雛祭さんは帰りたい 3

 雛祭さんのスマホから、無機質な呼び出し音が聞こえてくる。

 みくりも山際さんも、ずいぶんと緊張している表情をしていたが、快人にいたってはスーパービッグパフェを山際さんと食べることしか頭にないという顔をしていた。そんな快人のおかげで、おれの緊張感もあまりなくなっていた。こいつは本当にどんなときでも、海野快人らしい。

 数コールしてから、女性の声が聞こえてきた。聞き覚えのある穏やかな口調は、間違いなく雛祭さんのお母さん・つらなさんだ。みくりが、こころなしか雛祭さんのそばにより、声をひろおうとしだす。山際さんが、声をひそめて呆れたようにいう。


「何してんの」

「たぶん雛祭さん、スマホをスピーカーにする機能を知らないよねえ。記憶を失くす前から、スマホオンチで機械のこともあまりくわしくなさそうだったしー」

「スピーカーのことを教えてあげればいいじゃん」

「あっ、そうかあ」


 みくりが雛祭さんのスマホを指さす。雛祭さんが首を傾げたので、ここぞとばかりに「そこ、押していい?」と確認する。

 許可をとったところで、みくりが「ポチー」と、景気よくスマホをタップした。

 すぐにスピーカーから「もしもしー?」とつらなさんの声が鮮明に聞こえだす。

 雛祭さんが「すみません」とスマホに向かって、頭をさげた。


「あのう、お母さん。聞きたいことがあって、お電話しました」

『あらーそうなの。何でも聞いて』


 つらなさんの声が、あからさまにはずみだす。


「わたしって昔……子どものころ、沖縄フルーツランドに来たこと、ありますか?」

『うん、うん。あるわよー。お父さんと、お母さんといっしょにね! お父さんは、ちかなに沖縄の歴史とか、フルーツのこととか、いろいろ語ってたわね~。ちかなはね、そこでパイナップルを食べて、これが一番おいしいっていって、お父さんのぶんまで食べてたのよ~。とってもいい思い出……まさか、記憶を思い出したの?』

「い、いえ。友達が、そうなんじゃないかって……」

『わ~! そうなんだ、いい友達ね! 沖縄、ちかなが楽しそうで、よかったわ!』

「はい。とっても楽しいです」

『ふふっ、家に帰ってくるまで、全力で楽しまないとね! この電話も、みんなに待ってもらってるんでしょ? ほら、早く遊んでらっしゃい!』

「はい……! 行ってきます!」


 電話を切ると、雛祭さんはとても晴れ晴れとした顔をしていた。


「わたし、お父さんとお母さんと、ここに来ていたみたいです」

「……うん」


 みくりが嬉しそうにうなずく。山際さんのくちびるも、きゅっと上向いている。


「ここで、お父さんのぶんのパイナップルまで食べたんですって。わたし、パイナップルが大好きだったみたいです」

「じゃあさ……食べに行く?」


 おれがいうと、雛祭さんはいきおいよくうなずいた。みくりも、山際さんも満足そうに笑っている。

 パイナップルが食べられる施設はどこだろうと、おれがリーフレットを広げようとすると、快人が手で制してきた。


「よーし! みんなで行くぞ! フルーツカフェへ!」

「フルーツカフェ! そこに、パイナップルがあるのですね!」


 雛祭さんが身を乗り出すと、快人がチッチッチといいながら、指を振るというなんとも古くさい仕草をしてきた。


「パイナップルだけじゃない」

「他にも、パイナップルみたいなものがあるんですか?」

「そうそう。雛祭さん―――いいや! ちかちゃんに、とんでもなくすごい世界を見せてあげるよ~!」

「あっ、ありがとうございます。すごい世界ってなんでしょう」

「今から見れるって、行こ行こ!」


 快人がニコッとほほえむと、雛祭さんも嬉しそうに「はいっ」と顔をほころばせた。

 ん? ちょっと待て。今、こいつ雛祭さんのこと『ちかちゃん』って呼ばなかったか。ちかな、だから、ちかちゃんなのか。

 いやいや、そんなことはどーでもいい!

 何、雛祭さんのことをニックネームで呼んでるんだよ!

 なんて、快人にいいに行きたいが……いったらいったで、快人にこういわれるに、決まってる。

 ―――なら、お前も雛祭さんのこと、あだ名で呼べばいーだろ。

 そんなことができるような人間だったら、デイキャンプでいっしょに芋ようかん食ったときに、とっくに呼んでるんだよ!


