 坊やの傍にはワタシがいてあげないと!」というのが本人の主張だった。動きやすいショートパンツ姿で、背中にはリュックサック。俺がどこに行こうとも絶対についていく、という固い意志を感じる。
最初は置いていってやろうかとも思ったのだけど、頑として譲る様子がなかったので、結局こっちが折れた。崎刃崎イオの秘密を探るためには、好都合なのもたしかだし。
とは言え、なにをやり出すか分からないところは、大いに懸念事項だ……。俺は彼女の首根っこをつかんで、近くに引き寄せた。その耳元に警告する。
「目立つ真似は止せ。でないと、置いていくぞ」
「でも、坊や! よく知らない人よ。襲い掛かってくるかもしれないわ!」
いったいどれだけ治安の悪い街からやって来たんだ?
「頼むから大人しくしててくれ……」
「ええ、任せて! ワタシ結構強いんだから! その気になったら、みんなあっという間にやっつけて――って、えーっ! ダメぇ~?」
「あたりまえだ」
「うう~。うう~……」
彼女はひとまず口を結んだものの、納得していない様子だ。
やれやれ。こんな調子では、先が思いやられるな。
●
学校という共同体の中で、俺は今や文字通りのハグレ者だ。そりゃそうだろう。皆が教室でタイクツな授業を受けている間、俺は保健室でのんべんだらりと寝ているんだから。
もちろん、昔からこうだったわけじゃない。この状態になったのは俺が二学年になってからだ。言うまでもないと思うけど、原因は『
それでも学校に通い続けているのは、仲間と連絡を取り合うのに便利だからだ。
「じゃあ、先生はちょっと職員室まで行ってきます。すぐ戻るので、留守を任せますね」
保健の先生が、ベッドの俺に声をかけ、部屋を出ていく。保健室には、俺だけが残された。スマホを取り出して時間を確かめる。そろそろ、午前の十分休みが始まるな。
「ということは……来るな」
ベッドのカーテンを開き、客人を待つ。程なく、けたたましい声が飛び込んできた。
「
「メッセージを見ました。いったいどういうことですか!」
俺が彼女に送った情報は簡素なものだ。
――あの女子が家に来てる。詳しくは会って説明する。
メールやSNSを使った情報のやり取りでは、ぼかした内容しか伝えないようにしている。俺たちがやってる無免許の治療行為は犯罪だから、証拠をなるべく残したくないのだ。だからこういう話は、直接会って伝えるのが慣例になっていた。
とは言え、足衛からの怒涛のメール攻撃にも一切反応しなかったため、ずいぶん焦らしてしまったようだ。足衛はただならぬ目つきで、俺に迫ってくる。
「先輩はご無事ですか? なにかされませんでしたか? どうして返事がなかったのですか? まさか脅迫など受けているのでは? ああ、それなのにあたしはなんて無力ッ!」
足衛はベッドの上に覆いかぶさってくる勢いだ。しかも全然無力じゃない。彼女の全身から噴き出した闇が、俺の肩を布団に押し付けてくる。まるで重機みたいなパワーだ! 俺の力じゃビクともしない。
「お、落ち着け、足衛!」
「これが落ち着いていられますか!」
彼女の目つきがヤバい。異能病の発作のせいか、どう見ても精神が不安定になっている。
と、そこに、あの声が割り込んできた。
「そこまでよ!」
ベッドの下から子供の腕が飛び出し。足衛の足首をつかんでいた。遅れてズルズルと本体が這い出て来る。崎刃崎だ。
「ワタシのかわいい坊やに降りかかる危険は、すべてやっつける!」
「ぎゃー!」
ホラー映画さながらに、足衛が引きずり込まれていく。いや、彼女は抗った。
「負けるもんですかーっ!」
全身の闇で、崎刃崎を逆に絡めとると、そのまま強引に相手を引っ張り出した。崎刃崎をぶらぶらと吊り下げ、足衛が叫ぶ。
「心臓ちぎれ飛ぶかと思いましたよ! どうしてこの子がベッドの下にいるんですか!」
「俺を守るとか言って離れようとしないんだ」
「それでベッドの下に!?」
崎刃崎が目を細める。
「坊やが嫌がらなければ、添い寝してたわ」
「そ、添いっ……」
足衛は叫び出しそうな衝動を抑えるように、言葉を絞り出す。
「っていうか先輩、そもそも、ここは、学校ですよ! 部外者を立ち入らせちゃダメじゃないですか!」
「いや、仕方ないだろ。言っても聞かないし。家に置いていくのも不安だったし……」
