エッセー
はる
時間
私は時間の存在しない世界に住んでいる。成長も達成も前向きも後ろ向きも存在しない、無の世界。私はこの世界で、何もせずに暮らしていきたいと、幼い頃から思っていた。現実はそれを許さなかったけど、私はぎりぎりまで抵抗していた。
時間のある世界の住民のことを思う。自分の中に時間が流れていて、あらゆる過ぎ去っていく物事を、上手に処理していけるのだろう。嫌なことも、いいことも、同等に過ぎ去っていく。私にとって、時間は体の外側を流れていく川だ。情報量が多すぎて、大体のことは覚えていられない。でも、嫌なことは覚えていて、時間のない世界で制限なく瞬く。それを私は苦にしている。どうすればそれがなくなるか、あらゆるライフハックを試したけれど、うまく行かなかった。
走ることが苦手だった。たぶん外から見たらスローモーションのように見えたんじゃないか、というくらいゆっくり走った。陰口を叩かれもした。
「本気で走ってないんじゃないの?」
と疑われても仕方ないくらい、私はスローモーな動きをしていたのだと思う。私にとって、時間も同じだ。私の内部の時間は、ゆっくり、周りを気にせず、マイペースに流れている。私はそれを自覚していて、焦ったり脅したりなだめすかしたりして早く流れるようにけしかけたものだけれど、体の中の時間は言うことを聞かなかった。だから、私は他の人からしたら、常に焦っているのんびり屋さんに見えていたことだろう。いっそのこと、知的能力が低ければ、自分が世の中の規格外であることを知らずに、ゆっくり生きていけたのかもしれない。でも、それはそれで危険な生き方だ。悪巧みをする人に騙されないともかぎらない。そういう危機管理能力が備わっているだけよかったかなと思う。
でも、それでも、生きる上でのやりにくさがあることには変わりない。頭の中もスローペースだから、動きも話すのもゆっくりだ。それでは外側の動きについていけない。二十歳代前半の頃、頑張って働いてはいたけれど、しんどくて辞めたくて仕方なかった。実際、二回仕事を辞めた。申し訳ないことをしたと思う。もっとやる気を持って、楽しく働きたかった。それだけの能力が私には備わっていなかった。
今は比較的マイペースにできる仕事に就いている。それでも一人で生きていくだけのお給料はもらえていなくて、今でも実家住みだ。年金が出るかもしれないけれど、今は分からない。
副業を始めたけれど、持続できるかは分からない。とにかく、私は情報をずっと保有し続けることは得意かもしれないが、それを元にテキパキと動くことが得意ではない。何かを処理することに重要性を感じにくい。それよりは、頭の中で概念同士がくっついて気持ちよくなる、その喜びに没頭したいと思ってしまう。それは書くという行為によって可視化される。
実際的な脳みそはちょっとだけれど、そのちょっとで100%やろうとしたことが問題なのかもしれない。私の大半は、ふわりふわりとした概念同士が、ちきり、と音を立てて組み合わさる、その愉快さに夢中になっているのだから。
行動が伴う、はっきりした音の言葉の組み合わせが少し苦手だ。あまりに個性がないと思ってしまう。それよりは、独特な文字列にうっとりする。その嗜好性が生きづらさを生み出しているのだとしても、社会に迷惑をかけているのだとしても、辞められないのだ。辞めるつもりもない。
この連載は、そういう頑固な私の胸の内を書いていきます。お口に合えばいいです。
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