これからに続く-1 春を迎える。
ぼんやりと眺める先には街の景色。
『天気は本日も晴れ。雲のない晴天となっています。気温も高くならず、過ごしやすい一日となるでしょう』
街頭ディスプレイからは天気予報を伝えるキャスターの声が聞こえてくる。どうやら今日は晴れ。空を見上げるとそのとおり雲のない綺麗な澄んだ色が広がっていた。
そこに火の手をあげ崩れていた光景の名残はもうどこにもない。
春を迎えようとしている街には暖かな風が吹き始めていて、新しい季節はもうそばまで来ていると教えてくれている。歩く人々の姿にもどこかその暖かさに背中を押されているような活気が見えた。
とは言っても気がするというだけで、実際は違うのかもしれない。それはもしかすると、かつて起きたことからなんとか逃れようとしている姿——そうも思えた。
この街の姿はたしかに見た目は元通りとなった。いや、ちょっと変わったか? 今いる繁華街は前よりも綺麗になったし、今ニュースを流してる街頭ディスプレイなんて前はなかった。
去年の騒動の後、この街には『隠塚』を初めとしてて多くの援助が寄せられたらしい。それは資金的なことであり、人的なことであり、いろいろだ。その詳細は俺にはわからないが、ボロボロになってしまった街がわずか二月程で何事もなかったかのような姿となっているのは多くの人達のが助けがあったから。
だが、見た目は元に戻せても、取り戻せないものもある。
それは思い出であり、一緒に過ごした家族であり、人によってそれぞれだ。
俺の場合で言うのなら、それは心臓。
「簡単な話、勇悟君がワタシ達の残滓に飲みこまれるか賭けたんです」
俺の先輩・七生奈々子は教えてくれた。
「飲まれたら鳥羽君の勝ち。勇悟君自身を新しい『こいけがし』の一部として自分で大切なものを奪わせるっていう最低な景品をもらう。逆に飲まれなければ私の勝ち。ほずみちゃんを勇悟君の心臓として返してもらって、鳥羽君には残ったワタシの一部を連れていってもらう」
先輩は視線をそらさない。最後の最後にまた隠していた真相を教えてくれている。
「勇悟君達がワタシ達の意思を変えることができたとしても、ナイアちゃん君みたいに変われないワタシ達もいる。ずっとずっと憎んできた自分のことですからわかります」
その自分とは、目の前にいる七生奈々子のことであり、その中で混ざり合った『彼女』のどちらも指しているんだろう。
「だから、そのワタシ達を変わったワタシ達の中に溶かしてくれる人が必要だった」
それが鳥羽だった。
「それに勇悟君の心臓として、ほずみちゃんを変われないワタシ達から切り離してもらう必要もありましたから」
けれど、鳥羽が約束通りにする保証なんてなかったはず。
「その時は最悪、戻れなくなっても私がなんとかするつもりでした。けど、なんとなくですが、鳥羽君は約束は破らないんじゃないかって思ってました」
それで話は終わり。正直、説明になっているのかわからない言葉だが、理解はできた。
なんだかな、ちょっと落ち込む。
「落ち込む?」
結局は最後の最後も先輩に助けられたんだ。自分一人で立とうだなんて思っていたのにも関わらず。
俺が聞かされていたのは鳥羽と最後の決着をつける場所を用意するということだけ。そこでどうするかも何も聞かされていない。決着のつけ方は俺に任されて、俺は俺が思うままの答えをあいつに出しただけ。
鳥羽の身体が崩壊し始めていたのはすぐに気づいた。それが変わろうとする意思達に抗ってものだったのか、他の理由からなのかはわからない。
だが、下手をすれば俺もあのまま死んでいた。殴り返すことはせず、ただされるがままに消えていた可能性だってあったはずだ。
「……勇悟君はお人好しが過ぎます。私はあなたの命を利用したんです。『こいけがし』という存在を消し去る私の目的のために。ほずみちゃんも、おきちゃんも、そらちゃんも利用したんです。鳥羽君だって同じです」
そう口にする先輩は珍しくも怒っているようで。
消し去ってはないだろ。だって、ちゃんとそらや俺が生きていられる。
「同じです。結果はどうあれ『こいけがし』と呼ばれた怪物はいなくなった。私はみんなを救えると口にしながら、自分の復讐を遂げようとしていただけなんです」
けど、それで皆が生きていられるならそれで良い。たしかにほずみや鳥羽のことが気にならないと言えば嘘になる。
