第34話 報復と餌
巨獣との戦闘を終え——。
階段を降りていく郁斗の耳に、彼女に向けたであろう熱烈且つ変態的な言葉の数々が耳に届いてきた。
場所は四階。聞こえてくるセリフと状況から、ゆめが師谷から懸命に逃げ隠れしている、そう予想できた。
助けないと。
郁斗は師谷にバレないよう、奴の位置とは対角線上の場所をキープしながらフロア内を隈なく探索する。
すると、ギフトコーナーの一角。まもなくして郁斗は、ラックの物陰に隠れ、一足のローファーを抱えた一人の少女。震えながらも懸命に、隙間から師谷を注視しているゆめの後ろ姿を確認した。よれて乱れきったシャツとスカート。彼女は裸足だった。その有り様に、奴からどれほどの悲劇に晒されてきたのかがわかる。
彼女は師谷に意識が全振りしているようで、郁斗の存在には気づいていない。驚くことは想定しつつも、一切の音を漏らすことなく、郁斗はゆめの元へと近づいた。
そして、場所を変えようと振り返る彼女と対面。咄嗟に口を塞ぎ、即座に安心させるべく救済の言葉を囁いた。
「……郁斗さん」
掴んだその華奢な手は、冷たく震えていた。
もう大丈夫。そう言い放つように郁斗は深く頷くと、ゆめは大粒の涙を流していた。泣くのも当然。けれど、ここで音を漏らしてはならない。
そう思ったか、それとも無意識なのか……。郁斗は反射的にゆめを抱き寄せた。
少しずつ、徐々に。
彼女の体温が戻っていくのがわかった。
束の間の安息。十秒ほどの短い抱擁を続けた後、郁斗はゆめの肩に手を当て、自身の胸元から彼女の身体を引き離す。
「コレ……」
「あっ」
郁斗は、五階から持ってきていた片方のローファーを差し出した。張り詰めていた表情が
「もう大丈夫」と、今度は師谷に悟られないほどの声に出して伝えると、彼女から安堵の吐息が漏れた。
そして。郁斗はこちら側へ着々と距離を詰め歩く師谷を確認すると、ゆめにこれからの動きを指示した。キョトンとした表情を見せる彼女。
これも作戦。これまでずっと共に戦ってきた間柄。結果瞬時に頷いて見せたゆめは、羽織っていた私物の一部を抵抗なくその身体から剥がし、郁斗へと差し出した。
「ゆめはこのまま、ここで待ってて」
「えっ……」
「大丈夫」
「後はオレがやるから」
淀みなくそう言い放つと、郁斗は師谷の死角を縫うようにして、その場から立ち去った。
◆
「ゆめちゃーん♪」
「もうそろそろ、僕も限界だよ。時間が経てば経つほど、僕のフラストレーションも高まっていっちゃうよ? いいの?」
「返事が無いな~。そっか、じゃあイイってことだね? 激しいのがご所望なんだね? もう……ククッ」
一人妄想の中に没入し、狂気じみた独演を繰り広げながら。
師谷はギフトコーナーに向けて進んでいく。
「ガシャン!!」
と、その時。アトラクションエリア付近で、大きな何かが倒れる音がして、フロア内を轟かせた。それはまるで……慌てて足でも引っ掛けて、倒してしまったかのような、焦燥感を漂わす金属音。やまびこの様に響いたその音に、男が気づかない訳がない。
「ククク」
「あれ? あれれれれ」
やっと尻尾を出したと言わんばかりに、瞳を輝かせた師谷はその場で飛び跳ねた。もう何処にも行かせはしない。師谷は踵を返し、再びアトラクションエリアへと方向転換した。
視界を広く持ち、ハエ一匹すら逃さないくらいに眼球をゴロゴロと動かす。そして今度は牛歩でなく、スタスタと駆け足で。スプラッター映画のような狡猾さをはためかせながら、「ワールド・ザ・ライド」エリアへと向かった。
ピタッ。
乗り物の台座が見える数メートル手前で、何故か足を止める師谷。
「クク、クククッ……」
つい我慢ができず、師谷は必死で哄笑を殺していた。
