第36話 ステージ終了

 びしょ濡れの床の上にひれ伏し、ピクリともしない身体。

 まだ息があるのか無いのかもわからない。

 蜜は郁斗の敷いたトラップの餌食となり感電していた。

 だがそれは。

 元々人間に対してではなく、‟あの野獣”に対しての一応の策だった。


 それは先程、二階へと向かう途中。コービーまみれの踊り場で足を止めた郁斗は、壁面に設置されたコンセントに目を付ける。館内清掃等や設備点検の際に利用される用途として取り付けられているのだろう。

 すると郁斗は、ポケットからグルグル巻きにしていた電源コードを取り出した。長さは二メートルもない。コードのみで線の先には電化製品も何も繋がっていない、ゴミ同然の代物。

 それは五階での死闘の際、電気スタンドのポールで攻撃を阻止した時、野獣により引き千切られ断線したコードだった。外装として覆われていた塩化ビニールと絶縁体はグシャリと剥がされ、中から螺旋状に束ねられたあかがね色の導体がむき出しになっている。

 郁斗はその断線をコンセントに差し込むと、コードの先端を壁に立てるようにして据え置く。自らは防備をしているものの、すぐさまその場を離れる郁斗。バランスなど皆無なその電線は秒で婉曲し、やがて圧力を失ったホースが倒れるようにして、ぐねりとコーヒーの水たまりの中へ着水していた。

 


 ◆



 尽きる気配の無い炎。その後蜜から逃れ、どうにか二階の炎上エリアの手前までやってきた二人。郁斗は再び宇宙服のユニットを装着する。手が届かない背面の固定部については、ゆめが何も言わずとも助力して付けてくれた。

「ありがとう」

「いえ、そんな」

「あとはヘルメットを被れば」

「タッタッタッタ!」

 郁斗とゆめが互いにヘルメットを頭にめようとした、その時。

 雪崩れのようにして飛び降りて来た蜜が、ナイフを手にゆめの首筋目掛け襲い掛かった。

「ゆめ、危ない!」

「えっ……」


 グサッ。


 咄嗟の事で動きを止めるゆめ。そんな彼女の身体を抱き寄せるように引き寄せ、かばうようにして回り込んだ郁斗。襲い掛かった蜜は、タフにも意識を取り戻し、生命を維持していた。

「郁斗さん!!」

 悲鳴のように声を荒げるゆめ。

 真っ白の床に、ダラダラと赤い血が滴り落ちた。

「め……ろ……」

 蜜が振り降ろした鋭利な刃は間一髪、郁斗が自身の首筋を守ろうと反射的に置いた左手へと突き刺さった。強烈な痛みが走り、左手の感覚と力が落ちていく。それでもさらなる致命傷を防ぐべく、郁斗はナイフを持つ蜜の右手を両手で強く掴み制した。

「カン、カシャン!」

 手元から落下する凶器。最たる危機を脱するも、蜜は狂喜乱舞の如く攻撃態勢を崩さない。とても小柄な女性と思えないほどに。彼女は全てを解き放つように叫び狂い、目をたぎらせ、郁斗に掴みかかった。

 武器を失った蜜は口を開け、ヴァンパイアのように喉元へと接近をはかる。彼女は完全に理性を失っていた。相手が女性とはいえ、宇宙服をまとい不自由な身体。左手の負傷により、止まらない脱力。

 離せ、やめろ。

 郁斗も息を切らしながら抵抗を続けた。

 ……このままじゃ、まずい。

 と——。


 ブスッ。


「うっ、うう……」

 蜜の体重が、ゆっくりと郁斗の腹部にもたれ掛かった。と思えば、彼女は郁斗に手を伸ばし、そして崩れ落ちるようにして倒れ込む。その小さな背中に、ナイフを突き刺したまま……。

 訪れた静寂。蜜の後ろには、身を震わせ呆然と立ち尽くすゆめの姿があった。

 彼女は郁斗を守るため、蜜が落としたナイフを手にし、無我夢中で彼女の背中へと飛び込んでいた。

「私……」

「ヒ、ト……殺して……」

「ゆめ! しっかりしろ!」

「でも」

「ゆめが居なかったら、オレは確実にやられてた」

「え……」

「キミはオレの命を救った、ただそれだけだ」

「大丈夫、何も気にするな。だってそうだろ? そもそも元々、このゲーム自体狂ってるんだから」

「今は先を急ごう。な、ゆめ」

「ほら、行けるか?」

「…………」

 優しく諭す郁斗の言葉に、何とか自我を取り戻し頷くゆめ。

 

