7日目 火曜日

雛祭さんは逃げ出したい 1

 修学旅行二日目。楽しい修学旅行だというのに、朝七時起床はあまりにもキツい。七時四十五分には、朝食会場に移動しなければならない。朝がめちゃくちゃ苦手なおれには苦行でしかなかったが、それを乗り越えたさきには素晴らしい光景が待っているものだ。

 ―――バイキング朝食。

 会場にずらりとならんだ、クロスのかけられたテーブル。白が映えるクロスのうえには、きらびやかに並ぶ朝食たち。

 みずからの手で好きなものを選んで取るという、リビドーとエゴとパッションがあふれる朝食スタイル。

 クロワッサンに、バターロール、スパゲッティに、ウインナー、スクランブルエッグに、ポテトフライ。もちろん、白米に味付け海苔、味噌汁に卵焼きという和風も選べる。さまざまなフルーツに、さまざまなドリンク。これらを自分好みにカスタマイズして、自分だけのモーニングセットを作れるのだ。最高だろ、バイキング。

 おれは、トレイを取って、大皿と六分割された四角皿をのせた。まずは、会場を一周。じっくりとメニューのラインナップを偵察したら、いざ選別の時だ。おいしい料理を頂くのだから、美しく盛りつけるのが礼儀というもの。

 やはり、朝はパンだろう。それもクロワッサンだ。トングで大皿にのせ、隣にはベーコンとスクランブルエッグ。さらにミニトマト。

 四角皿には、仕切られた小部屋に気になったものを乗せていこうと、欲のままに選ぶ。すると気づけば、小部屋にはラフテー、あぐー豚のローストポーク、タコスが乗っていた。一気に、琉球王国の朝食になってしまった。

 フリードリンクのコーナーで牛乳をついでいると、トレイに富士山でも作ってるのかと思うほど、スパゲッティを盛りつけているやつがいた。快人だ。ここは静岡でも山梨でもないぞ。

 そういえば、こいつ、いっしょにカフェシエルに行くたびに『昔ながらのナポリタン』を注文してたな。野菜も食え。

 山際さんといっしょに料理を物色しているみくりのトレイには、なぜかすでにスイーツが載っている。マンゴープリンにプチシューに、カットしたパイナップル。バイキングで甘味から埋めていくやつ、初めて見た。

 雛祭さんは、何から取っていいのか迷っているようだな。こんな食事スタイル、記憶喪失になってからは初めてだろうしなあ。


「雛祭さん。バイキングのやり方、わかる?」

「はい。水木先生にだいたいのマナーは教えていただきましたので……」


 フリースタイルである代わりに、「一度とったものは、戻してはいけない」など、それなりのルールがあるからな。現代人にとっては知っていて当然の常識だからか、今朝もバイキング朝食においてのルール説明はなかった。

 雛祭さんのために、水木先生もいろいろと骨を折ってくれているらしい。


「いっしょに選ぼうか。見たことのない料理もあるみたいだからさ」

「でも、鯉幟くんはすでに取りおわっているのでは」

「まだ、悩んでる途中だよ。わからないことがあったら、遠慮なく聞いて」

「……はいっ。ありがとうございます」

 

 持っていた牛乳をトレイのはしに乗せ、おれは雛祭さんの後ろに並び直した。

 するとさっそくゴーヤーチャンプルーという名前に引かれたのか、雛祭さんはお皿の半分をそれで埋め、隣にはラフテーをもっさりと乗せていく。

 お椀にはソーキソバを盛りつけ、マンゴープリンを取ると、ドリンクには、さんぴん茶を注いでいた。

 見事に沖縄料理づくしセットを完成させると、雛祭さんは満足げに席に着いた。


「せっかくこの国に来たので、ご当地ものを頂きたいと思いまして。鯉幟くんがいっしょに周ってくれて、助かりました」


 雛祭さんが悩んでいたのは、そこだったのか。まあ、役に立ててよかった。

 三者三様の個性あふれるモーニングセットをたいらげると、八時半には宿泊先のホテルを出発した。

 このあとは、首里城を見学する。

 写真で見る限りは、ただの真っ赤な建物、といった感じの場所だ。なんと五回ほど火事にあっているらしい。歴史的建造物らしいが、外観がきれいなのはそういう理由か。

 首里城は沖縄の歴史や文化を象徴するもの―――と、授業中に小耳にはさんだ。修学旅行のラインナップに入っているのは、おれたちの学びを得るためなんだろう。いうまでもないか。