けど、俺に先輩を責めたりだとか、そんなつもりはない。何故って——。
「先輩は俺達のことをちゃんと助けてくれただろ」
どういう思惑があったにせよ、俺にとってはそれで良い。それに先輩は復讐のためと口にはしたが——きっとそれだけじゃない。
「復讐のためだけって言うなら……今なんで怒ってるんだよ?」
「怒ってなんて——」
「許せないからだろ? ちゃんとほずみも一緒に助けられたなかった自分が。だから俺が何も言わないの怒ってるんだろ」
だって、ずっと可愛がってたもんな。あいつだって香坂ほずみに間違いない。隠塚おきのコピーとして生まれた存在なんかじゃなく、ちゃんと先輩にとってあのほずみも妹のような後輩の一人だった。
だから、そんな後輩を——香坂ほずみという人間として、この場にいさせられないことを、きっと誰よりも悔やんでいる。
「俺達を危険な目に合わせるしかなかった自分が許せないんだろ?」
先輩は何時だってお節介で世話焼きで、たとえ心の底には復讐のためという理由があったとしてもきっとそれだけじゃない。
「先輩。もし先輩が自分を許せないって言うなら、これからちゃんと生きてくれ。橙子や俺達と、やっと帰ってこれた現実の杜人で一緒に生きてくれ」
俺の言葉に病室のベッドで上半身だけを起こしている先輩は何も言わない。病院でずっと眠っていたその顔は青白くて、身体も痩せ細っている。
「これからまた美味いコーヒーいれてくれよ。俺の中にいるこいつにもわかるように」
自分の胸に手をあてると、そこにはちゃんと脈動している心臓がある。まるでうなずくようなドクンドクンという鼓動が手に伝わっていた。
「……料理の上手な頼れるお姉さんの先輩はもういません。あれは私のそうありたいというイメージをあの世界が形にしてくれたものです。だから、今の私はすごく美味しいご飯もコーヒーも作ったりなんてできません」
けれど、その口が発するのはらしくない後ろ向きな言葉。俺が知るいつでも前を向いていた先輩の姿はどこにもない。
だけど、それは『らしくない』なんてことはない。
彼女は今、やっと帰ってこれた現実で不安なんだ。
「ならとこも手伝うのです」
だから、そんな弱気な先輩にその妹は迷わず手を差し伸べる。
「俺もな」
「私もですよ」
橙子の後に続いて、俺とおきの声が重なった。
前よりも細くなって心細そうな先輩の手を三人で握る。
すべてが終わって先輩は眠っていた本当の自分の身体へと帰ることができた。けど、その身体は普通でなかった俺とは違って、まだ歩くこともままならない。
だから、今度は俺達が支えてあげる番なんだ。
それに俺達だけじゃない。
世界に『こいけがし』の意思が広がったことで、あの夢の杜人での記憶は俺以外のものにもなっている。
それはつまり、ずっと夢の世界で生きていた先輩をちゃんと知る人間がいてくれるということ。
「私を忘れるなよ」
そんな一番の親友である優姉が頼りになる笑顔を浮かべていて、
「わたしもだよ」
頼れる俺の相棒だっている。
「奈々子、わたしを忘れない」
もちろん姉ちゃんも。それに久遠寺もな。
「先輩が嫌だって言っても、俺達はそばにいるからさ」
俺達の先輩。当たり前だが彼女だって俺達と変わらない人間だ。ついでに言えば年も一つしか変わらない。
ただずっと家族の元へ帰りたかった一人の少女。
だから、今みたいに妹にしがみついて泣いていても不思議なことはなにもない。
「見ていてください……きっと、すぐに驚くくらいに上手になってしまうんですから。また……美味しいってみんなを言わせちゃいますよ」
そうして笑ってくれた先輩の顔を思い出す。
先輩のおかげで俺はなくしていた心臓を取り戻した。けれど、それは代わりに香坂ほずみという一人の存在を失うことの裏返し。
だが、それを悪いものだと俺は考えたくない。俺を生かしてくれる答えを出したあいつの意思を、悲しいものだなんて思いたくはない。
手を当てるとドクンドクンと脈うつ心臓。やはりそれは、そうだそうだ、とうないずいているようだ。
勝手な俺の思い込みだとは思う。けど、暗い顔してたらあいつにぶっ飛ばされそうだしな。
それにあいつあいつといないみたいに言ってはいるが、多分今は眠っているだけ。
俺の心臓の中でいつかの時を待っている。
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