1-13 お前が泣くのかよ

「それで……その鬼がわたし達ってことですか?」

 語りを聞き終え、ゆっくりとそらが問いかける。

「正解」

 その返答は実にシンプルだった。

 そんなバカな……。

「納得できないって顔してるな」

 それはそうだ。あの訳のわからない怪物が実は昔からこの杜人にいて、それを退治する奴らがいる。

 しかも、俺達はその退治する方だった――なんて言われてすぐに納得できる奴がいたら、そいつはなかなか吹っ飛んだ頭をしてる。

「けど、それが事実で真実。どうしてもと言われても変えようがない」

 そう言いながら、懐から煙草の箱を取り出して――あ、ここダメ?、と場違いな言葉をつげる。

 訳がわからない。

 わからないが……話をすすめるしかないのは確かだった。

「それで……それがさっきの写真とどうつながる?」

「気づかないかな? 今の話とさっきの写真」

 そそくさと煙草をしまいながらも、楽しげにこちらを試すような態度はなくならない。

 正直、腹がたってくる。

 たってはくるがそんな場合でもない。頭を冷やして考えよう――。

「……お父さん」

 またそらのつぶやきだった。

「正解」

 また返答はシンプルだった。

「私は教授職についてるんだけど、当時――ああまた昔話につきあってほしい――私は助教授で子供二人と暮らしていた。それなりに忙しくて、子供の世話やなんだかんだと大変だったけど、帰ると迎えてくれる子供達に私は幸せだったよ。

 それで――そうあれはクリスマスだったか、なんとか論文をまとめて子供達との約束に間に合うように急いでいたよ。覚えてないだろ? お前にねだられたヒーローの人形を必死に探して帰ったんだ。

 ケーキも買ってプレゼントも準備した。そして、さぁ帰ってきたお母さんだぞってね。お前とお前の姉はそれは可愛かったよ。

 抱きついて、甘えてくるお前達に私は嬉しかった、本当に。



 そこでふと気づいたんだ。



 そういえば私は一体誰とこの子達を産んだのだったか



 、ってね」

 浮かぶ笑みはどんな感情を宿しているのか。

「血の気が引いたよ。なにせ自分が愛する子供達を一緒に育んだはずの夫をほんのわずかにも思い出すことができなかったんだ。それこそ最初からいなかったようにね。

 それで子供達が寝静まった後、探した。家の中に何かないかとね。

 そしたらどうだ、あったよ。私の夫らしい人間の服やら私物がね。それどころか書斎らしい部屋だってあった。同じ家に住んでいたはずなのに、その時まで私はその部屋の存在すら覚えていなかったんだ」



 喰らわれたもの、悉く消え失せ、覚ゆる者ただの一つもなし。



 昔話の一節をもう一度つぶやく。

「喰われたのさ。私の夫でありお前の父親である人間は」

 事もなげにつげられる。気づけば、先ほどまでの笑みはその顔には浮かんでいなかった。

「それでだ。単刀直入に言うと、勇悟、お前も襲われたんだよ。そのこいけがしに」

「俺が……?」

「十年前になる。当時はもうお前は皇の家にいて、私は側にいなかった。だから詳しい状況を知っているわけじゃない。けれど、確かなのは父親と同じくお前は杜人に昔から存在する害あるものに襲われ、それ以来ずっと意識不明の昏睡状態だったんだ」

 俺が……十年……眠っていた?

「バカ……言うな。俺にはちゃんと記憶がある。昨日までちゃんと、ちゃんとあの皇の家で叔父さんや叔母さん、それに優姉と——!」

「それは夢だ」

 死刑宣告にも等しい言葉ははっきりと、短かく俺のすべてをつらぬいていった。

「お前が見ていたのは夢なんだよ。勇悟、現実にはお前は十年間ずっとあの病院で眠っていたんだ」

 嘘だろ? 嘘に決まってるだろ?

 夢? 今までの全部が?

 とっくにボロボロだった俺の中の根っこが本当に音もなく崩れ去ったようだった。


 忘れていた——忘れようとしていた心の中でなにかが軋んでいく。


 不意に手を握られた。

 気づけば、そらが俺の手を握っていた。

 顔をふせていて表情はわからないが、ただ強くにぎられる手の感触が熱い。

 その熱さがギリギリのところで俺をひきとめてくれた。

「……仮にそれが本当だったとして、なんで突然目がさめたんだ?」

「それはわからない。ただいきなり目を覚ましたとしかね。残念ながら私の専攻は医療じゃない」

 肩をすくめる自称——いやここまでの話を聞いて、そして今日のことすべてを考えて……受け入れるしかない。

 目の前の、俺の母親が語ったことは真実なんだろう。

 受け入れるしか……ない。

 ぐっと歯をくいしばる。吐きそうになる不快感をこらえて、ぐっと目をつむる。

 沈んでいきそうな自分の中で、変わらず俺の手を握るそらの手が熱かった。

 深く息を吸う。そして同じように吐いた。

「それで――これからどうする?」

「とりあえずは休みなさい。今日のところは好意に甘えてね」

 俺の問いかけに答えながら、俺の母親は立ち上がる。

「明日、迎えに来る。続きはその時にしよう」

 そう言って、一人部屋を出た後ろ姿を見送り、俺とそらは部屋に残される。

 変わらず、そらはうつむいたままだ。

 さすがに心配になってのぞきこむ。

 と、ばっと顔をあげてくるそら。いきなりのことに驚き、のけぞる俺。

「ゆ、う〜……ごめ、ん〜〜……」

 そらはぼろぼろと涙を流しながら泣いていた。

 ど、どうしたどうした? いきなりどうした?

「わ、わたし……さっきまで特撮も、の……みたいですご……いとか、心、の中で……テン、ション……あがっちゃってて……だけど……ゆ、う……すご……つらい、のに……!」

 うぇぇぇぇ、と泣きはじめる。

 おいおい、なんでお前が大泣きしてるんだよ。

「……泣くなって。別にお前のことじゃないんだからさ」

「ぞんなこど……言っだって〜〜」

 泣きじゃくるそら。どうしたもんか……。

 ふと、まだつながれた手に気づいた。

 強く握ってくる手ははなす様子はなく、そらの熱い体温が伝わってくる。

 なんか、落ち着いた……。

 これはあれか。目の前で自分以上に泣き叫ぶ相手がいて逆に冷静になっちゃうってやつだろうか。

「……ったく、いつまで泣いてんだ、バカ」

 もう片方の手の指で軽めにそらの額をはじく。

「……いだい。ぞれに、バガって言っだ」

 鼻水をすすりつつ空いている手で額をさすりながら、そらは恨みがましい目を向けてくる。その目は泣きすぎてか赤くはれている。

「今は俺が泣く場面だろ。お前の大泣きのおかげで引っ込んじまったよ。……泣いたりなんかしないけどな」

 ついとそらから視線を外す。憎まれ口がでるが、それが照れ隠しになってしまっているのが自分でも自覚できた。


 それからそらの大泣きを聞きつけた久遠寺・兄の無言の圧に冷や汗をかかされたのは、……まぁ、置いておこう。

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