止まらない笑みのワケ。それは師谷の視線の先。乗り物の座席部。その裏側の端から、ゆめが着用している紺色のスクールブレザーが、微かに顔を出していた。
身を隠しているようだが残念。見えちゃってるよ。
きっと焦ったんだね。今この場で声を出し、教えてあげたい。
だけど、それじゃあ面白くない。
震えているのかな。どんな表情をしてるだろう。
でも大丈夫。
すぐに快楽へと導いてあげるから。
「ゆーめちゃん、見~つけたッ!」
にこやかな顔で師谷は、ドタドタドタッと駆け寄ると、ボートにのけぞるようにして裏側を覗き込んだ。
「あれ?」
だが瞳の先に、少女はいない。
そこには、搭乗用の小さな台に掛けられたスクールブレザーの布地だけが、抜け殻の様に残っているだけだった。
「どうして、こんなトコに……。さっきは無かったぞ」
そう思った瞬間。
「バコンッ!」
師谷の後頭部を目掛け、振り降ろされた金属パイプ。千切れる吐息と、ふらつく身体。濁った悲痛な叫びを繰り返しながら、師谷は振り向く。だがそこに、再び強打の一撃が浴びせられた。
「随分と楽しそうだったのに、何だ? ビックリしたか? さっきまでの威勢はどこ行ったんだよ」
「う……ウラキ」
「お前だけは許さない」
その言葉を最後に。師谷の眼前を、銀色に光る分厚く長い鉄槌が横切る。と同時に、師谷はゆらゆらと意識を失い、そのまま冷たい床へと倒れ込んだ。
◆
「ごめん、お待たせ」
ゆめの元に戻って来た郁斗は、頬をつたう汗を拭った。
「郁斗さん、大丈夫……ですか?」
「それに、この音は」
先程から大音量で流れる、重厚且つ時折ゲームチックなテクノサウンド。駆け付けた郁斗を心配しつつも、ゆめは不思議そうに尋ねた。
彼女の問いかけを
よしッ……いい頃合いだな。
「さあ、早くこっちに」
「えっ? あっ、はい」
言われるがまま従うゆめ。郁斗は彼女の手を引き、階段から遠く離れた柱の裏へと移動した。
そして物影から、階段を監視していると……。
「ッタ……タッ……」
図太い足音を響かせながら。息を吹き返し、五階から降りて来る黒いケダモノが姿を現した。
「ヒャッ」
少女の声無き悲鳴が、郁斗の首筋を通り過ぎる。
「大丈夫、こっちへは来ないから」
「ほら見て、ヤツの足取り。だいぶ
そこで郁斗はゆめに、彼女が逃げ回っていた間に五階で起きていた怪物との一連の出来事を伝えた。
「じゃあ、あのクマは一体どこへ?」
「音だよ。音に反応して向かって行っているんだ。それに、流血仕立ての血のニオイも当てにしているんだろう」
音の正体、それは「ワールド・ザ・ライド」のプレイ音だった。郁斗は師谷を失神させた後、アトラクションを起動させていた。
「さ、今のうちだ」
「‟コレ”を着て。ゆめの分も用意してある」
諭すように告げた郁斗は、予め置いておいた大きな白装束の塊を、ゆめの前に差し出す。
「これって……」
彼女の両腕にずっしりとのしかかった重たい
「これは宇宙服だ。五階の月面着陸の展示ブースに、実物として飾られていたんだ。とはいえ宇宙に行くわけではないし、あまりに重たくて背中についていたタンクは外したけど」
「ちょうど二人分ある。これできっと、あの炎の回廊を通り抜けられるはず」
展示室の解説をザっと流し見していた郁斗。生地は宇宙技術で開発された「エアロゲル」と呼ばれる、燃えない素材で高い撥水機能と断熱機能を有していると、説明には書かれていた。
ここで郁斗が考えた作戦の一つ、最優先すべき炎上階への突破方法が明かされた。
「急ごうゆめ」
「あの獣が、餌に釣られている間に」
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