「―――悔しそうだなあ。大知~」

「ひいいいっ」


 振り返ると、快人がすぐ後ろに立ち、背後霊のように瞳孔を開かせて立っていた。何してんだよ、こいつ。

 雛祭さんは、みくりと山際さんとともに、すでにフルーツカフェのほうへと歩き出していた。

 おれも快人とともに、歩き出す。


「お前さあ、いつになったら『雛祭さん』って堅苦しい呼びかたからぬけだすんだよ~」

「ってか、お前だって、雛祭さんの許可なくニックネーム呼びなんてしていいのかよ」

「あだ名なんてのは、ナチュラルに呼ぶもんなの。お前、毎回『〇〇って呼んでいい?』なんて聞いてんの?」

「いや、そんなことを聞くような機会は今までの人生で一度もなかったけど」

「……あっ、そう」

「……うん」


 意図せず気まずい空気になってしまったので、いったん黙るおれたち。

 なんでおれが、快人に対して申し訳ない気持ちにならないといけないんだよ。

 どーせ日陰を生きる人生だよ。

 フルーツカフェはショッピングゾーンからは、目と鼻の先にある。雛祭さんたちは、すでに店の前で、おれたちを待ってくれていた。


「んじゃーさ。呼ぶのか、呼ばないのかは置いといて、雛祭さんのこと、ニックネーム呼びするときは、どう呼びたいって思ってんだよ」

「どうって、今まで通りでいいだろ、別に」

「ばかだなーーッ、お前はーーーーッ」


 わざとらしく顔を手でおおって、天をあおぐ快人。ひとりでミュージカルでもやってんのか。


「恋愛ゲームでも、相手と距離が縮まってくると、あだ名で呼びはじめるんだぞ! 現実が、恋愛ゲームに負けててどうすんだ! 女の子がキュンとするようなあだ名で呼んでさしあげろ! お前にネーミングセンスはないのか! よし、聞いてやるから四つほど、雛祭さんのあだ名を考えて、おれに提出しろ」

「はあ? 何でそんなことしなくちゃいけないんだよ」

「お前の人生ためだ」


 そういい捨てると、快人はフルーツカフェで待っている女子三人のもとへと、デレデレしながら走って行った。

 あいつは、いいヤツだ。友達になれてよかったと思っている。

 しかし、こと恋愛関係においては、どうしようもないやつだ。

 まあ、そういうことに積極的なところ、少しだけうらやましい……ような気もする。

 雛祭さんのあだ名か。考えたこともなかったな。


 店内で、さまざまなフルーツが飾りつけられたスイーツたちのメニュー表を見て、雛祭さんは目を見開いて驚いていた。みくりはもちろん、山際さんもフルーツだらけのメニューたちに、がっつりと食いついている。

 それを横目に、快人はぎらりと目を光らせた。


「ふふふ。女子ひとりで、あんなにデカいスイーツを片づけられるはずがない。つーまーり、『漢』であるおれとシェアをしようということになるはずだ」

「なんで漢字の『漢』なんだよ」

「どーだ。天才的な発想だろ。ひらめきのパイオニアだろ」

「いや、でもなあ。それって」


 いいかけたとき、みくりが「いいこと思いついた」と、パチンと手を鳴らした。


「ぜったい食いきれないからさー、このパフェ、うちら三人でシェアしよ! フルーツアドベンチャーってやつ!」

「―――はっ?」


 快人が信じられないとでもいいだけに、おれのほうを見た。いや、こっちを見られても困るんだが。

 女子たちはきゃっきゃ、と盛りあがりながら、さっさとカウンターへと注文しに行ってしまう。

 取り残された快人は、地をはうような絶望しきった声で、メニュー表を指さした。


「大知。このフルーツボード……おれとシェアしないか」

「あ……うん……」


 届いたフルーツボードはどのフルーツもとても甘かったはずだが、快人は苦々し気に食べていた。

 女子たちと、フルーツアドベンチャーを食べている雛祭さんは、とても幸せそうだ。パイナップルを食べた、雛祭さんの表情をおれはこの先、忘れることはないだろう。

 フォークをくわえた快人が、からかうようにいう。


「大知」

「何だよ」

「思いついたかー。あだ名」

「あー、まあ」

「おお! どんなん?」

「ち……『ちか』とかかな」

「ほうほう。あとはー?」

「もうない」

「そんなはずないだろ。すきな女の子のあだ名なんて、小学生のときに考える、自分のサインくらい量産できるだろ」

「黒歴史、掘り返すな」


 くそ。こいつにごまかしは、きかんか。


「うう……マジに思いついたのは……『ちか』、『ひな』、『ひなこ』、『かな』とか」

「へえ~」

「キモイならハッキリいえ」

「いや、いいじゃん。かわいいのばっかで。それで? どれで呼びたいんだ?」

「そこまでいわなくちゃなのかよ!」

「うん」


 有無をいわさぬ、圧。こいつはいいだしたら、引かないんだよな。くそ、めんどくせえ。


「ひな、とか……いいかも、って思ったけど」

「おれも! じゃあ、それでいこうぜ」

「は?」

「修学旅行が終わる前に、ちかちゃんのこと『ひな』って呼べ」


 ハーーーーーッ? むりだ。ぜったい、むり。

 おれみたいな陰キャが、相手の許可もなしにそんなことできるわけないだろ!

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