レベル1から始める異世界冒険者生活
匿名Xさん
プロローグ
すべては始まりのための終わり
落ちてゆく。
どこまでも深く、落ちていく。
光すらも届かない奈落の底へと。
ただ漠然と、そんなイメージを抱いた。
目は見えない。
鼻は利かない。
肌の感覚はかなり前から途切れている。
終わりの見えない暗闇の中、バイタルを知らせる電気音だけが、けたたましく鳴り響く。
人の死に際まで残る感覚は“聴覚”だと、カナダかどこかの研究から判明している。
けれど、まさかこれ程までに早く、自分の身体で答え合わせをするなんて思いもしなかった。
……いや、本当は分かっていたんだ。
遠からず、こんな日が来るんだろうなって。
母さんの涙で濡れた激励の声が聞こえる。
「本当に辛いのは俺じゃない」と、いつも普段通りの顔を心掛けていた父さんでさえ、今日ばかりは嗚咽を漏らしていた。
感覚という感覚が麻痺し、自分と世界とを隔てる境界が曖昧になる。
まるでこの世の全てと一体になったかのような全能感が身体を駆け巡る。
それと同時に、言い知れぬ薄ら寒さが首筋を撫でた。
――ああ、これが“死”か
人の死に際まで残る感覚は“聴覚”だ。
でも、薄れ行く意識の中で強烈に残ったのは、手のひらを包む温もりだった。
――母さん、泣かないで欲しい。最後なんだから笑顔で見送ってよ
――父さん、今日くらいは泣いてもいいと思う。悲しみを一人で背負っていないで、感情を出してもいいんだよ
満足――とは到底口にはできない。
学校に行きたかった。
僕と同じくらいの年代なら、普通は毎日学校へ行き、授業を受け、部活動に励み、そして家に帰り食卓を囲んで家族3人で団欒の一時を過ごすのだろう。
最後に学校に行ったのはいつのことだろう?
最後に先生に会ったのはいつのことだろう?
全力で走った記憶はもう無い。
母さんの手料理の味は薄れかけている。
家族旅行にも行きたかった。
山にハイキングに行ったり、海に釣りに行ったり。
北のため息が出るような冬景色や南の穏やかな南国の大海原。
よく見ていた旅行雑誌の写真は、どれも心躍るものだった。
味気ない病院食ではない、香辛料のよく効いた美味しい料理を食べたかった。
料理上手な母さんのことだから、退院祝いにはきっと奮発していろんな料理を作ってくれたのかもしれない。
僕も料理には興味があったから、母さんに教わりながら作ってみたかった。
何より、二人を安心させたかった。
僕は一人で生きられるのだと。
二人が心配することは何も無いのだと。
結局、その願いは叶うことはなかったけれど。
もし来世というものがあるのならば、次は綺麗な景色をこの目で見てみたい。
息が続かなくなるまで走りたい。
美味しいものを腹一杯に食べてみたい。
……。
あれだけ僕を苦しませた慢性的な疼痛が、鎮痛剤を流し込む点滴がなくとも感じられない段階に来た。
ここまでくると嫌でも理解させられる。
――自分はもう、長くないのだと
僕のバイタルを刻むモニターは、恐らくその振れ幅を少しずつ小さくしていっているんだろう。
電子音も弱く、不規則になっているに違いない。
やりたいことはたくさんあった。
その中でも、できたことはほんの一握り。
それでも僕は、今までの人生をそれほど悪いものだとは思わない。
不自由だと感じなかったと言えば嘘になる。
だけど、楽しいことも嬉しいこともたくさんあった。
暗転する視界。
体中を冷たさが覆う。
不満はある。
不幸だとも思う。
だけど、後悔は無い。
僕は“僕”という人生を全うした。
そして、両親にも恵まれた。
胸を張って最高の人生だったと言える。
だから最後はこの言葉で、僕という存在に幕を下ろそうと思う。
母さん、父さん――
――ありがとう
そして世界は白く染まった
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