第54話 現身

 ヴァイロはおだやかな晴天の空で自らの右手を鳥に見立ているのか、飛んでいるかのように動かす。


 数十km先に広がる地獄絵図じごくえずとは実に対称的だ。


必要悪ひつようあくって言葉があるだろう。このアドノスって島国は、小さないざこざこそあれど、今回みたいな戦争規模の争いの歴史を知らない……」


「それを議論するならそもそもこの島の歴史そのものが、150年程前から何故か消失しているぞ」


「ソレを今語るつもりはないな。とにかくいくさ知らずのこの島国は、戦力を増強しようとする発想はっそうすら皆無かいむだった」


 この台詞を聞いてシアンは、まるで子供のように自由に動かしていたヴァイロの手をグッとつかんだ。


この地カノンを悪者に仕立てたというのか? あのバンデが?」


 その問いにちょっと困り顔で首を横に振るヴァイロ。


あの男バンデにそんな知恵があるとは思えない」

「では?」


「裏であやつられただけなんだよ…憶測おくそくに過ぎないが。彼の意識は最早、人ではなくなっているのではないかな……」


 腕をシアンに掴まれたまま、シリアスな表情を返すヴァイロ。


 そんな二人を背後からとぼしい表情で、聞いているのかすら怪しいノヴァン。二人と一頭しかいなかった筈の背後から冷静な声が割り込んで来る。


「エディウス………。いやトリルさんだったか? 本当に彼女の中に違う意識の人間が入り込んでいるだとしたら、人間一人操ることなど造作ぞうさもないと思わないのか?」


 声の主はアギドである。小さな岩山の影からスッと現れる。全身をおおう黒いマントを羽織はおって影から出現するというのは、なんだか悪者じみていた。


 ちなみに彼だけでなく『黒い竜牙りゅうが』の連中はこの戦いにのぞむにあたり、皆そろいの同じ物を装備している。


「………だな。あるいは既に死んでいて身体だけ好きに操られているのかも知れない」


不死化アンデッドか………。成程なるほど、彼もまた被害者という訳か」


「はぁ………。ヴァイ、そもそもお前がいけないのだ。地力のないカノンをどうにかしようと魔法をみ出してくれたことには感謝している………」


 トリルの意識を支配している者が、生きているバンデの意識まで自由好きにするのは流石さすがに無理があるように思える。


 ましてや射程圏内しゃてけんないなどの条件なしとなると、バンデを殺して不死化させた上で操る方が高確率というのが、ヴァイロとシアンの共通認識になった。


 一番弟子であるアギドは、ズカズカと岩肌を踏みしめつつヴァイロの目前にせまると人差し指を突き付ける。


「だが何故よりにもよって闇側……。暗黒神を名乗ったのだ? いや……陽の当らないカノンが生んだ神のごとき存在だから誰かがそう呼んだのかも知れんが」


「…………っ!」


 アギドの剣先よりも鋭い指摘してきにヴァイロの顔が引きつってゆく。


「しかも実に仰々ぎょうぎょうしいコイツノヴァンすら黒に染めることはなかったのだ。これでは姑息こそくな手段など使われなくとも、悪者扱いされて当然ではないか」


「…………く、黒が好きなんだ俺。そ、それに魔法と言えば黒魔法という美学がだな………」


 背後のノヴァンをコイツ呼ばわりしながら親指で後方を指すアギド。

 それに対するヴァイロの回答が、27歳にもなった、かなりいい大人のそれではないので、アギドとシアンはガクリッと肩を落とす。


「そ、そんな厨二病ちゅうにびょうみたいな理屈りくつでお前はこの戦乱の元凶げんきょうを作ったのと言うのか!?」


「シアン………。この人の行動理念は、大概たいがいこんな感じです」


 思わず頭を抱えてフラフラ揺れるシアンに、とてもフォローとは言いがたいことを告げる17歳になったアギドである。


「と、ともかくだっ! カノンと暗黒神ヴァイロ。そしてそれらを掃討そうとうすべく立ち上がった戦の女神エディウス軍。この図式がこの島国全土を巻き込んで武装化ぶそうかを大いに進めるだろうなっ!」


 ヴァイロは自分の幼稚ようちさに話の矛先ほこさきが向かうのを恐れて、声を荒げてこのように言い切った。


 ◇


 その晩に時刻は移り変わるのだが、ヴァイロと使いの竜ノヴァンだけは、昼間と変わらぬ位置でたたずんでいた。


「ノヴァン………」

「ん、なんだ?」


 ポツリッと暗黒神ヴァイロヴァイロがその名をつぶやく。それに対する主への返事は何ともない。


「エディウス、そしてアイツが創造した竜の群れシグノ…彼等は未だ強い。俺は暗黒神などと祭り上げられてはいるが、お前がいてこその存在だ。己の力は最早たばになった『黒い竜牙』にすら及ばない………」


「なんだ、貴様程の男がそんな下らぬ事で悩むのか?」


 そう言ってノヴァンは目を細める。笑っているのか、小馬鹿にしているのか。夜の闇にすら溶け込んでいるので判別しづらい。


「下らないか?」


「嗚呼、実に下らない。いや不愉快ふゆかいだ。私をこの現世に投影したのは貴様ではないか。言わば我は貴様の現身うつしみ、我の力は貴様の力だ。その逆もしかりだ」


 ヴァイロは固い表情をくずさずに質問を質問で返す。

 それに対して憮然ぶぜんとした態度で斬り捨てるノヴァンである。


「貴様が自分の力を信じない? それは我の力も信じないのと同じ事だ。黒が好み…良いではないか」


「し、しかし………」


 どれだけノヴァンに言葉を掛けられてもあおりにしか聞こえない。


 こうしている間にもヴァイロは、例の悪夢が死体に群がるからすのように彼の心をついばみ千切ちぎらんとしていることを感じるのだ。


「意地を通すのだ暗黒神。貴様の正義をつらぬいて敵に勝利する。ただの青年に戻りとの平穏へいおんが欲しくば他に道はない」


「え………」


 突如などと言い出したノヴァンに驚いて、ヴァイロは慌てて周囲を見渡す。


 黒いマントに身を包み、やはり夜の闇に溶け込んでいたリンネとミリアがすぐ近くまで迫っていることに気がつかなかった。


 新月まであと3日いった所か。それ程に欠けている頼りない月に照らされた二人の少女の顔がまるで満月のようにまぶしく見える。


 実に頼りがいのある凛々りりしい、それでいて迷える子羊とも言うべき自分を救済きゅうさいしてくれそうな優しさに満ちあふれていた。


(フフッ………。現身うつしみとは言えケダモノの戯言ざれごとより圧倒的に効きそうだな)


「行って来い二人の元へ。見張りは我直々じきじきにこなしてやろう」


 そんなノヴァンの言葉に、まるで解き放たれた子供のように、二人の想い人の元へ駆け寄ってゆくヴァイロであった。

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