 そうして——。

 蜜を退けた二人は、炎の中へと突入していった。



■第4ステージ

 エンドラン ~炎上回廊~


■失格

 水菜月蜜(死亡)



 ◆



(こっちだ)

(はい)

 絶えず燃え盛る左右の炎。火の粉がパチパチと飛び交う回廊の中を、郁斗とゆめは突き進んでゆく。断熱性の高い宇宙服が功を奏し、直接的な引火の危険は見事に回避できていた。

 とはいえ場内はかなりの高温。短期決戦は必須。いつまでもは持たない。ヘルメット内の酸素は刻々と奪われ、長いこと留まっていれば一酸化炭素中毒になるリスクも大いに秘めていた。

(くそ、ちがう……)

(こっちです)

 言葉は交わさず、身振り手振りを駆使し意思疎通を図る。

 そうして協力し合い、ゴールのリフトを目指した。

 熱い。呼吸もかなり苦しい。

 やばい、倒れそうだ。

 どこだ、どこにある。

 早くしないと……。

 迷路状の通路を、何度も右往左往しながら。

 やがて二人は、炎上が凪の様にピタリと止んでいる空間を視界の最奥で見つける。……きっと、あの場所で間違いない。

 互いに頷き感情を共有すると、最後の力を振り絞るように全力で駆け抜けていった。

「ハア……ハア……」

「っ、どうにか、抜け出せた……」

 何とかギリギリ。

 郁斗たちは息を切らしながらも、炎の渦から抜け出すことに成功する。

「あれ、か……」

 メットを外した二人の前には、下層へと下降するリフトが設置されていた。

 今いるその場所は倉庫にあるようなラックが並び、埃臭い。元々裏方用で、スタッフ専用か何かの用途で作れたように思える。

 そうしてリフト台の上にふと目を向けると、そこには「積載過重120kg」の注意書きがされていた。ということはおそらく、二人が定員って所か。ちょうどだ。

「ねえ、ゆめは体重いくつ?」

「えっ? あっ、ええと……54くらいです」

「そう、ならよかった。オレは65だから」

 二人合わせて119kg。それに、ここまで何も口にしないまま酷使を続けて来た。体重はさらに減っているはず。二人乗るには容易いだろう。

 郁斗は漸くステージを終えることができたと、ホッと安堵した。

「アナウンス、何も無いですね」

「そういえば確かに」

 リフトに辿り着いたものの、桐島から指示も催促も何もない。周囲を見渡して見るがカメラらしきものも一切見当たらなかった。

 とはいえ、逃げも隠れもできない。

 あるのはただ一つ、下層へと続くリフトのみ。

「オレ達には下に降りるしか方法が無いから。だからきっと、待ってるんだろ。次の最終ステージで」

「だけどここで、少しでいいから休憩しよう」

 そう言うと、疲労困憊の郁斗は床に寝ころび、天を仰いだ。



■第4ステージ

 エンドラン ~炎土回廊~


■クリア 

 浦城郁斗、黒川ゆめ



「そういえば……」

 休息をとりながら、郁斗は思い出したように口火を切った。

 ステージのクリアに気を取られ、忘れかけていた疑念のピースをここでかき集める。

「あのさ、ずっと思ってる事があって」

「はい」

「オレたちはおそらく、桐島に何か恨みを持たれていて、それで集められたんだと思う」

「えっ?」

「だから、聞きたいんだけど」

「ゆめはこれまで、ってある?」

「え……」

「急にゴメン」

「でも、オレはあるよ。人を傷つけた点でいえば、きっとたくさん。だけど、限定して具体的に記憶に残ってるものはなくて……。ひどい話なんだけどさ」

「ゆめは無い? 例えば、強く記憶に刻まれている人がいて、後悔しているコトとか……」

「っ、それは」

「……ええっと」

「…………」

「…………」

「ご、ごめん」

「やっぱ、デリカシーなかったね」


「あいか」


「えっ?」

って、知っていますか?」

「しらほしあいか? 誰それ、芸能人?」

「はい」

「元アイドルです」

 あいか……。アイドル……。

 確かに、そういや聞いたことあるような。

「それで、その子は今何してるの?」

「もう、いないです。亡くなりました」

「自殺したんです」

「えっ、じさつ?」

「……はい」


「私が殺したんです」









 




 

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