09「二十並草という男」
出された料理が片付く頃には、すっかり夜になっていた。俺たちは全員、言葉を発することもできないほどに消耗していた。
もちろん俺も限界を超えている。ただでさえ胃の調子が悪いのに、これだけの量の固形物を詰め込んだのだ。最近はバナナ一つさえ、まともに口にしてないというのに……。もういつ決壊してもおかしくない。
足衛やその親への挨拶もそこそこに、俺と二十並草は店から逃げ出した。重すぎる腹とせり上がってくる吐き気を引きずり、杖にすがって一歩一歩振り絞るように歩く。意識は半ば朦朧としていたし、足元もおぼつかない。
俺ほどではないけど、二十並草も相当しんどそうだ。さもありなん。文句を言いながらも、出された料理の半分以上を食べている。絞り出される声は、速度調整に失敗して、ピッチが狂っていた。
「もう……、二度と。う……。あのお店、行かない……」
「同感だ」
お互い、実に酷い有様だった。ゾンビの方がまだ気合がありそうだ。
「二十並草……。しんどかったら……、無理に速度、合わせなくても……いいぞ」
二十並草はふらふらと笑った。
「たしかに……速い方が、楽ではあるけど。ハルくんといる方が……、楽しいじゃん?」
「……無理して倒れても、知らないぞ」
「もし僕が家に辿り着けなければ……、その時はぁ、家族にこう伝えて。『愛され系に産んでくれて、ありがとう』、と」
「思ったより、余裕ある?」……とツッコミかけた俺は、そこで口をつぐんだ。ふいにあちこちの関節に、軋むような痛みを感じたのだ。
見れば夜道の先に、腰の曲がった老人がいた。関節炎でも患っているのだろうか。
「ハルくん?」
「被検体になりそうな奴がいる」
老化によって引き起こされる病に対しても【
「ええ~。本当にやるの~? せめてメイちゃん呼んだ方が良くないぃ~? 鎌倉幕府の援軍を待たずに突撃して死んだ、
二十並草は不満たらたらの様子だが、俺は鞄の中からペストマスクを取り出し、笑った。
「相手は腰の折れ曲がったヨボヨボの老人だぞ。いくら今の俺たちでも、失敗するわけない!」
●
結論から言うと失敗だった。
俺はガクッと自分の首が落ちる衝撃で、目を覚ました。廃工場の入り口でターゲットを待っている間、意識が飛んでいたらしい。立ったまま壁に寄りかかっていただけなのに、気が抜けるとすぐこれだ。
不眠症を患ったのは、ばあちゃんが倒れてからすぐのことだった。【
とにかく視線を巡らせて状況把握に努める。すぐ傍に、二十並草がしゃがんでいた。五台のスマホを床に並べて、ソシャゲに勤しんでいる。
「ああ……、ハルくん、おはよー。うっぷ」
「あれから何分経った?」
相変わらず顔色の悪い二十並草が、スマホの時計を見せてくる。十分も過ぎてない。
「ターゲットはどうした。逃がしたのか?」
「うん。ハルくん、寝てるんだもん」
俺はため息交じりにペストマスクを脱いで、足元のカバンに放り込んだ。二十並草は苦しそうに腹をさすりながら、俺に言う。
「ハルくんさぁ、なんかさぁ、無理してない~?」
ぎくりとした。
「……別に」
「騙されないよぉ~。僕とハルくんの仲じゃなぁい」
「たかだか、六年弱の付き合いだぞ」
「ええ~、まだそんなもんなんだ~? もう百年は隣にいた気がするよ~!」
「……」
「まあ、いいけどさ。ほどほどにね。ハルくんがいないと、人生おもしろくないからさ~。じゃ、おえぇ……」
言うだけ言って、二十並草はあっという間に消えてしまう。だが彼が去った場所に、オハジキが並べられていた。二つ、二つ、四つ、五つ。全部で四つの塊だ。それは点字だった。しゃがみこんで解読する。
「おやすみ、か……」
二十並草と初めて会ったのは病院だ。俺が【
速すぎて輪郭さえまともに目視できないその子供は、片時もじっとしないで動き回っていた。なんというか、さながら小型の台風って感じだった。本人は家やら街やらを散歩しては、ベッドに戻ってきているだけだったのだが、速度が異常すぎるせいで周りの人間には暴れまわっているようにしか見えなかったのだ。
あの時のあいつは、発症したての異能を持て余し、二十四時間、超高速状態に陥っていた。なにもかもがスローモーションな世界の中に、ただ一人取り残されていたのだ。誰ともコミュニケーションが取れず、迂闊に人に触れることもできず、退屈に潰されそうになっていた。
俺はそんなあいつの事情など知らず、どうしても文句が言いたかった。「せめて夜は大人しくしててくれ! うるさすぎて眠れない!」と。
声は通じない。だから紙に書いて叩きつけた。問題は、二十並草からの返事が分からないこと。速過ぎるあいつに、紙と鉛筆での作業は繊細過ぎたのだ。
そこで俺は、課題を解決するための処方箋を用意し、看護師たちに「ある物」を揃えてもらった。それが点字表とオハジキだ。ちなみに、それを使った二十並草からの最初のコメントは、「うるさいぞ、みいらおとこ」だった。
思い返せば懐かしい話だ。あれから二十並草は地獄のリハビリで、【
それは裏を返せば、あいつがなにより退屈を恐れている、ということでもある。もしあいつが『
そうなる前に、なんとか手掛かりだけでも……
「げほっ……」
二十並草が去って、途端に辺りが静かになった。俺の咳が、虚しく反響する。
俺はわきあがる吐き気と戦いながら、杖にもたれて立ち上がった。今の俺は前後不覚の酔っぱらいサラリーマンと、そう大差ない。実に不健康極まりない状態だ。だけどこうじゃない。俺の求める不健康ってのは、こうじゃないんだ。
「こんなにボロボロなのに、肝心の異能病だけは重症化してくれないんだもんな」
このままヤケクソじみた実験を続けていたって手詰まりだ。ばあちゃんか俺、どっちかが先に力尽きてしまう。
やり方を変えないとダメだ……。
どうして異能病の治療が上手くいかないのか、その理由を考えるしかない。そのためには、異能病や【
とにかく今は、とっかかりが欲しい。とっかかり……
俺の頭に浮かんできたのは、複数症状を持ったあの少女だった。あいつは巨大化した時、自分を「数多の異能病患者を超越した存在」と語った。俺の勘が告げている。奴はただの異能病患者じゃない。俺たちとは違う、「なにか」を持っている。
捕まえて研究すれば、異能病について、新しい事実が見つかるかもしれない。それはきっと【
そうだ、あの少女はきっと、このどん詰まりを打開する鍵になる。そんな気がする。
「おまえは今、どこにいる?」
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