「い、家!? まさか一晩ずっと先輩の家にいたのですか!?」
「ああ。泊まり込みだな」
「お、泊、ま、りッ!?」
なにがそんなにショックなのか、彼女はふらふらとよろめいた。そして半ばかすれた声で、短く叫ぶ。
「羨ましいポイント一万点!」
今日の錯乱はいつもより激しいな……。彼女の矛先は当然のように、崎刃崎の方へ向かった。
「あなた、いったい神蛇原先輩のなんなんですか?」
崎刃崎はぶら下げられたまま、どや顔で応じる。
「ワタシは崎刃崎イオ。坊やのママです!」
足衛の「信じられない」と言いたげな視線が、俺の方に戻ってきた。
「お母様だったのですか?」
「違う」
「え? じゃあ……もしかして、そう言うのが趣味なんですか、先輩」
「おい待て! とんだ濡れ衣だ!」
拘束から抜け出した崎刃崎が、俺と足衛の間に割って入ってくる。鼻の頭にしわを寄せ、小さな身体でメンチを切る。
「それで、坊や。アナタにやたら馴れ馴れしい、このけたたましい女、いったいダレ?」
俺に先んじて、足衛が自分で名乗る。
「あたしは足衛メイ! 先輩を慕う知的でクールな頼れる後輩系美少女です!」
「おまえ自己評価の乱高下、激し過ぎない?」
俺のツッコミを素知らぬ顔でスルーして、足衛は太極拳っぽい構えをとる。
「とにかく、あなたの存在は見過ごせません。退去してもらいます」
崎刃崎も、一歩も引かない。爪を構えて、真正面から立ち向かう。
「ワタシは坊やの健康な生活を守護する者。坊やの傍にいるべきよ!」
二人は激しく睨み合い、火花を散らした。この状態を放置したら、学校が終わるまで続きそうだな。俺は身を乗り出して、二人を引き離した。
「というわけだ。少なくとも今のところは、敵同士じゃない。いいな?」
間髪入れず、「どこが!」の声が二人分、飛んできた。
「先輩、寝てたんですか!? 今この子、思いっきり敵意とか見せてましたよね!」
「敵意じゃないわ、ただのセンセンフコクよ!」
「それを敵意と言うんですぅ!」
コントかと思うくらい、息ぴったり。うーん。この二人、意外と相性いいんじゃないか? だけど、迂闊にそんなことを口にしようものなら、激しい反論が待っていることは、間違いない。黙っておこう。君子危うきに近づかず、だ。
「……とにかく、なるべく事を荒立てないでくれ。お互いに。今は。な?」
「……」
「……」
返事はないけど、どちらも理解はしてくれたようだ。そういうことにしておく。
その時、部屋の外から足音が聞こえてきた。
「やべっ!」
保健の先生がご帰還だ。二人の仲裁に忙しくて、接近に全然気付けなかった。慌ててベッドまわりのカーテンを閉じる。ほとんど寸の差で先生が扉を開けた。幸い崎刃崎の存在に気付いた様子はないが、デスクに座って作業を始めてしまう。
足衛が呟くように訴えた。
「あ、あの、先輩。何故、私まで!」
「……あ」
今気付いた。カーテンの内側に足衛を囲い込んでしまっていた。本来、彼女が保健室にいてやましいことはなにもない。「おまえは出て行っても大丈夫だろ?」と言うジェスチャーをしたら、彼女は顔を真っ赤にした。
「い、今さらここから出て行ったら、あたしと先輩が保健室でイチャイチャしていたみたいに思われてしまうじゃないですか! それは、なんというか、その……いえ、嫌と言うわけではないのですが、ま、まだ早いと言いますか!」
たしかにこの状況で出て行けば、よからぬ関係を邪推されかねない。俺は他人の目などどうでもいいけど、そういう考え方を足衛にまで強いるつもりはない。無理に追い出すのはナシだ。
だけどそうすると、当分はこの状態から動けないってことか? 俺のベッドに女子が二人集まってるこの絵面の方が、よっぽどよからぬ状況だと思うんだけど。
「……」
「……」
「……」
俺に毛布を掛けようとする崎刃崎に、それを修羅の形相で睨みつける足衛。
このベッドは今、火薬庫の様相を呈している。居心地は最悪だ! 一刻も早く脱出したい。
仕方ない。十キロ以上離れた別の高校からあいつを呼び出すのは、少々気が引けるけど……ここは超高速のレスキューに頼ろう。
俺はスマホを取り出し、
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