 おれたちを乗せたバスが、目的地に着いた。

 首里城を見あげる―――赤いな。赤い建物だ、という感想しかない。

 バスから降りてきたらしい雛祭さんがおれの隣に立って「りっぱな建造物ですね」といった。


「うん」

「燃えるように赤いです」

「そうだなあ」


 正直おれは、地元の歴史や文化にもさほど興味がない。昔から、歴史の成績はイマイチだ。つまり、ここにきての歴史的学びなどに急に意欲的になるわけがなかった。

 修学旅行の、修学部分なんてどうでもいい。旅行したいんだよ、学生さんは。

 このあとは、那覇市の国際通りで自由行動だ。これだよ、これが楽しみなんだよ。

 快人と食べ歩きして、みやげ物でもみつくろう。みくりは、山際さんと周るだろうから、雛祭さんを誘って―――。


『あたしもさあ……本当にばかだよ……』


 ふと、昨日のみくりの言葉が、頭をよぎった。

 おれは昨日、みくりを『振った』。

 おれが、女の子を振る日が来るなど、夢にも思わなかった。

 しかも、その相手は、みくりだ。

 今でも、昨日のことは、あれで正解だったのかと発作のように悩む。

 だが、みくりはあの言葉のあと、きっぱりといってきた。

 

『あたし……あきらめないから』

『え……?』

『大知のこと、すきなままでいるから』

『でも、お前はそれで……』

『あたしがあたしの気持ちをどうしようと、あたしの勝手でしょ?』


 みくりは美ら海水族館の水槽を見あげながら、まぶしそうに笑った。

 おれは、何もいえなかった。おれのせいで、みくりにこんな表情をさせた。

 でも、どうすればいいのかなんて、わからなかったから、ただその場に立っていた。あまりにも情けなくて、どうしようもなく苦しかった。

 みくりには、今までどおりに接してほしいといわれたので、おれも普通にしようと徹した。

 気にしすぎないようにしよう。ふだん通りにするんだ、ふだん通りに。

 この後の国際通りでの自由行動を、ずっと楽しみにしていた。

 どの店によろうかと、快人と調べまくったじゃないか。

 雛祭さんが喜んでくれそうなスイーツの店も探したし……。


「え? 雛祭さんの? あのーそれって、今現在のことですか?」


 首里城の正殿をバックに、水木先生の声が轟いた。スマホを耳に当てつつ、明らかに動揺している。

 誰からの電話なのかは知らないか、はっきりと「雛祭さん」といったのが聞こえた。


「雛祭さんがどうしたんだ?」


 快人が、不穏げにつぶやいた。その後ろから、みくりと山際さんも顔を出す。

 水木先生が、誰かを手招いた。雛祭さんだ。自分を指さす雛祭さんに、水木先生がうなずいた。


「今から、こちらに? はい……はい……」


 水木先生のそばに駆けよる、雛祭さん。

 電話の内容は、まだ続いているようだ。


「修学旅行中ってことは、ご存じなんでしょうか? ……そうですよね。うーん。こういうのって、前例は……ありませんよねえ。どうしたものか……。ええ、そうですね。教頭先生と本人とで、話しあいをしてみようかと……はい? 到着まで、十五分もかからないっていってるんですか? あーもう、困ったな。わかりました、では一回切りますから……はい、はい。では……」


 重いため息をついた水木先生はスマホをしまうと、雛祭さんを連れて、いっしょに引率で来ていた教頭のところへと走って行った。

 しばらくして、教頭の「はい!?」という叫びが聞こえ、さっきの水木先生のようにうなりだす。

 すると、雛祭さんも一気に、不安げな表情になったように見えた。


「いったい、どうしたんだ? 話がなんも見えねー」


 のんびりと快人がいうので、おれも「そうだな……」と同意する。

 だが、おれのほうはのんびりとは真逆に、ひどく胸騒ぎがしていた。これから、よくないことが起こるような気がしてならなかった。

 雛祭さんが、こちらに戻ってきたので、おれと快人が駆けよる。


「何かあったのか?」

「はい、ちょっと……」

「大丈夫?」


 こういうとき、王道展開のラノベだったら、「大丈夫だよ」と答えるんだろう。

 だが、雛祭さんの表情は、暗いままだった。


「わたし……修学旅行、続けられなさそうです……」


 口もとだけの笑みを作った雛祭さんがいった言葉は、あまりにも理解しがたいものだった。

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